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第5話:オークの井戸端会議と、平和すぎる魔物の村

 太陽が中天を過ぎた頃。

 俺とゴウダは、ついに目的地である「オークの村」の入り口にたどり着いた。


 村を囲っているのは、手頃な太さの丸太を適当に地面に突き刺し、つたで結わえただけの「簡易な柵」だった。高さは俺の背丈より少し高い程度。


『着いたでー。ここがワシらの村や』


 ゴウダは何食わぬ顔で、その頼りない柵の切れ目にある門へと近づいていく。

 入り口の両脇には、革の腰巻きに簡素な肩当てをつけただけの歩哨が二人、あくびを噛み殺しながら立っていた。手には武器として、使い込まれた石斧を持っているが、その切っ先は地面に向けられ、やる気は感じられない。



「グルルルルゥ……(あー、腰痛いわ。あと何分で交代や?)」

「ヴォォォ……(知らんがな。さっき交代したばっかやろ。我慢せぇ)」


 俺の脳内に、彼らの気怠げな会話が翻訳されて響く。

 彼らのどんよりとした瞳が、こちらに向けられた。


『――おっ、ゴウダさんお疲れっす! お帰りなさい! 今日の巡回、遅かったっすねぇ。奥さん心配してましたよ?』


 ……軽い。

 見た目は厳ついオークなのに、ノリが完全に「バイト終わりの先輩を迎える後輩」のそれだ。


『おう、ちょっとな。色々あってん。あ、これお土産の木の実。休憩中に食い』

『うっひょー! マジっすか! 『森のオヤツ』じゃないっすか! あざーっす!』


 ゴウダが木の実を投げ渡すと、門番は斧を地面に置いて嬉しそうにキャッチした。

 もう一人の門番が、ゴウダの背後に隠れるように立っている俺の存在に気づいた。空気がピリッと変わる。


『……ん? えっ、ゴウダさん。その後ろの小さいの……人間っすよね?』


 門番の声色が、明らかに低くなった。


『人間……生きてる人間っすか。え、捕虜? それとも今日の晩飯?』


 門番の目が、「労働力」か「食材」を見る目に変わる。

 生々しい欲望を含んだ視線に、俺の背筋が凍りついた。

 俺が後ずさりしようとした時、ゴウダが俺の前に割って入った。


『アホか! 誰が食うか! お客さんや!』


 ゴウダは大声で一喝した。


『この兄ちゃんはな、レン言うて、ワシの命の恩人なんや! ワシの長年の腰痛を治してくれた『名医』なんやぞ!』


 名医。

 その単語が出た瞬間、門番たちの雰囲気が劇的に変化した。


『め、名医!? マジっすか! ゴウダさんのあの頑固な腰痛を!?』

『せ、先生! 実は俺も最近、この柵の杭打ち作業で五十肩が酷くて……腕がここまでしか上がらないんすよ! 診てもらえますか!?』


 門番が必死の形相で訴えてくる。

 俺は呆気にとられながらも、とりあえず愛想笑いを浮かべて頷いた。


「あ、あー……はい。あとで時間がある時に診ますよ。湿布の材料があれば作れますし」

『うおおお! 神! あなたは神っすか! ありがとうございます!』

『どうぞどうぞ! お通りください! 先生、あとで詰め所寄ってくださいね! お茶出しますから!』


 門番たちが満面の笑み(牙むき出しだが)で敬礼し、粗末な木の柵をどかして道を開けてくれた。


 柵の中に入ると、そこには外観通りの質素な光景が広がっていた。

 立ち並ぶ家々は、木と泥で作られた簡素なもので、あちこち修繕の跡がある。

 しかし、空気は平和そのものだった。

 中央広場には石組みの古びた井戸があり、そこには洗濯桶や野菜かごを持った女性オークたちが集まっていた。

 彼女たちの腕は丸太のように太く、エプロン代わりの獣皮には返り血のようなシミがついているが、その会話内容は極めて所帯じみていた。


 俺の耳に飛び込んできたのは、殺伐とした作戦会議ではなく、ごく普通の井戸端会議だった。


『――ほんま、ウチの旦那には困ったもんやわ。昨日の晩御飯、奮発して猪の丸焼きにしたんやけど、「焼き加減が甘い」とか文句言うねん。腹立つわぁ』

『――わかるわぁ。男ってなんでああ味にうるさいんやろね。ウチなんか、「最近肉が少ないから元気出えへん」とか贅沢言うて。売れ残りの特売肉で我慢せぇっちゅうねん』


