病弱な少女
真夜中、ラースがシルヴィアの部屋を訪れた。シルヴィアの専属侍女が恭しくラースを招き入れる。
少し疲れた様子の侍女を気遣うようにラースは尋ねた。
「シルヴィの様子はどう?熱が出たって聞いたけど?」
「思わしくございませんね…。一昨日から熱が下がりませんの…」
侍女はホーローの洗面器を手に持っていた。溶けて小さくなった氷の塊が浮かんでいる。
「申し訳ございません…。一度、水を変えてきたいのですが…」
「構わないよ…。僕がシルヴィを見ているから…」
ラースは足音を忍ばせてシルヴィアが眠っているベッドへ近づいた。
それでも、シルヴィアはラースの存在を感じとったようだ。毛布から大きな瞳を覗かせてシルヴィアはラースの名を呼んだ。
「ラース様…」
少し潤んだ薄紫の眼差しがラースを捉える。
「ああ…。まだ起きていたのかい?」
「今日お戻りになると聞いたので…」
ラースは今年の秋から寄宿学校へ入学する。その手続きのため、数日邸宅を留守にしていた。
「また…。熱を出したんだって?」
「大丈夫…」
心配をかけまいとシルヴィアが微笑む。ラースはその姿が痛々しくて不憫に思った。
「ではないだろう?ゆっくりお休み…。そばにいてあげるから…」
「ありがとう…。ラース様大好き…」
シルヴィアがクレプスキュール侯爵の屋敷で暮らし始めて4年目を迎えた。
幼いシルヴィアは両親を亡くして、精神が不安定だった。それに加え、シルヴィアは母のニナに似たのか、ベッドから離れるのも困難なほど病弱であった。
本来であれば、ラースはもっと早く寄宿学校へ入学する予定であったが、シルヴィアが寂しがらないように入学を遅らせていた。
クレプスキュール侯爵邸であっても家庭教師から十分な教育は受けられる。ただ、寄宿学校も小さな社交場、貴族として交流を広めるために入学は必須なのだ。
春風に散りゆく儚い花が綻ぶように微笑むシルヴィア…。ラースはずっとシルヴィアへ寄り添い支えていたかった。
連日、シルヴィアの看病で疲れているのだろう…。扉の前でうたた寝をしている侍女の肩をラースは優しく揺すった。
目覚めた侍女を動揺させまいと、ラースは自身の唇へ人差し指を当て囁いた。
「今…。シルヴィが眠ったところだから…。静かにね。いつも、シルヴィの世話をしてくれてありがとう。これからもお願いするね…」
明け方、ようやく静かな寝息を立て始めたシルヴィアの部屋を退出する。
シルヴィアが望むので、ラースは彼女が眠りにつくまで手を握っていたのだ。
エントランスホールへと続く階段の上でラースは人の話し声に気づいた。
『…。まだ日も昇っていないうちから…。誰か来たのか…』
「兄上…」
階下に長兄のエドモンの姿を認めて、ラースは兄へ声をかけた。
その声に驚いて、エドモンがラースを振り仰ぐ。エドモンもまたこんな時間に家人が起きていると思っていなかったようだ。
「ああ…。ラースか?」
エドモンも高身長なのだが、その兄の背後に、兄より頭ひとつ分高い影を確認する。
「そちらの方は…」
「私の友人だよ…。ヴィアのために来てくれたんだ…」
エドモンはシルヴィアを親しみを込めてヴィアと呼んでいた。
彼もまたシルヴィアのことを家族として慈しんでおり、シルヴィアの病状を案じていた。
「アプリシアで同じクラスだったんだ。この間、偶然…。王宮で会って…。ヴィアの病のことを聞いてもらったんだよ」
王立アプリシア学院は14才になったラースが、今秋入学する寄宿学校だ。
8才前後からの受け入れが可能だが、多くの貴族子女は11才くらいから入学を希望する。
現在、エドモンはリーヴドール王家の臣下として宰相補佐官の秘書を務めているが、兄も以前は王立アプリシア学園の生徒であった。
