第93話 許嫁
翌朝。
訓練場には静かな空気が流れていた。
朝日がアリーナの床を照らしている。
まだ利用者も少ない時間帯だった。
その中央で。
リゼアは杖を握り締めていた。
表情は真剣そのものだ。
だが。
その指先は僅かに震えている。
「大丈夫?」
隣からカナトが声を掛けた。
リゼアは小さく頷く。
「ええ」
短く返事をする。
だが。
緊張していることは自分でも分かっていた。
今日試そうとしているのは蒼炎。
あの日。
初めて発現した魔法。
そして。
土砂災害の日を思い出させる魔法だった。
リゼアは深く息を吸う。
ゆっくりと杖を構えた。
魔力を流す。
少しずつ。
慎重に。
集中しながら。
すると。
杖の先へ蒼い炎が灯った。
揺らめく蒼。
美しい炎だった。
だが。
その瞬間。
脳裏へ光景が蘇る。
崩れ落ちる崖。
響く悲鳴。
舞い上がる土煙。
倒れていく人々。
胸が締め付けられる。
呼吸が浅くなる。
怖い。
消した方がいい。
そんな考えが頭を過った。
「リゼア」
声がした。
隣だった。
カナトがいる。
蒼炎ではなく。
リゼア自身を見ていた。
心配そうに。
だが信じているように。
見守ってくれている。
その姿を見た瞬間。
少しだけ肩の力が抜けた。
大丈夫。
今は違う。
一人じゃない。
リゼアはゆっくり息を吐いた。
蒼炎は消えない。
揺らめきながらも。
そこに在り続ける。
十秒。
二十秒。
三十秒。
それでも消えなかった。
やがて。
リゼアは目を見開く。
「……出来た」
蒼炎は安定していた。
暴走もしていない。
ただ静かに燃えている。
自分の意思のままに。
「うん」
カナトが笑った。
「出来たね」
リゼアはしばらく蒼炎を見つめる。
そして。
ゆっくりと魔力を解いた。
蒼炎が消える。
同時に張り詰めていた緊張も抜けていった。
「まだ完璧じゃないわ」
そう言いながらも。
口元は少しだけ緩んでいた。
「それでも大きな一歩だと思うよ」
カナトの言葉に。
リゼアは照れ臭そうに視線を逸らす。
「……そうね」
昨日。
皆で王都を歩いた。
笑った。
チャームを買った。
そして。
カナトへありがとうと言えた。
今日。
蒼炎も使えた。
少しずつだが。
前へ進めている気がした。
◇
「そういえば」
訓練場を出ながらカナトが言う。
「昨日のチャーム」
「ああ」
リゼアも思い出した。
レオンの分。
昨日は渡せなかった。
「今日渡そうよ」
「そうね」
せっかく買ったのだ。
本人へ渡さないと意味がない。
二人はそのまま第九班の部屋へ向かった。
すると。
廊下の向こうから見慣れた銀髪が歩いてくる。
「あ」
カナトが声を上げた。
「レオンさん」
レオンがこちらへ気付く。
「あれ、二人とも。訓練帰り?」
「はい」
カナトが頷いた。
リゼアは小さな箱を取り出す。
「レオンさん」
「ん?」
「これ、良かったら」
差し出された箱を見て。
レオンは少し驚いた顔をした。
「俺に?」
「昨日、皆で王都へ行った時に買ったんです」
カナトが説明する。
「レオンさんも来る予定でしたから」
レオンは箱を受け取った。
ゆっくり蓋を開く。
中には銀のチャーム。
花の意匠が刻まれた銀のプレートと、小さな青い宝石。
昨日皆が買った物と同じだった。
一瞬。
レオンは目を丸くした。
そして。
柔らかく笑う。
「ありがとう」
その笑顔は本当に嬉しそうだった。
「皆で選んでくれたんだね」
「はい」
カナトが頷く。
レオンはチャームを手に取った。
「せっかくだし」
そう言うと。
腰の装備へ取り付ける。
銀のプレートが小さく揺れた。
「どうかな?」
「とても似合っていると思います」
カナトが答える。
リゼアも頷いた。
「ええ、素敵だと思います」
その時だった。
「レオン?」
背後から女性の声が響いた。
レオンの肩がぴくりと跳ねる。
カナトとリゼアが振り返った。
そこには。
一人の女性が立っていた。
整った蜂蜜のような琥珀色の髪。
気品ある立ち姿。
柔らかな笑顔。
だが。
何故だろう。
妙な圧がある。
女性の視線がレオンの腰元へ向く。
正確には。
付けたばかりのチャームへ。
リゼアはその姿を見た瞬間、目を見開いた。
「あなたは……」
見覚えがある。
夜会で何度か見掛けたことのある女性だった。
女性は優雅に一礼する。
そして。
レオンへ視線を向けたまま口を開く。
「そのチャームは何でしょうか?」
レオンの肩が僅かに跳ねた。
「リ、リーナ……」
柔らかな笑みは変わらない。
だが。
レオンへ向けられている圧は消えていなかった。




