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魔眼治癒師の最適解  作者: 鍵音-kagine-


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第76話 何も知らない

 爆発音が第三訓練場へ響き渡る。


 紅蓮の炎が空気を裂く。


 熱風が吹き荒れる。


 砂埃が舞い上がる。


 夕日に染まった訓練場は、まるで燃える世界のようだった。


 その中心で。


 カナトは再び吹き飛ばされた。


「っ……!」


 背中から地面へ叩き付けられる。


 肺の空気が押し出される。


 息が出来ない。


 視界が揺れる。


 身体中が痛い。


 限界はとうに越えている。


 誰が見ても分かる。


 あと数発。


 もしかしたら次で終わるかもしれない。


 それでも。


 カナトは地面へ手をついた。


 砂を掴む。


 腕へ力を込める。


 ゆっくりと。


 ゆっくりと。


 身体を起こした。


 夕日が眩しい。


 赤く染まった視界の向こう。


 リゼアが立っていた。


 杖を握っている。


 赤い髪が風に揺れている。


 その姿は美しかった。


 だが。


 今の彼女から伝わってくるのは美しさではない。


 痛々しいほどの怒りだった。


 数日間。


 閉じ込めていた感情。


 蓋をしていた感情。


 押し殺していた感情。


 それらが今。


 炎となって噴き出している。


 カナトは思う。


 やっぱり来て良かった。


「まだ立つの……?」


 リゼアが呟いた。


 先ほどまでの怒鳴り声ではない。


 純粋な困惑だった。


 カナトは苦笑する。


「うん」


「何で」


 リゼアには本当に分からなかった。


 何故。


 何故ここまで出来るのだろう。


 圧倒的な差を見せているのに。


 さっさと横になって降参すればいいのに。


 なのに。


 目の前の男は違う。


 壊れそうになっても立ち上がってくる。


 それが理解出来ない。


 理解出来ないから。


 腹が立つ。


「もうやめなさいよ!」


 杖を振る。


 炎が放たれる。


 轟音。


 爆発。


 熱風が吹き荒れる。


 カナトの身体が再び吹き飛んだ。


「何でそこまでするのよ!」


 返事はない。


 砂煙だけが舞う。


 リゼアは荒い呼吸を繰り返した。


 胸が苦しい。


 怒鳴っているだけなのに。


 走った後みたいだった。


 心臓がうるさい。


 杖を握る手も震えている。


 怒りのせいだ。


 そう思う。


 そう思いたい。


 だが違う気もしていた。


 視界が滲む。


 熱風のせいだ。


 そう思う。


 そう思いたい。


 でも。


 分かっていた。


 違うことくらい。


「何も知らないくせに……」


 声が漏れる。


 カナトが顔を上げた。


 砂まみれになりながら。


 苦しそうに呼吸しながら。


 それでも。


 真っ直ぐこちらを見ている。


 その目が嫌だった。


 逃げないから。


 逸らさないから。


 誤魔化さないから。


「私のことなんて」


 喉が痛い。


 声が掠れる。


「何も知らないくせに」


 風が吹いた。


 赤い髪が揺れる。


 夕日が差し込む。


 長い影が地面へ伸びる。


 その影が。


 どこか幼い頃の自分に見えた。


 小さな女の子。


 赤い髪。


 大きな瞳。


 魔法に憧れていた頃の自分。


 そして。


 今の自分と重なる。


 でも違う。


 あの頃の自分は。


 もっと笑っていた。


「努力してないと思ってるの?」


 声が震えた。


「私はずっとやってきた」


 言葉が零れる。


 止まらない。


 止められない。


「ずっと…」


 胸の奥に溜まっていたものが少しずつ溢れ始めていた。



 思い出す。


 まだ幼かった頃。


 朝日が昇る前に起きた。


 眠い目を擦りながら杖を握った。


 屋敷の庭。


 冷たい空気。


 白い息。


 何度も魔法を放った。


 失敗してはまた放った。


 満足いくまでずっと続けた。


 雨の日もあった。


 風の日もあった。


 寒い日もあった。


 暑い日もあった。


 関係なかった。


 上手くなりたかったから。


 強くなりたかったから。


 ただそれだけだった。


 最初は。


 本当にそれだけだった。