「アシルと申します」
名乗った男の漆黒の髪が艶めいている。彫刻のように滑らかな白肌が闇へ浮かぶ。鋭く暗い紫眼がラースの視線と交差した。
クレプスキュール侯爵家の面々は皆、見目麗しいのだが、兄の横に並んでも決して劣らない容姿だとラースは感嘆した。
だが、兄よりもずっと年若く見えた。
「兄上の同級生には見えないね…。随分と…」
「あぁ…。彼は飛び級で…。いわゆる天才なんだよ。同級生だけど、私よりも6歳年下なんだよ…。まぁ、話せばその違和感はないんだけど…」
アシルは事もなげにラースへ告げた。
「お嬢様は魔力過多症かと思われます…」
淡々とした口調にラースは苛立ちを覚えた。
「…。シルヴィは魔法は使えないんだよ。幼い頃、神殿で魔法判定をしてもらったけど、どの属性も持ち合わせていない…」
ノアゼット王国は精霊の加護があり、どの精霊に愛されているのか、国民は神殿で鑑定を受ける義務がある。それは幼少期に行われた。
ラースは風の中位精霊、エドモンは土の高位精霊の加護を得ている。
宿している精霊によって扱える魔法が変わってくるのだが、もちろん、精霊の加護がない、または少ない者は魔法が使えない。
王家は魔法の暴発事故等を防ぐために魔法教育を国民へ施す役目がある。そのため、王立アプリシア学院を設立したのだが、王立アプリシア学院は魔法が扱える者でないと入学できないこともあり、どうしても優越感や劣等感が生まれるのは否めない。
ただし、民を平等に愛するとのレーヴドール王家の始祖の思想に基づき、魔法使いは尊重されるがそうでない者を侮蔑することは、政令により禁止されていた。
「時折、いらっしゃるのです。魔力があっても魔法が扱えなくて体内魔力を蓄積し続け病を発症する方が…。精霊たちも魔力の多さに恐れを感じて近づけない…」
アシルもシルヴィアと同じく濃厚な魔力を持っており、最高位の精霊を従えている。生まれて間もないアシルを魔塔主が保護し、その魔力に気づいたため、魔塔主が自身の数多ある精霊のうち一柱を譲ったのだ。そのため、アシルは魔力過多になることはなかった。
最高位の精霊であればシルヴィアの魔力に馴染むこともできただろうが、それより下位の精霊が加護することは困難だ。
ただ、最高位の精霊に巡り合うことは奇跡に近い。
「それゆえに有り余る魔力で自身を潰していくのです。その方々は皆短命で…。子供のうちに死んでしまうことも…」
アシルの説明を静かに聞いていたラースだったが、怒りが湧き上がり、思わず階段の手すりを拳で打った。
「最悪じゃないか!魔法が使えないんだ!体内の魔力を放出する方法はないじゃないか!」
「大丈夫です。お嬢様の治療のために私は来たのですから…」
紫紺の冷ややかな切れ長の視線がラースを見据える。アシルという男にラースは不信感を持った。
「…。兄上の友人といっても信用できないな…」
「チッ…」
アシルはこれでも魔塔主の愛弟子であり、色々と多忙だ。
今秋からは嫌々ながらも、王立アプリシア学院の魔法科の教師を務めることにもなっている。忙しい合間を縫って、エドモンの頼みを受けたのだ。
「今…。舌打ちしなかったか?」
まだ少年で愛らしい弟が不快感に満ちた翡翠の瞳でアシルを睨みつけている。
大切なシルヴィアの病気のことで気が立って仕方ないのだろう。ラースのこのような態度は珍しかった。
エドモンは苦笑いをしながら、二人の間に割って入った。
「まぁまぁ…。ラース…。これでも彼は優秀なんだよ。学院では…。総合教科で私は首位を保っていたけど、魔法実技ではアシルに勝てたことはないんだ。私が頼み込んで来てもらったんだ…。邪険にしないでくれ…」
ラースはエドモンの言葉に渋々ながら従ったのだった。




