窓の外
鳥が鳴いている。カラス、ウグイス、そして名も知らぬ鳥の声。
ベランダの下は谷になっていて、その谷間には家やアパート、小さな畑などが敷き詰められている。
私はそれらを眺める。
空はくすんだ水色をしていた。雲が薄い層になって空を覆っていた。でも、眺める景色は確かに陽の光を浴びていて、橙色を帯びている。
風は感じない。だが、カーテンはわずかに揺れている。窓を閉めていたつい先ほどまでは、時間が止まっているみたいに何もなかったのに、今はひんやりと空間に温度が、そして音が、伴っている。
心中は“無”であった。気力がなかった。
身体が疲れているのか、はたまた心が疲れているのか、ぼぅっと窓の外を眺める。ただそれだけのことをするので精一杯だった。
やらなければいけないことは、山のように積み上がっていた。
だから今は、現実から逃れ、何でもない時間を過ごしたかったのかもしれない。
鳥は繰り返し繰り返し、同じ鳴き声で鳴いている。同じ擬音をあてがわれている。
私も、鳥と同じように繰り返せばいいのだろうか。繰り返し繰り返し、期待されるままに存在していればいいのだろうか。あてがわれた役割をこなすことが、私の役目なのだろうか。
悲しくはない。ただ、ぼんやりと考える。
鳥も話をしている、鳥同士で。そして羽ばたいて、羽ばたいて、羽ばたいて…………新たなる場所へ。
移りゆく。
建物も、畑も、空模様も、互いに影響し合って、その景色を変える。手があって化粧をするわけでもないのに、身体があって服を着るわけでもないのに、足があって歩き出すわけでもないのに、私を置いて、次なる姿へ。
今、心の中には何もなくて、空っぽであるはずだった。とても静かで、喜びも哀惜もないはずだった。
だから、もしそうであるはずなら、ここにある“無力感”というものは“無”に等しいのだろうか。
空は闇を孕んでさらにくすみはじめた。冷えすぎて快を通り越した風は、私の産毛を逆立てる。窓を閉めれば、音もなくなる。カーテンを閉めれば、景色もなくなる。
これで私は守られただろうか。そもそも、何に侵されていたのだろうか。
あぁ、そうだ。やらなければいけないことがあるのだった。
机に向かう。ペンを持つ。気が進まなければ、手も進まない。時間だけが過ぎていく。
そして。
…………………………………ぐぅ。
と、腹が鳴る。
気づく、人間であることに。
生きていることに。
繰り返される日々に、私は生きている。やりたいこととやらなければいけないことは噛み合わないが、それでも私は移りゆく一つとしてこの世界に溶け込んでいる。
それが今の私の、唯一の救いであるような気がした。
私はこれから、数年、数十年と長い人生を歩む。微笑むばかりでなく、嘆き悲しむ時もあるかもしれない。流れゆく時間の中で、彷徨い、行く末を見失い、喪失を知ることもあるかもしれない。
それでも、私は自らの足で立つ。歩き、走る。止まって、また、歩く。
生きることを目的にして。