『――あら、そういえばあそこの肉屋、今日リザードマンの尻尾肉が安売りしてるらしいで?』


 ……完全に、下町の奥様方の会話だ。トーンは近所の奥様方そのものだ。

 足元では、子供のオークたちが泥団子を作って遊んでいる。


『ママ見てー!』

『あら上手ねぇ。でも泥だらけで家に入ったら承知せえへんで!』


 平和だ。あまりにも平和すぎる。

 俺が知っている「魔物の巣窟」のイメージと、目の前の光景が乖離かいりしすぎていて、脳の処理が追いつかない。


 しかし、そんな穏やかな空気は、一人の子供がゴウダの影に隠れていた俺に気づいた瞬間に一変した。

 子供が俺と目が合う。数秒の沈黙。

 子供の目が恐怖に見開かれ、次の瞬間、火がついたように泣き出した。


『うわぁぁぁぁん! ママー! 人間がいるー! 人間がいるよぉぉぉ!』


 その叫び声が、広場中に響き渡った。

 瞬間、時間が止まったかのように静寂が訪れる。

 井戸端会議をしていた奥様方が血相を変えて振り返り、子供を背に隠す。杭打ち作業をしていた戦士たちが、ハンマーを握りしめて立ち上がる。


『……人間?』

『なんで人間がおるんや!? 襲撃か!?』

『子供らを守れ! 殺せ!』


 ざわめきが怒号に変わり、殺気が物理的な圧となって押し寄せてきた。

 オークたちが、武器を構えてジリジリと包囲網を縮めてくる。

 その目は、先ほどまでの穏やかな隣人の目ではない。自分たちのささやかな生活を脅かす「侵略者」を見る、敵意に満ちた目だ。


 俺の喉がひゅっと鳴る。

 言葉が分かるとはいえ、数的な暴力の前では無力だ。


 ドォォォォォン!!


 地面を揺るがすような衝撃音と共に、飛び出してきた戦士が横合いから吹き飛ばされた。

 砂煙が舞う中、俺の前に仁王立ちしたのは、ゴウダだった。

 彼は手にした棍棒を地面に突き立て、周囲を威圧するように吠えた。


『やめんかァァァァッ!!』


 その声は、ただの大声ではない。腹の底から響く、ドスの利いた一喝だ。

 広場の空気がビリビリと震え、興奮していたオークたちが足を止める。


『ゴウダさん!?』


 ゴウダは俺の肩に大きな手を置き、自分の身体に引き寄せるようにして宣言した。


『みんな、よう聞け! この人間はレン兄ちゃん言うてな、悪い奴ちゃうんや!』


 ゴウダの声は真剣だった。


『こいつは、ワシの長年の腰痛を治してくれて、しかもワシらの言葉が分かるんや! ワシの『兄弟分』なんや!』


 俺は震える足を叱咤しったして、ゴウダの隣に並んだ。俺自身の言葉で伝えないと。

 俺は深呼吸をして、翻訳スキルを全開にし、覚えたてのオーク語(関西弁)で声を張り上げた。


「あー……皆さん、初めまして! レンと言います!」


 俺の声に、全員がギョッとした。


「私は戦いに来たんじゃありません。ゴウダはんに助けられて、ここに来ました。……あの、怪しい者じゃないです」


 シーンと静まり返る広場。

 やがて、先ほど「焼き加減が甘い」と愚痴っていた奥様オークが、おずおずと声を上げた。


『……あんた、ほんまに言葉が分かるんか?』

「はい。奥さん、昨日の晩御飯は猪の丸焼きでしたよね? 旦那さんが文句言って大変だったとか」


 俺が次々と言い当てると、村人たちの警戒心は、驚きと好奇心へと変わっていった。

 殺気立った空気は霧散し、代わりに「なんやこいつ、おもろいな」「人間にも話の通じる奴がおるんか」というヒソヒソ話が広がる。


 ゴウダがニッと笑い、俺の背中をバンと叩いた。


『な? 言うたやろ? こいつはスゲー奴なんや』


 俺は痛む背中をさすりながら、ようやく安堵の息をついた。

 なんとか、第一関門は突破したようだ。

 ゴウダは俺を促して、さらに奥へと歩き出した。


『よし、みんな納得してくれたみたいやな。……ほな、次は村長のとこ行くで』

「村長……怖い人なのか?」

『いや、見た目はゴツイけどな……メンタルが豆腐なんや。今は特に『胃が痛い』って寝込んどるかもしれん』

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