伯爵夫人の生い立ち
「私も辛いわ…。けど、泣き続けるのは身体に毒よ…。可愛らしいお顔がこんなにパンパンになって…」
クレプスキュール侯爵夫人は途方に暮れていた。
数日前、エメヴィベール伯爵夫妻が事故に遭い、一人娘を残して先立ってしまった。
幼い子供が目を腫らして侯爵夫人を見上げている。淡いアメジストのような澄んだ瞳から絶え間なく大粒の滴が流れ、少女の顔は浮腫んでいた。
「おばさま…。わたくしもお父さまとお母さまのところへ行きたい…」
侯爵夫人はシルヴィアの言葉に息を呑んだ。
侯爵夫人自身も親友を亡くし、その死を悼んでいる。
両親とこれから二度と会うことはできないと侯爵夫人はシルヴィアへ伝えた。
シルヴィアが両親の死を理解しているのか定かではないが、彼女の悲しみは計り知れない。泣き疲れて眠っては起き、起きては泣き止まなかった。
『この繊細な子をどう慰めれば良いのかしら…』
エメヴィベール伯爵夫妻に後継者である男児はいないため、今後、エメヴィベール伯爵領はノアゼット王国の君主であるレーヴドール王家の預かりとなる。
クレプスキュール侯爵家の次男ラースとシルヴィアはシルヴィアがまだ母親のお腹にいた頃、女の子であればラースを婿養子にすると約束しており、ラースはシルヴィアと結婚した後にエメヴィベール伯爵の家督を継ぐことが決まっていた。
シルヴィアの母が身体が弱かったため、二度の出産は耐えられないだろうと医師に告げられていたからだ。
クレプスキュール侯爵はエメヴィベール伯爵領を結婚後ラースが恙なく引き継げるよう打診するために王宮へ登城していた。
侯爵夫人はシルヴィアを膝の上に乗せて優しく抱きしめる。
黒のウールのドレスがシルヴィアの涙や鼻水で汚れてしまったが、彼女は気に留めなかった。
「それはダメよ…。そんなことを言ったら…。天国の二人が悲しむわ…」
「くふっ…。ひくっ…ふぅっ…。くっ…」
上質のコットンで作られたハンカチを、侯爵夫人はそっとシルヴィアの目元へ押し当てる。
シルヴィアの涙は止まる気配がない。
そこへ執事に連れられて、ラースが部屋へ入ってきた。
シルヴィアは侯爵夫人の胸へ顔を寄せて、しばらくしゃくり泣いた。侯爵夫人はシルヴィアの背中を何度も優しく撫でる。
ラースは辛抱強く二人の前で待機していた。何気なく、シルヴィアは後ろを振り向いた。
柔らかな巻き毛が窓から差し込む陽光に金色に照らされ、エメラルドによく似た綺麗な眼差しが心配そうにシルヴィアを見つめている。
「初めまして…」
ほのかに赤い唇から言葉がこぼれた。
シルヴィアは美しいその男の子に一瞬見とれた。驚いたシルヴィアのしゃっくりが止まった。
「あなたはだれ?」
黒布のくるみボタンのついた深緑の上着にチャコールの膝丈パンツを合わせた少年は小さな淑女へ会釈した。
「僕はラース…。ラース・クレプスキュールだよ。僕の婚約者は可愛らしい方だね…。ご両親のことは残念だったけど…。今日から僕らが君の家族だから…」
シルヴィアの濡れた髪が額に張りついているのを確認して、ラースはそっと銀色の毛先をつまみ整えた。
「ふっく…。こんやくしゃ…。んっ…。かぞく…」
シルヴィアは6歳になったばかりだ。不可解な言葉に困惑して侯爵夫人を仰ぎ見た。侯爵夫人は微笑む。
「シルヴィアは今日からこの屋敷で私たちと一緒に過ごすのよ…。家族になるの…」
シルヴィアがきょとんと目を丸く見開く。薄紅にも近い淡い藤色の瞳に侯爵夫人が映った。
「そうだよ…。君が君のお母様のお腹へいたときから決まっていたことなんだ。女の子であれば…。僕の婚約者になるって…。将来は僕のお嫁さんになるんだから…。家族だよね…」
「お父さま…。お母さまは…」
まだ頬に涙の跡が残る幼いシルヴィアをラースは不憫に思った。小さな手を包み自身の頬に寄せた。
「まだ、お側には行けないけど…。僕らが寂しくないように一緒にいるから…」
シルヴィアは目をぱちぱちと瞬く。
その仕草に侯爵夫人は切なくなった。シルヴィアの母もこうした癖があったからだ。
これからは自分たちが親友の代わりにシルヴィアを立派に育てていこうと改めて決心する。
「貴女は病弱だから、ニナ…。貴女のお母様は貴女を心配して、貴女を伯爵邸から外へ出さなかったの…」
侯爵夫人は静かに耳を傾けるシルヴィアの額へ接吻した。
「ラースは『はじめまして…』と挨拶したけれど…。実は貴女が生まれたばかりのときにラースと一緒にご挨拶に伺ったことがあるのよ」
「ほ…んと…?」
侯爵夫人の言葉に、シルヴィアはラースへ視線を移した。ラースは覚えていなかったらしく首を傾げた。
息子の愛らしい瞳を見つめて、侯爵夫人はラースの髪を指ですくった。
「まだ、貴方は小さかったから…。忘れていて無理はないわね。でも、私は忘れないわ…。あのとき、将来…。この愛しい赤子は私たちの家族になるんだって思ったもの…」
シルヴィアは頭から水滴が降ってきて驚いた。侯爵夫人の目から頬をつたい涙が落ちてくる。
シルヴィアを抱きかかえ、幸せそうなニナに会った日が昨日のことだったように甦る。
「ごめんなさいね。ふふ…」
「おばさま…。泣かないで…」
侯爵夫人を見上げて、シルヴィアはその胸へ顔を埋める。
今度は侯爵夫人をシルヴィアが慰めたのだった。




