夢は罪
夢は罪
漫画が描きたい。いつか、漫画で食ってやる。それがいつしか、漫画の、いかに難しいかを知り、作家になりたい。小説で名を成してやる。それがいつしか、作家の、いかに難しいかを知り、また、漫画を描きたくなって、将来の夢、目標に設定するも、いつしか、漫画に対する希望は、まったく消え失せ、そこに残るのは、設定した目標を、達成しなければならないという、焦りと絶望。漫画を描ける人生は、漫画色。漫画色は、私の好きな色だ。作家で執筆できる人生は、作家色。作家色は、私の憧れる色。漫画も作家もできず、サラリーマンになる人生は、漫画も作家も諦め、生活のためのサラリーマン色。それは、サラリーマン色じゃない。諦め、絶望の果ての、サラリーマン色だ。本来のサラリーマン色とは違って、濁り、霞み。サラリーマンになりたくて、サラリーマンになった人が見る、サラリーマン色じゃない。それよりもっと、汚れて見える。そして、その穢れたサラリーマン色に浸り、慣れてくると、今度は、時間と若さが失われる。もう迷えない、失敗できないし、踏み外せもしない。そういう時代に突入する。漫画が描きたい、小説が書きたい。でも、もう、サラリーマンだ。おしまいだ。一度きりの人生で味わえる、一度きりの夢を、一度きりの諦念で、安定を取り、全てをぱあにする。しかし、これはましなケース。悪いケースは、サラリーマンになる勇気すら、持ち合わせていない場合。夢を叶えられずに死ぬのが怖くて、夢を手放して、私は凡人だと認めたくなくて、それは地獄だ。地獄より、さらに下。そうなると、一発当てたくなる。一発当てなければ、おしまいだ。そういう思考になる。夢をつかむには、安静が核なのに。焦って焦って、もっと焦る。そうしていつか、死ぬ。長く焦り、苦しんだ末、死ぬ。そういう焦りの産物は、製作者の死後に、評価を得ることがままある。でも、その評価を吟味し、享受する暇は、死人にない。天国も、地獄もないからだ。地獄でさえ、あるならば。悪霊でさえ、いるならば。死後の評価も意味がある。しかし、そこには何もない。無だ。漫画も、眼も、作家も、脳も、ない。夢を持つから、焦りが生まれる。夢を見るから、安定を手放したくなる。つまり、夢は罪だ。夢を持つことは、罪だ。夢を見させることも、抱かせることも、罪だ。ほんの一握りしか成功しない。そんな脅しをするならば、創造性を育ませるな。赤子にスーツを着せろ。胎児にExcelを教えろ。子供からクレヨンを取り上げ、叩き潰せ。親は、子に愛を求めるな。夢を見させるな。生産性だけを求めろ。質の良い歯車として扱え。それが嫌なら、子が夢を追い、破滅するさまを眺めろ。ごくまれに、歯車の不良品が見つかれば、それに、砕けたクレヨンを与えてみよう。それは、人生を破滅させずに評価を得られる、ほんの一握りだから…