 魔法が好きだった。


 魔力を練る時間が好きだった。


 炎が形になる瞬間が好きだった。


 新しい魔法を覚えた時は嬉しかった。


 上手く出来るようになると誇らしかった。


 父も母も褒めてくれた。


 使用人達も喜んでくれた。


 だから頑張れた。


 もっと強くなりたいと思った。


 もっと上手くなりたいと思った。


 もっと沢山の魔法を覚えたいと思った。


 あの頃は。


 それで十分だった。



「でも……」


 リゼアの声が震える。


 夕日が赤く揺れる。


 風が吹く。


 長い髪が頬を撫でた。


 脳裏に浮かぶ。


 一人の少年。


 銀色の髪。


 穏やかな笑顔。


 何度追い掛けても届かなかった背中。


 昔から知っている顔。


「レオンは……」


 思わず名前が零れた。


 カナトは黙って聞いている。


 何も言わない。


 だから止まらなかった。


「昔から凄かった」


 笑顔を作ったが乾いた笑いにしかならなかった。


「私が一つ覚える頃には二つ覚えてた」


 思い出す。


 魔法の訓練場。


 同じ年頃の子供達。


 その中でも。


 レオンだけは別格だった。


 魔力制御。


 構築速度。


 応用力。


 全部。


 全部上だった。


 それでも。


 最初は悔しくなかった。


 一緒に訓練するのが楽しかったから。


 一緒に成長するのが楽しかったから。


 負けたら悔しい。


 でも。


 次は勝とうと思えた。


 そんな関係だった。


「いつからだったのかな……」


 小さく呟く。


 自分でも分からない。


 いつから。


 追い掛けるだけになったのか。


 いつから。


 笑えなくなったのか。


 いつから。


 勝ちたいだけになったのか。


 分からない。


 気付いた時には。


 もうそうなっていた。


「努力すれば届くと思ってた」


 リゼアは言う。


「頑張れば追い付けると思ってた」


 朝も。


 昼も。


 夜も。


 訓練した。


 誰よりも。


 本当に誰よりも。


 やっていた自信がある。


 魔力が空になるまで。


 倒れるまで。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 繰り返した。


「でも届かなかった」


 声が震える。


 胸が痛い。


 苦しい。


 言葉にするだけで苦しい。


「頑張っても届かなかった」


 レオンは強くなる。


 また強くなる。


 さらに強くなる。


 追い付いたと思ったら。


 もう先へ行っている。


 手を伸ばす。


 届かない。


 走る。


 届かない。


 必死に足掻く。


 それでも届かない。


 その繰り返しだった。


「それでも」


 杖を握る。


 震える。


 手が。


 声が。


 身体が。


「それでもやめなかった」


 やめたくなかった。


 認めたくなかった。


 負けたくなかった。


 期待されていたから。


 認めてほしかったから。


 そんな理由もあった。


 でも。


 それだけじゃない。


 それだけなら。


 とっくに折れていた。


「私は……」


 言葉が詰まる。


 胸の奥が苦しい。


 何かが引っ掛かっている。


 出そうで出ない。


 そんな感覚。


 カナトは何も言わない。


 ただ聞いている。


 それが腹立たしい。


 でも。


 少しだけ。


 ありがたかった。


「誰よりもやったの」


 涙が滲みそうになる。


 必死に堪える。


 まだ泣きたくない。


 まだ。


 絶対に。


「誰よりも努力したの」


 声が掠れる。


「それなのに……」


 夕日が揺れる。


 風が吹く。


 第三訓練場が静かになる。


 遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。


「それなのに」


 リゼアは俯く。


 肩が震える。


 握った杖へ力が入る。


 そして。


 絞り出すように言った。


「何も変わらなかった」


 静かな声だった。


 怒鳴り声ではない。


 叫びでもない。


 ただ。


 長い間胸の奥へ沈めていた本音だった。


 その瞬間。


 第三訓練場に吹いた風が。


 何故か少しだけ冷たく感じられた。


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