第6話:豆腐メンタルの将軍と、物置小屋のビフォーアフター
村長の屋敷は、村の最奥、岩山をくり抜いて作られた巨大な洞窟の前に建っていた。
巨大な黒曜石を積み上げて作られたその威容は、まさに「魔王軍の前線基地」と呼ぶにふさわしい。入り口には禍々《まがまが》しいドクロの旗が掲げられ、周囲には鋭利な杭が張り巡らされている。
俺は、ゴウダの後ろについて歩きながら、再び胃がキリキリと痛むのを感じていた。
さっきの広場での一件で、村人たちの警戒心はある程度解けた。だが、組織のトップがどう出るかは別問題だ。
村長は「オーク・ジェネラル(将軍)」だという。通常のオークを遥かに凌駕する戦闘力と統率力を持ち、その一振りは岩盤をも砕くと言われる上位魔族だ。
ゴウダは「メンタルが豆腐」だと言っていたが、それはあくまで身内からの評価だろう。人間である俺に対しては、容赦なくその巨大な剣を振り下ろしてくるかもしれない。
『ここや。入るでー』
ゴウダが遠慮なく、巨大な鉄の扉を押し開けた。
ズズズ……と重々しい音が響き、薄暗い謁見の間が姿を現す。
部屋の両脇には、屈強な親衛隊のオークたちが整列し、殺気を放っている。そして、部屋の最奥。一段高くなった玉座に、その巨体は鎮座していた。
デカい。
ゴウダも大きいが、あそこに座っているのは桁が違う。身長は優に3メートルを超えているだろう。
全身を覆うのは、黒光りするミスリルの重装鎧。兜の隙間からは、紅蓮の炎のような眼光が漏れ出ている。膝の上には、身の丈ほどもある巨大な両手剣が置かれていた。
圧倒的な強者のオーラ。これこそが、魔王軍の将軍だ。
「グルゥゥゥゥ……」
玉座の魔人が、低く唸った。
空気がビリビリと震える。親衛隊たちが一斉に緊張して姿勢を正す。
俺は生唾を飲み込んだ。これは、まずいかもしれない。殺される。
『村長! ゴウダです! お客さん連れてきました!』
ゴウダが呑気に声をかけると、将軍がゆっくりと顔を上げた。その隻眼が、俺を射抜くように捉える。
「ヴォォォォォォォッ!!」
鼓膜が破れそうな咆哮。
普通の人間なら、これだけで腰を抜かして気絶するだろう。勇者アレックスでさえ、剣を構えて警戒するレベルの威圧感だ。
だが。
俺のスキル【万国理解】は、その恐ろしい咆哮の裏にある「真実の叫び」を、残酷なほど鮮明に翻訳して脳内に流し込んだ。
『――ひぃぃぃっ! 人間!? なんでここに人間がおるん!? アカン、心臓止まるかと思ったわ! まさか勇者の斥候か!? それとも近隣住民からのクレームか!? あぁ……胃が……胃がキリキリするぅ……! 誰か胃薬……いや、もう帰って寝たい……布団かぶりたい……』
……。
俺は呆気にとられた。
完全に参っている。
威圧感マックスの見た目に反して、中身は重度のストレス社会に疲弊した中間管理職そのものだった。
ゴウダが俺の背中を押した。
『ほら、レン兄ちゃん。挨拶や』
俺は意を決して前に進み出た。ここでビビってはいけない。相手は怖がっているのだ。ならば、安心させてやればいい。
「お初にお目にかかります、将軍閣下。私はレンと申します」
俺が恭しく礼をすると、将軍がビクリと肩を震わせた。
『――しゃ、喋った! しかも礼儀正しい! どうしよう、ワシどういう顔すればええんや? 威厳保たなアカンよな? でも怖い……人間怖い……』
心の声がダダ漏れだ。
俺は微笑みを浮かべ、続けた。
「ゴウダはん、いえ、ゴウダ殿に命を救われ、この村まで同行させていただきました。決して敵対する意思はございません。むしろ、皆様の生活のお役に立ちたいと考えております」
「グルル……?(……ほんまか? 嘘ちゃうか? あとで王都の騎士団連れてきたりせぇへんか?)」
疑心暗鬼になっている将軍に、俺は懐から「あるもの」を取り出した。
それは、俺が常備薬として持っていた、胃腸薬だ。薬草を調合し、飲みやすいように丸薬にしたものだ。
「閣下。お見受けしたところ、少々お疲れのご様子。……胃の辺りに、差し込むような痛みがおありではありませんか?」
将軍の目が、カッと見開かれた。
『――な、なんで分かったんや!? ワシがここ数日、ストレス性胃炎で夜も眠れんことを! エスパーか!?』
「顔色が悪うございますからね。……これをどうぞ。気休めかもしれませんが、痛みは和らぐはずです」
俺が小瓶を差し出すと、親衛隊が止めようとしたが、将軍はそれを制して震える手で受け取った。そして、恐る恐る中身を口に放り込んだ。
