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冬の終わり、春の扉 ~少し早めの卒業式~  作者: 星野サダメ


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第二話 車窓に映る予期せぬ再会

 第二話 車窓に映る、予期せぬ再会

 駅に到着し、いつもの通学時間から大きく外れた、閑散とする電車に乗り込んだ。

 かつて、満員電車に揺られながら、死んだ魚のような目で車窓を流れる看板の数を無意味に数えていた景色が、今はまるで遠い異郷を写した映画のセットのように感じる。

 ガランとした車内には、部活動の遠征に向かうらしい、希望に満ちた顔をした中学生の集団、隅の席で微動だにせずに車窓から外を見つめ続けている老人が一人。

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 規則正しいリズムだけが、空っぽの箱のような胸に虚しく響く。

 窓に映る自分の顔は、青白く、どこか実体のない幽霊のようだ。

 そんな自分を見つめていると、閉ざされた思考の隙間から、澱のように溜まった記憶が溢れ出してきた。


 第一志望の高校に不合格となった、あの最悪の春。滑り止めのこの高校に入学した時、心はすでに半分死んでいたのかもしれない。

 そこで待っていたのは、教科書をなぞるだけの砂を噛むような退屈な授業と、スクールカーストの維持に躍起になる生徒たちの虚ろな喧騒だった。

 それでも一年は耐えた。

 そして、決定打となったのは、二年の夏休み直前、一学期の期末試験の結果が出た直後の出来事だった。

 あの日の放課後、進路指導室で浴びせられた、教師からの理不尽な叱責。

「いつもお前からはやる気が感じられん。成績だけは良い。だがな、それだけで生きていけると思うな。世の中は甘くはねえんだぞ。お前のようなやる気のない奴は、どこへ行っても通用しない。社会のゴミになるだけだ」

 その言葉は、尊厳を真っ向から踏みにじった。

 あの時、自分の中で何かが、プツリと音を立てて切れた。いや、熱を失って蒸発したのだ。

 学校という場所へ足を運び、気の合わないクラスメイト達と無駄な日々を送る。

 、人生は長いのだから今は耐えるべきだと自分に言い聞かせた日々。

 全てが嫌になった。

 自分の存在価値すら摺りきれそうな毎日が本当に嫌になってしまったのだ。


 そんな苦い記憶の海に沈みかけていた時、不意に静寂を突き抜ける声が響いた。

 凛とした、冬の張り詰めた空気を心地よく震わせる、鈴の音のような声。

「あれ、健人君?」

 心臓が大きく跳ねた。反射的に視線を上げると、そこには昨春にこの学校を卒業したはずの、美香子先輩が立っていた。

 軽音楽部の二つ上の先輩。春を先取りしたような淡いサクラ色のコートを羽織り、彼女は相変わらず、周囲の温度を一度上げるような眩しい微笑みを浮かべていた。

 車内に差し込む冬の陽光が、彼女の髪の端を黄金色に透かす。その姿は、モノクロームの車内に突如として現れた色彩の塊のようだった。

「えっ、美香子先輩……どうしてここに」

「ふふ、驚かせちゃった? 今日は卒業式でしょ。可愛い後輩たちの門出をお祝いしに行こうと思って。でも、健人君……この時間の電車なんて、珍しいじゃない。何かあったの?」

 その真っ直ぐで、一片の濁りもない瞳に見つめられ、安っぽい嘘をつく術を瞬時に失った。

 この人には、隠し事はできない……。

 部活動で練習曲にてこずっていた俺に、ふんわりとアドバイスをくれた時のように彼女は人の何かを見抜く力がある。

 。肺の中の澱みをすべて吐き出すつもりで、深く、重たい息を吐き出す。

「……実は俺、今年の三月末で、高校を中退することにしたんです。だから、せめて最後にお世話になった先輩方の見送りだけでもしたくて。今日が、俺にとっての最後の登校日なんです」

 先輩の瞳が、驚きに微かに揺れた。電車の揺れに合わせて、彼女の長い黒髪がさらりと肩で踊る。

 沈黙が流れる。

 責められるだろうか、それとも同情されるだろうか。最悪の言葉を想定して身構えた。

「そっか……。色々、大変だったんだね。……もう、大丈夫なの?」

 その問いは、腫れ物に触れるような憐れみではなく、対等な人間としての、深く静かな慈しみだった。突き放すわけでも、過度に介入するわけでもない、絶妙な距離感の優しさ。肺の奥まで冷たい空気を吸い込み、車窓を流れる冬の枯れた街並みを見つめた。

「はい。中退した後は、予備校に通って高卒認定を受けるつもりです。その先には、また大学受験も……。俺の未来は、ここからまた明るくし直すつもりですから」

 努めて明るく、自分に言い聞かせるように笑うと、美香子先輩は愛おしそうに、そして少しだけ悲しそうに目を細めた。彼女の視線が、強がりの裏側にある震えを優しく包み込む。

「そっか。じゃあ、今日が健人君にとっても『卒業式』なんだね」

「あはは、確かに。卒業証書すらもらえない、レールから外れた奴の、出来損ないの卒業式ですけど」

 自嘲気味に吐き捨てた言葉を遮るように、先輩はバッグの中から、丁寧にラッピングされた小さな包みを取り出した。それは彼女のコートと同じ、淡いサクラ色のリボンで結ばれていた。

「なら、これを。大したものじゃないけど、私から健人君への『卒業証書』代わり」

「え……?」

「中身はただのハンカチ。でも、これから新しい道を歩き始める君に、一歩目のエールを込めて。涙を拭くためじゃなく、顔を上げて、前を向いて歩くための魔法だと思って使って」

 受け取った包みは、彼女の体温が移っているのか、指先から伝わるほどに温かかった。その温もりは、凍りついていた心の最深部まで、ゆっくりと、けれど確実に浸透していった。

「先輩……ありがとうございます。俺、誰にも言わずにこのまま消えるつもりだったのに……。これ、一生大切にします……っ」

 不意に、視界が熱く滲んだ。奥歯を強く噛み締めても、堪えきれない雫が頬を伝う。それを悟られないように、慌てて、もらったばかりの綺麗なハンカチではなく、安っぽい制服の袖で乱暴に目元を拭った。

「それ卒業生の皆に配る予定の物だったんだ。予備を用意していて良かった……」

「本当に俺、卒業するみたいですね。先輩うれしいです」

「それじゃ、そろそろ駅に着くね。皆に会いに一緒に行こう!」

 先輩が軽やかに笑い、電車のドアが開く。高校の最寄り駅のホームに降り立った瞬間、冷たかったはずの北風の中に、沈丁花の香りのような、確かな春の匂いが混じった気がした。


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