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第9話:村長の憂鬱と、赤き血の予告状

 スライムたちとの「ヌルヌル交渉」で岩塩と謎の美容液ミネラルエキスを手に入れてから、数日が過ぎた。

 オークの村は、平和と、食欲をそそる香りに包まれていた。

 今朝の広場の風景も、以前とは様変わりしている。


『うめぇぇぇ! あかん、舌が肥えてもうた! もう前の泥スープには絶対に戻れんで!』

『塩味がキリッとしとるのに、口当たりがまろやかや! トロトロやで!』


 大鍋を囲むオークたちが、椀を舐め回すようにしてスープを飲んでいる。

 岩塩の塩気と、スライムエキスの出汁のような旨味が合わさり、ただの野菜スープが極上のポトフに進化していたのだ。

 この数日で、村人たちの肌ツヤも良くなり、みんなが気さくに話しかけてくれるようになった。美味しい食事は、心に余裕を生むらしい。


 俺もログハウスの縁側で、熱々のスープを啜った。

 美味い。身体の芯から温まる。

 衣食住のレベルが上がり、俺の村での立場も「凄腕の相談役」として定着しつつある。

 もう、追放された時の絶望感はない。ここで生きていくのも悪くない。


 そう思ってのんびりしていた、その時だった。

 ドスドスドスッ!