数秒後。
薬草の成分が効き始めたのか、将軍の強張っていた表情が、ふにゃりと緩んだ。
『――お、おお……! 痛みが……スーッと引いていく……! 魔法か!? いや、これは……癒やしや……!』
将軍は感涙にむせびながら、俺の手を両手で握りしめてきた。その手は大きくてゴツゴツしているが、震えていた。
「ヴォォォォ……(おおきに……ほんまにおおきに……! あんた、ええ人やな……! 疑ってすまんかった……!)」
「いえ、お役に立てて光栄です」
こうして、俺は魔王軍幹部であるジェネラル・オークとのファーストコンタクトを、胃薬ひとつで乗り切ったのだった。
なお、彼はその後、1時間ほど俺に「中間管理職の辛さ」について愚痴り続けた。魔王様からの無茶振りなノルマ、部下のオークたちの粗相、そして近隣のダークエルフとの領地問題……。
俺はひたすら「大変ですね」「ご苦労なさってますね」と相槌を打ち続け、解放される頃にはすっかり「頼れる相談相手」としての地位を確立していた。
◇
正式に滞在許可が下りたところで、次は衣食住の「住」の確保だ。
ゴウダが「兄ちゃんにピッタリの物件がある!」と自信満々に案内してくれたのだが……。
『ほな、ここが今日から兄ちゃんの家や!』
村の北外れ。ゴミ捨て場の隣にひっそりと佇む、そのあばら家を見て、俺は絶句した。
壁は板がめくれ上がって隙間だらけ。屋根の藁は半分以上が抜け落ちて、青空が丸見えになっている。入り口の扉に至っては、蝶番が錆び付いて外れかけ、斜めに傾いでいた。
床は腐り落ち、キノコが生えている。
これは家ではない。朽ち果てた物置だ。いや、物置としても機能していない。ただの産業廃棄物だ。
『……すまんなぁ。急やったから空き家がここしかなくて。……住めるか?』
ゴウダが申し訳なさそうに頭をかきながら言う。
彼は本当に悪気がないのだ。オークたちにとって、雨風さえ防げれば(防げてないが)それでいいという感覚なのだろう。
俺はため息をつきかけ、飲み込んだ。
ここで文句を言うのは簡単だ。だが、それでは何も変わらない。
俺は腕をまくった。
「いや、上等だよゴウダはん。雨風がしのげる土台があるだけマシだ。それに、これくらいなら俺の手でなんとかなる」
俺は冒険者になる前、大工だった父を手伝っていた経験がある。
それに、勇者パーティでの野営地設営で、サバイバル建築の腕も磨かれていた。
あの我儘なアレックスやマリアが「テントが狭い」「床が硬い」と文句を言うたびに、俺はその場で快適な空間を作り上げてきたのだ。
それに比べれば、資材があるだけマシだ。
『ほんまか! 手伝うで! 力仕事なら任しとき!』
「じゃあ、さっきの森で『丈夫ツタ』を追加で採ってきてくれ。あと、手頃な太さの丸太を数本。それと、あの泥沼の泥も少し欲しい。粘土代わりに使う」
『了解や! 資材調達班、出動するで!』
ゴウダが嬉々として森へ走っていく。
俺は残された道具袋から、錆びた釘の入った小袋(勇者パーティの荷物補修用に持っていた予備だ)と、金槌代わりの手頃な石を取り出した。
さあ、リフォーム大作戦の開始だ。
まずは傾いた柱の補強からだ。
腐った土台部分を切り落とし、ゴウダが持ってきた新しい丸太を継ぎ足す。継ぎ手の加工は、ナイフ一本で行う。
木材の繊維を読み、正確な角度で切り込みを入れる。この集中力が心地いい。
勇者パーティでは「雑用」と蔑まれたこの技術が、ここでは俺の家を作る。
通りがかったオークたちが、物珍しそうに足を止めて見物し始めた。
最初は「人間がなんかやっとるぞ」「どうせすぐ壊すやろ」といった冷ややかな視線だった。
だが、俺が楔を打ち込み、柱を垂直に立て直した瞬間、空気が変わった。
『おい見ろや、あの人間。道具の使い方が堂に入っとるで』
『あんな細い腕で、丸太をピタリと合わせよったぞ』
俺は気にせず作業を続ける。
壁の隙間には、森で集めた苔を詰め込み、その上からゴウダが持ってきた泥を塗り固める。この泥は乾くと陶器のように硬くなる性質があるらしい。断熱材と漆喰の役割を同時に果たすわけだ。
次に屋根だ。
抜け落ちた部分に新しい枝を渡し、丈夫ツタで編み込む。雨漏りを防ぐため、大きな葉を瓦のように重ねていく。
最後に、外れかけた扉の修理だ。
錆びた蝶番を外し、油を差して叩き直す。
そして、新しい板を当てがい、釘を打つ。
トントン、カンッ!
