伯爵夫人の日常
木枯らしが吹く季節…。頬には冷たい風が吹きつける。それでも、エメヴィベール伯爵邸の庭園は香り高い花々が年中通して咲き誇っていた。
子供たちは頬を林檎のように赤く染め、白い息を吐いていたが、花壇の間の石畳で出来た小道を元気よく走り回っている。
浅紫の水晶のような瞳を瞬かせ、子供たちの姿を邸宅のバルコニーから微笑みながら見守っていた一人の夫人。陽の光で煌めいた艶やかな白銀の髪を腰まで垂らし幸せそうに目の前の光景を眺めている。
彼女の名前はシルヴィア・エメヴィベール。この館の女主人である。
シルヴィアの魔力によって保たれているこの庭園は色々な花が咲き乱れる。シルヴィアは夫である伯爵のラースから贈られた庭園を宝物のように愛していた。
だが、彼女はこの庭を独り占めすることなく、誰でも行き来ができるように常に門戸を開いていた。
ラースとの間に子はいない。王都に滞在する夫はエメヴィベール伯爵領地へ滅多に戻ることはなかった。
伯爵家の後継は必要なため、エメヴィベール家の傍系から養子を迎えていたが、彼も一昨年より寄宿学校で過ごしている。
シルヴィアは寂しさを紛らわせるために邸宅へ子供たちを招待していた。近くの孤児院から子供たちを呼んでは定期的にお茶会を開いているのだ。シルヴィアにとって子供たちの笑顔は慰めになっていた。
だが、シルヴィアがお茶会に参加することはなかった。
「わあぁ!この花!虹色だよ!」
「紫陽花だよね…。この季節に?それに…。虹色って初めて見たよ」
『姉妹かしら…』
鮮やかな虹色をした紫陽花の前で、お互いの顔を見合わせて仲良く手を繋いでいた少女たちへとシルヴィアは視線を移した。
「いちごのドロップのような…。オレンジのジュースのような…。うーーん、それとも桃かな?甘い匂いがするよ…」
「紫陽花はそんな香りはしないと思うけど…」
「嗅いでみてよ!」
「ホントだ…」
感動した少女は目を大きく見開いて驚く。その様子を窺いながら、夫人の口元が緩む。
エメヴィベール伯爵家の庭園はシルヴィアの魔力と繋がっており、虹色の紫陽花もその一つではあるが、希少とされている色々な花が個性を主張し、存在感を示している。
世には存在しないという青薔薇、仄かに淡い銀色を放つ百合…。空色の桜なども人々の目を楽しませる。
「このお菓子美味しいね!」
庭園の東屋のテーブルでは、お菓子をのせたスリーティアーズを囲んで子供たちが騒いでいる。
「まって!ボクのもおいといてよ!」
テーブルの高さまで、まだ背丈の足りない幼子が背伸びをして声高に叫んだ。
近くにいた侍従が腕を伸ばし、子供を脇から支え抱きあげる。
「たくさん、ありますから…。喧嘩なさらないように…」
嬉しそうに子供はマカロンを手に取る。子供は抱えてくれた侍従へ満面の笑みを向けてお礼を言った。
「ありがとう…。お兄ちゃん…」
侍従の顔が赤く染まり、恥じらうように目を逸らす。
「どういたしまして……」
かの侍従はかつてシルヴィアが頻繁に訪れていた孤児院から、使用人として採用した少年だ。月日は流れて今では使用人たちから頼られる立派な青年となった。
『あの子は…。確か…。フルールと同期だったわね…』
どこからか、花びらが一枚飛んできて、シルヴィアのドレスへ滑り落ちた。真珠のように軽やかな明るい灰色の上に鮮やかな真紅が際立つ。
シルヴィアはそっと払いのけた。
苦いものがシルヴィアの心の内へと押し寄せ、じんわりと沁みて広がっていく。
シルヴィアの顔が曇ったことに、傍へ控えていた侍女が気づいた。
「奥様?いかがなさいました?」
怪訝そうに顔を覗きこむ侍女へ、シルヴィアは平静を装った。
「ふふ…。子供たちは今日も元気ね。お菓子は足りているのかしら?」
どうやら、主人は先ほどの子供たちを見て、満遍なくお菓子が行き渡っているか心配していたようだと…、侍女は解釈した。
「使用人たちには丁重にお客様をもてなすように伝えております。皆、奥様のおかげでお茶会を楽しんでいるようですよ」
「ふふ…。それは何よりだわ…」
侍女はシルヴィアの唇が青紫色へ変色していることを見て取り尋ねた。
「奥様…。寒くはございませんか?お部屋へ戻りましょう…」
「平気よ…」
侍女は厚手のブランケットをシルヴィアの肩へかけると告げた。
「お茶が冷めてしまいましたね…。新しいものをお注ぎいたします」
「ありがとう…」
シルヴィアは柔らかく微笑んだ。侍女はその儚さに胸を痛めた。
シルヴィアはこの秋の誕生日で36歳になった。慎ましやかな佇まいで気品あふれる美しさはあるものの、シルヴィアは実際の年齢よりも老け込んでいる。
シルヴィアの夫ラースはエメヴィベール領地にある邸宅を長く離れていた。王都の屋敷へ若い愛人を囲っているのだ。
愛人は昔この庭に遊びに来ていた孤児で歌が上手なことがシルヴィアの目に留まり、夫人の後援で今や王都で一番人気のオペラ歌手として活躍している。
シルヴィアが彼女をラースに紹介したのだが、それがきっかけとなって愛人関係が始まった。
『どうしてこのような優しい奥様を蔑ろにできるのかしら…』
若い女に現を抜かす領主のことが侍女は信じられなかった。




