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【完結】エメヴィベール伯爵夫人の魔法庭園  作者: 礼三


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15/18

伯爵夫人の最期

 記憶とは恐ろしいものだ…。

 いつまで経っても、思い出の中のラースは優しく、裏切られた今でさえ、恋しくて愛おしい…。


 今日もエメヴィベール伯爵庭園は美しい花々が咲き乱れている。

 あれはいつだったか…。

 まだ、シルヴィアがラースと結婚してから間もなかったときだ。


「素晴らしい景色だね…。この花々を見ていると癒されるよ…」


「本当?」


「多分…。この花々にシルヴィの魔力が宿っているからだろうね…」


「?」


「君に包まれているようで心地がいいんだ…」


 ラースの目元に皺が刻まれる。

 秋風に遊ばれ、舞い踊る紅いサザンカの花びらが黄昏の空へ溶けていく。並んだ夫婦の影法師が重なった。

 シルヴィアにとって、その言葉は忘れられない祝福となった…。否、呪いの言葉になってしまったのかもしれない。


『もっと、この花壇へ花を咲かせれば、ラース様は喜んでくれる』


 シルヴィアはラースの満面の笑顔をもう一度取り戻したかった。

 

『それは…。叶わなかったけど…』


 静まりかえった深夜…。

 シルヴィアはゆっくりとベッドから起き上がった。

 シルヴィアの視線は窓際に置いてある鉢へと向いていた。薔薇の株の一つを鉢へ植え替え、使用人に運んでもらったものだ。

 アシルから魔力放出の手解きを受けて、一番最初に咲かせた花だった。

 シルヴィアはサイドテーブルの引き出しへ仕舞っていた薬瓶を取り出し、鉢へと注ぐ。

 星明かりに浮かびあがった青い薔薇が艶を増し輝きだした。


『あの天使…。あれはきっと先生だわ…。先生が恋しくて幻想を見たのかと思っていたけれど…。ふふ…。子供の姿にまでなって…。私を助けてくれようとしたのね…』


 アシルからの恋情にシルヴィアが気づくことはなかったが、肉親のような温かな存在であったのは確かだ。


「先生…。ありがとうございました」


 小さな輝きが際限なく空を飾っているのを見て、アシルへと想いを馳せる。

 シルヴィアにとって、アシルは道標のような星だ。

 シルヴィアの心の空洞をたくさんの明かりで満たしてくれたアシルはそんな存在だった。

 天使の少年と会話を交わした日の夜、アシルが消えた空の彼方を眺めて、シルヴィアは一人呟いた。


「先生…。花の手入れが疎かになって枯れてしまっては困るの…。ラース様が私にくれたものを…。私は枯らしたくないのです…」



 そして日に日に、シルヴィアは弱っていった…。

 執事長はその状況をラースに手紙で知らせた。

 

『奥様は子供の頃と同じような病を患い苦しんでおられ、旦那様にお会いしたいと心より望んでいらっしゃいます。一度、領地へ戻ってきていただけないでしょうか?』

 

 シルヴィアの病は回復している。執事まで利用して年少期の思い出を持ち出し同情を引こうとは浅はかなものだとラースは都合のいいように解釈した。

 その後、エメヴィベールからの書簡をラースは全て封を切ることもなく捨てた。


 そして…。

 シルヴィアは危篤になった。


「お義母(かあ)様!まだ!まだっ、行かないでください!」


 シルヴィアがゆっくりと瞼を開くと寄宿学校にいるはずのルーネがシルヴィアの冷たい指先を握りしめていた。

 ルーネはシルヴィアの父方の伯母の長男で、エメヴィベール伯爵家の養子となった。

 ルーネの実家であるメテオール子爵家は年の離れた姉が既に結婚して夫が婿養子に入っている。

 シルヴィアは孤児院の子供たちと違い、次期エメヴィベール当主としてルーネを厳しく教育してきた。ルーネから見て時には冷たく感じたこともあるはずだ。

 憎まれても仕方ないとシルヴィアは思っていたが、深い灰褐色の前髪の隙間から覗く潤んだ鳶色の瞳からはそれが感じられなかった。

 シルヴィアの容態が悪化したと聞き、ルーネは試験期間中にもかかわらず、アプリシアから急遽戻ってきたのだ。


「ダメ…で…しょ…。ちゃ…んと…しけ…ん」


 ルーネは努力して学年10位以内を常に維持していたが、今期は順位を落とすことになるだろう。


「何を仰っているのですか?たかが試験で?僕にとってお義母(かあ)様!の方が大事です…。だから…」


 執事長が暗い面持ちで立ち尽くしている。その傍らの老紳士が首を横へ振っていた。シルヴィアの専属医師だ…。

 シルヴィアは周囲を見渡したがラースの姿はなかった。


『私が死んでも彼は傷つかないはず…。虚しいわね…。それでも、私の死が…。少しでも彼の記憶にとどまるといいのに…。そんなことを…。望んでしまう私は…』

 

 メイドがシルヴィアのベッド端へ駆け寄る。

 

「奥様!奥様!しっかりしてくださいませ…」


 メイドの肩を侍女が抱く。シルヴィアの位置から表情は確認できなかったが、侍女の肩は震えていた。

 メイドの目から滝のような涙が頬へ流れるのを確認して、シルヴィアは笑った…。


「…ふっ…はっ…。まぁ……。こん…な…にめ……を……はら…………せ……」


 両親を亡くした頃の自分のようだとシルヴィアはメイドの頬へもう片方の手を伸ばすが行方が定まらない。シルヴィアの視界が薄らと霞んでいく。

 痩せ細った白い手がシーツの上へ力尽きて垂れ落ちた。

 エメヴィベール伯爵夫人の寝室の前では、使用人たちの啜り泣きが響いたのだった…。

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