 地面を揺らすような足音が、平和な朝の空気を引き裂いた。


『レ、レン! レン兄ちゃん! おるか!?』


 血相を変えて飛び込んできたのは、義兄弟のゴウダだった。

 いつもの快活な笑顔はない。緑色の顔色が、青ざめて土気色になっている。


「どうしたんだ、ゴウダはん。また誰かが腰を痛めたのか? 湿布なら作り置きがあるぞ」

『ちゃう! 腰痛どころの騒ぎやない! 緊急事態や!』


 ゴウダが俺の肩を掴んで揺さぶった。力が強すぎて首がもげそうだ。


「痛い痛い! 落ち着けって! 何があったんだ?」

『村長がお呼びや! 今すぐ屋敷に来てくれ!』


 村長。

 この村の長にして、魔王軍の幹部クラスの実力を持つオーク・ジェネラルだ。

 以前会った時は、見た目の威圧感とは裏腹に、重度の胃痛持ちでメンタルが豆腐だったが。


「村長が? 胃薬が切れたのか?」

『それもあるかもしれんけど、もっとヤバイ案件や! ……人間からの『予告状』が届いたんや』

「予告状?」

『せや。とにかく来てくれ! 村の存亡に関わるんや!』


 俺は飲みかけのスープを置き、ゴウダに引かれて走り出した。



 村の最奥に位置する村長の屋敷。

 巨大な岩山をくり抜いて作られたその場所は、今日は普段以上に重苦しい空気が漂っていた。

 入り口を守る親衛隊のオークたちも、ガタガタと震えている。

 中に入ると、異様な光景が広がっていた。


 円卓を囲むように、村の幹部たちが深刻な顔で座っている。

 そして、一段高い玉座には、身長3メートルを超える巨躯、村長が座っていた。

 全身を覆う黒光りする鎧。兜の隙間から光る赤い眼光。

 その姿はまさしく魔王軍の将軍だ。


「ヴォォォ……グルルルルゥ……」


 村長が低く唸った。

 ただの人間なら、その音圧だけで失神するだろう。

 だが、俺のスキル【万国理解】は、その唸り声に含まれる真意を、容赦なく翻訳して脳内に流し込んだ。


『――あかん……もうあかん……胃が……胃が雑巾絞りみたいになっとる……。誰か胃薬もっとらんか……? もう布団かぶって寝たい』


 ……完全に参っている。

 村長は巨大な手で腹を押さえ、脂汗を流していた。

 周囲の幹部たちもパニック状態だ。


『どないするんや、これ。どう見ても『終わり』の合図やろ』

『ワシら、ここで死ぬんか?』

『子供たちだけは逃がさな……』


 ゴウダが俺を前に押し出した。


『村長! レンを連れてきました!』


 村長がビクリと反応し、ゆっくりと顔を上げた。


『おお……レン殿か……。よう来てくれた……』


 村長の声は震えていた。威厳のかけらもない。


『ワシら、もうアカンかもしれん。この村もおしまいや……』

「一体何があったんですか? 人間からの予告状とお聞きしましたが」

『これを見てみい……』


 村長が震える指先で示したのは、円卓の中央に置かれた一枚の紙だった。

 少し黄ばんだ羊皮紙だ。

 俺は円卓に近づき、その紙を覗き込んだ。


 そこには、王国の公用語で何かが書かれている。

 だが、俺が内容を読み取る前に、横にいた参謀役のオーク(片方のレンズが割れた眼鏡をかけている)が、悲鳴のような解説を始めた。


『見ろ、レン! この禍々しい『赤文字』を!』


 参謀が指差したのは、紙の上部に大きく書かれた赤い文字だ。


「赤文字ですね」

『赤は血の色! これは人間たちからの『血の宣戦布告』に違いないんや! しかも、ただの戦争ちゃうで。『皆殺し』の予告や! さらに、この下にある紋章を見ろ!』


 参謀が指差したのは、紙の下部に描かれたイラストだ。


『燃え盛る炎の中に、苦悶の表情を浮かべる精霊の姿……! これは『焦土作戦』の象徴! 『この森を焼き払い、お前たちを消し炭にしてやる』というメッセージや!』


 幹部たちが頭を抱えて悲鳴を上げる。


『ひえぇぇぇ! 焼き討ちやて!?』

『火攻めか! 森ごと焼かれたら逃げ場がないで!』


 村長に至っては、白目を剥いて泡を吹きかけている。


『うぅ……ワシはええ。ワシはどうなってもええ。せやけど、村の子供たちだけは……! みんな、すまんな……ワシが不甲斐ないばっかりに……!』


 彼らは本気で、人類軍による総攻撃が始まると信じ込んでいるのだ。

 一枚の紙切れが、彼らの恐怖心によって「死の宣告書」に変換されてしまっている。

 このままでは、パニックになった彼らが暴走し、逆にこちらから人里へ先制攻撃を仕掛けてしまうかもしれない。それはマズい。


 俺は深呼吸をして、改めてその紙を手に取った。

 翻訳スキルなど使うまでもない。母国語だ。


 そこに書かれていたのは、こうだ。


『【重要】秋の火災予防運動実施中!』

『~空気乾燥、火の用心。森でのタバコのポイ捨ては厳禁です~』

『王都消防団・第4分団』


 そして、参謀が「苦悶の表情を浮かべる精霊」と恐れた紋章。

 それは、王都の公式マスコットキャラクター「消火くん」だった。

 炎の精霊が、水をかぶって「シュン」としている可愛らしいイラストだ。


 ……。

 俺は脱力した。

 宣戦布告でもなければ、皆殺しの予告状でもない。

 ただの、季節のお知らせだ。

 風に乗ってここまで飛んできたか、あるいは森に入った冒険者が落としていったものだろう。

 しかし、文字の読めない彼らにとって、赤い文字は「血」、火のイラストは「火攻め」に見えてしまったのだ。


 村長が、縋るような目で俺を見上げる。


『……ど、どうや、レン殿。なんて書いてあるんや? やはり『焼き尽くす』とか書いてあるんか?』


 ゴウダも棍棒を握りしめ、決意の表情をしている。

 彼らの悲壮な覚悟が痛いほど伝わってくる。


 ここで「火の用心のポスターですよ」と真実を告げたらどうなる?

