魔法師
「手を繋いで構わないかな?」
シルヴィアはアシルの背後で見守っているラースを仰いだ。ラースは頷く。
「宜しくお願いします…」
ベッドに横たわり少し怯えた様子の少女を、安心させようとアシルは微笑んだ。
背後でラースと共に治療の行方を注視していたエドモンは唖然とした。あのアシルが子供といえど、女性のために笑顔を見せた。
シルヴィアは躊躇いもなく、アシルの手を握る。アシルは春の気配に雪解けが訪れたような笑みを再び浮かべた。
エドモンの思考は混乱の域に達していたが、真剣な眼差しでシルヴィアの治療に当たろうとしているアシルへ口を挟むことはなかった。
「今、指先から何かが流れていったのは感じたかな?」
アシルは自身から微量の魔力をシルヴィアの指先から流す。
アシルの質問に眉間へ皺を寄せつつもシルヴィアは答えた。
「多分…」
「その感覚を忘れずに…。今度は君から…。シルヴィア嬢から私へ向けて魔力を放ってみようか…」
次にアシルはシルヴィアの魔力を指先から吸い上げる。
シルヴィアが魔力を体内から放出するには、何かの媒介が必要なのだ。アシルは自身の身体を媒介として魔力を逃す方法を教えている。
ただし、シルヴィアの魔力は濃厚なため、アシルほどの魔法師でないと対応が難しい。魔力量の調整を見誤ると魔法師の命が危ぶまれることもある。
「…。ごめんなさい…。出来ません」
シルヴィアは危険を無意識に察したのであろう。アシルが誘導しているにもかかわらず、アシルへ魔力を押し流すことに歯止めをかけていた。
「慌てなくても大丈夫…。ゆっくりで構わない…。感覚を覚えよう…」
アシルは諦めることなく、シルヴィアへ何度も教授し導いた。
長い時間が経過したが、ラース、エドモンも根気強く二人を見届けていた。
ラースは病弱なシルヴィアのことを慮り、治療を中断させたかったが、エドモンが無言の圧でそれを制した。
そのうち、シルヴィアは柔らかくて優しい流れが体内に循環しているのがはっきりと分かった。
「何かが巡っています…」
「そうだな…。上手く出来ている…。では、今の魔力を意識して、さぁ…。この鉢植えへ…」
アシルは用意してあった鉢をシルヴィアの目の前へ差し出した。そこには小さな薔薇の苗木が植えられていた。
学生時代、アシルは論文で魔力過多の治療法における植物の有用性について提出していた。
魔力過多はその魔力を媒介へ移してやれば良い。人や動物では生命に支障をきたす恐れがあるが、植物であればそのような懸念は不要だ。植物は魔力との融和性が高い。
エドモンはシルヴィアが魔力過多だと想像もしていなかったが、アシルならばシルヴィアの症状について何かしらの助言をもらえるのではないかと藁にもすがる思いで相談したのだ。シルヴィアの病状については医者も匙を投げていた…。
「あっ…。何となく出来た気がします…」
「初めてにしては素晴らしいよ…」
アシルは幼子を褒めるようにシルヴィアの頭を撫でる。整えられていた髪は崩れたがシルヴィアは気にせず、達成感からか破顔した。シルヴィアには珍しく子供らしい笑顔だった。
エドモンはその様子に安堵した。
残務が恐ろしいが、諸々の仕事を投げだして、王都から遠いクレプスキュール侯爵領まで戻ってきた甲斐がある。
とはいっても、アシルの転移魔法陣で帰ってきたのだが…。
予想以上の結果にエドモンの目尻に光るものが浮かんでいた。
「先生!」
クレプスキュール侯爵邸へ訪れたアシルをシルヴィアは満面の笑みで迎えた。
年月が過ぎるのは早いもので、シルヴィアは13才になった。
「シルヴィア嬢…。貴族である貴女が一介の魔法使いを先生などと呼ぶ必要はない…」
「私が呼びたいのです…」
強い意志を持った眼差しでシルヴィアは訴えた。
あれ以降、度々アシルは定期検診のためクレプスキュールの屋敷を訪れていた。
魔力過多の患者に対して、植物を利用する事案はここ数年増えた。シルヴィアの病状が落ち着き、その実績が評価されて世間へこの方法が認知されたのである。
「しかし…。増えたな…」
後頭部をガシガシと掻き乱してアシルは呟く。
「はい…。ラース様と結婚したら、伯爵家の庭へ植えようと思っているのです…」
「だが、あまり増やすのも良くない…。これぐらいの株を育てるくらいが良いだろう…」
物事には限度がある。あまり、魔力を注ぎ過ぎれば、シルヴィアの身体に負担がかかる。
「皆…。綺麗な花だから…。嬉しくて…」
シルヴィアの魔力に応じて花々は芽吹いた。一番最初に彼女が咲かせた花はこの世には存在しない青い薔薇だった。
ふっくらとした頬はまだあどけなさを残しているが、蛹が蝶へと羽化するように誰もが感嘆するほど美しい淑女に育ったシルヴィア…。
シルヴィアとは8才も離れており、それにラースという婚約者の存在もある。
女性というものは、アシルを怖がるか、それとも籠絡しようと色香を漂わせるか、またはアシルを利用しようとするか、いずれかに分類されるものだとアシルは信じていた。
シルヴィアはラースを一途に慕っているためアシルを異性として見ていない。先生と患者という関係が功を奏し、シルヴィアはただ純真にアシルを先生として尊敬している。
初見の診断の際、シルヴィアはアシルに心配をかけまいと、苦しいだろうに健気な眼差しでアシルの言葉に応えた。
薄紫の透き通った芯の強いその瞳にアシルは心打たれた。一人の人間としてシルヴィアへ惹かれていたことは否定できない。
それでも、この頃はまだ庇護するべき一つの対象でしかなかった。
だが、いつしか…。アシルはシルヴィアの笑顔を見るたびに胸の奥へ甘い痛みを感じるようになっていく。
年を重ね、シルヴィアが大人になるにつれ、アシルのその想いは強くなっていった。