リズムよく石を振り下ろす。
釘は抵抗なく、真っ直ぐに板に吸い込まれていく。一発で、完璧に固定された。
「おおぉぉーっ!!」
背後でどよめきが起きた。
振り返ると、いつの間にか20人以上のオークたちが集まり、目を輝かせて拍手しているではないか。
『今の見たか!? 一撃や! 釘が吸い込まれるように入っていったで!』
『あんな細工、ワシらの太い指じゃ無理や! まさに『匠の技』や!』
『兄ちゃん、すげぇな! 魔法か!? 建築魔法か!?』
……ただ釘を打っただけなのだが。
どうやらオークたちは怪力自慢が多く、破壊するのは得意だが、こうした繊細な「創造」の作業は苦手らしい。彼らの太い指では、小さな釘をつまむことすら難しいのだ。
彼らにとって、俺の技術は高度な魔法のように映るようだ。
ゴウダが鼻高々に胸を張る。
『見ろや! これがワシの兄弟分の実力や! 凄いやろ!』
すると、見物人の中から一人の戦士が進み出てきた。手には柄の折れた戦斧を持っている。
『兄ちゃん……いや、匠! 頼みがあるんや! ワシの斧の柄、ガタつくんやけど直してくれへんか? これがないと仕事にならんのや』
『ズルいわ! ウチの雨漏りの方が先や! 屋根直してーな!』
『俺の鎧の留め具が壊れたんや! 直せるか!?」
次々と仕事の依頼が舞い込んでくる。
俺は苦笑しながらも、どこか誇らしい気分だった。
勇者パーティでは、どれだけ完璧に仕事をしても「当たり前」だと言われ、感謝の言葉一つなかった。むしろ「遅い」「雑だ」と罵られた。
だがここでは、俺の技術が必要とされ、感謝されている。
自分の価値を認められることが、こんなにも嬉しいとは。
「分かった分かった。順番な。ゴウダはん、受付頼んでいいか?」
『おう! マネージャー業務やな! 任しとき! 一列に並べぇ!』
夕暮れ時。
隙間風だらけだった物置小屋は、見違えるような快適なログハウスへと生まれ変わっていた。
壁は泥で綺麗にコーティングされ、屋根は新しく葺き替えられ、ドアはスムーズに開閉する。窓には木枠をはめ込み、風通しも確保した。
入り口には、余った板で作った表札も掛けた。『レンの万事屋』。
まだ家具は何もないが、ここは間違いなく俺の城だ。
『完成やなぁ! これは宴会や! 祝い酒や!』
ゴウダが勝手に盛り上がっている。
村のオークたちも、俺の仕事ぶりに感心し、それぞれ自慢の酒や食料を持ち寄って集まり始めた。
『レン! これ食え! 猪の燻製や!』
『ウチの自家製どぶろく、飲むか?』
いつの間にか、俺を呼ぶ声から「人間」という蔑称が消え、名前で呼ばれるようになっていた。
広場に大きな焚き火が焚かれ、歓迎の宴が始まる。
俺は完成した我が家を見上げ、満足感に浸った。
さて、宴の始まりだ。
……と思ったが、出されたスープの強烈な匂いに、俺の嗅覚が警報を鳴らした。
『ほら、レン! これが今日のメインディッシュ、ワシらオーク族の伝統料理『大地のスープ』や!』
ゴウダが満面の笑みで差し出してきたのは、巨大な木の椀だった。
中身は……ドロリとした灰色の液体。
具材は何かの根菜と肉片のようだが、煮崩れて原型を留めていない。
そして何より、鼻を突く匂い。
それは、雨上がりのグラウンドの匂いというか、端的に言えば「泥」の匂いだった。
『冷めんうちに食うてくれ! 滋養強壮にええで!』
ゴウダだけでなく、周囲のオークたちも期待に満ちた目で俺を見ている。
これは断れない。彼らにとっての最高級の「おもてなし」なのだ。
俺は覚悟を決めた。
勇者パーティでの過酷な旅で、ゲテモノ料理にはある程度耐性がついているはずだ。アレックスが食料を川に落とした時、コケを煮て食べたこともある。
いける。いけるはずだ。
俺はスプーンで灰色のアレを掬い、意を決して口に運んだ。
――ズズッ。
……口の中に広がる、圧倒的な「土」感。
ジャリッという砂の食感。
そして、素材の味を殺し合うかのような、生臭さとエグみ。
味付けは……ほぼない。強いて言えば、素材から出た微かな塩分と、泥の風味のみだ。
(ま、まずい……! これはアカン! 不味すぎる! 舌が痺れるレベルだ! 胃が拒絶反応を起こしてる!)
俺は必死の形相で飲み込んだ。
喉を通る時の抵抗感がすごい。まるでセメントを飲んでいるようだ。
『どや? 美味いやろ?』
ゴウダが無邪気に聞いてくる。
彼らにとっては、これがご馳走なのだ。
だが、俺には無理だ。これを毎日食べる生活なんて、絶対に耐えられない。
住環境は改善した。次は食環境だ。
俺は笑顔(のつもりだが、多分ひきつっている)で答えた。
「あ、ああ……。野性味あふれる、力強い味だね……。大地を感じるよ……」
俺の心の中で、新たな決意が芽生えた。
この村の食文化を、俺の手で革命してやる。
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