 彼らは安堵するだろう。だが、同時に自分たちの勘違いを恥じ、プライドがズタズタになる。

 「火の用心ポスター一枚にビビりまくって泣いた将軍」として、村長の威厳は地に落ちるだろう。それはあまりにも可哀想だ。

 かといって、「死の宣告です」と嘘をつけば戦争になる。


 嘘をつかず、かつ彼らのプライドを守り、平和的な解決へ導く「超訳」が必要だ。


 俺は意を決して、紙を円卓に戻した。

 そして、眉間に皺を寄せ、できるだけ深刻な表情を作った。


「村長、そして皆の衆。……覚悟して聞いてください」


 ゴクリ。全員が唾を飲み込む。


「この紙には……王国からの『最後通牒』が記されています」

『ひぃっ! やっぱりか!』


 悲鳴が上がるのを手で制し、俺は続けた。


「ですが、これは戦争の予告ではありません。彼らは、我々にある『条件』を突きつけてきているのです。それは、我々の『生活態度』を試す、高度で精神的な要求です」


 嘘は言っていない。「火の不始末をするな」という条件だ。


『じょ、条件? なんやそれは? 金か? 土地か?』

「いいえ。彼らはこう言っています。『森を愛せよ。炎を御せよ。さもなくば……』と」


 俺の翻訳(超意訳)に、オークたちはポカンとした。

 沈黙を破ったのは、意外にも参謀役のオークだった。

 彼は割れた眼鏡をクイッと押し上げ、ハッとした表情で膝を打った。


『な、なるほど……! 読めたで! これは高度な政治的メッセージや!』

『ど、どういうことや参謀?』


 村長がおろおろと尋ねる。


『人間たちは、武力による制圧ではなく、精神的な服従を求めてきとるんや。『火の扱い』っちゅうのはメタファー(暗喩)や。つまり、『お前たちの野蛮な衝動(炎)をコントロールできる理性があるなら、共存を認めてやろう』っちゅう、上から目線のテストなんや!』


 ……すごい解釈だ。

 「火の用心」ポスターが、いつの間にか文明度を測るテストになってしまった。

 だが、この流れは悪くない。


『そ、そうか! そういうことか!』

『さすが参謀や!』


 幹部たちも納得し始めた。俺はすかさず乗っかった。


「その通りです。彼らは我々を試しています。もしここでボヤ騒ぎでも起こせば、『やはり魔物は野蛮だ、駆除せよ』となるでしょう。逆に、完璧な防火管理を見せつければ、彼らも手出しはできません」


 村長が、希望の光を見出したように目を輝かせた。


『つまり……戦争は回避できるんか? ワシらが『お行儀よく』しとればええんか?』

「はい。この通牒は、我々が人間社会のルールを理解していることを示す、最高のチャンスです」


 村長の巨体が、安堵でふにゃりと崩れた。


『よ、よかったぁぁぁぁ……!! 死なんで済むんや……! ワシの胃も助かったわぁ!』

『村長、泣かないでください!』


 歓喜に包まれる円卓会議。

 誰もが安堵の息を吐き、抱き合っている。

 

「というわけで、村長。早速ですが対策を練りましょう」

『おう! なんでもやるで! 何をすればええんや?』


「徹底的な防火訓練』です。村の火の扱いを見直し、万が一の火災にも即座に対応できる組織を作る。それが彼らへの回答になります」


『防火訓練……! なるほど、守りを固めるわけやな!』

『よし、ゴウダ! お前を『消防隊長』に任命する! 村の火元を徹底的に管理せよ!』


 ゴウダがビシッと敬礼した。


『了解しました! レン兄ちゃん、手伝ってくれ! ワシらオークの底力、人間に見せつけたるで!』

「ああ、任せろ。最高の消防団を作ろう」


 こうして、オークの村における、史上初にして最大規模の「防災訓練プロジェクト」が始動することになった。


 その時、部屋の隅からクスクスという笑い声が聞こえた。

 影の中から、ダークエルフのセレーネと、その取り巻きたちが姿を現した。

 彼女たちは先日以来、俺の料理とゴウダのマッサージ目当てに、「監視」という名目で村に入り浸っているのだ。


「フッ……滑稽だな、オークども。人間の一枚の紙切れに右往左往するとは」


 セレーネが冷ややかに言う。


「セレーネ様、聞いていたんですか?」

「ああ、全てな。貴様の『翻訳』の鮮やかさ、見事だったぞ。あの紙切れ、ただの『注意書き』だろう?」


 バレていた。やはり彼女には通じないか。

 俺は人差し指を口元に当てて「しーっ」と合図した。

 セレーネはニヤリと笑った。


「だが……『火を御する』か。悪くない響きだ。我ら『深淵の三連星』も、この試練に参加してやろうではないか」

(面白そうだから混ぜて! 私たちも暇なのよ! それに綺麗な村の方が住みやすいし!)

「助かります。水魔法が使える人が必要だったんです」

「フン、感謝するがよい。世界を浄化するついでだ」


 どうやら、彼女たちも巻き込んでの大掛かりなイベントになりそうだ。

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