第4話:混沌の闇鍋と、包帯の下の真実
ダークエルフの姫君セレーネたちとの「キノコ戦争」は、俺の提案により「即席ランチ会」へと姿を変えた。
場所は、森の中の少し開けた河原。
俺とゴウダは手早く石を組んで竈を作り、枯れ枝を集めて焚き火を起こした。パチパチと薪が爆ぜる音が、心地よく響く。
一方、セレーネたち「深淵の三連星」は、少し離れた岩の上にマントを敷き、体育座りをしてこちらを監視している。
「フッ……見せてもらおうか、人間。貴様らが紡ぐ『錬金術(料理)』の力とやらを」
セレーネが腕を組み、上から目線で言った。
俺は微笑んで頷き、調理を開始した。
今日のメニューは、「干し肉」と、現地調達した毒キノコ「シビレタケ」、ニンニク、森の香草で作る、「地獄のピリ辛薬膳スープ」だ。
まずは下ごしらえだ。
ゴウダが巨大なナイフでシビレタケを刻む。
『ええか、シビレタケはな、この石突きの部分に毒が溜まっとるんや。ここを丁寧に切り落とすのがコツやで』
ゴウダはキノコを処理していく。
俺は鍋に香草とニンニクを投入する。
ジュワァッ!
食欲をそそる強烈な香りが爆発的に広がる。
背後で、ゴクリと誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。
振り返らなくても分かる。セレーネたちだ。
「……フッ。始まったか。人間による『混沌の調合』が。あの鍋から立ち昇る白煙……あれはただの煙ではないな?」
右側の包帯少女が答える。
「ハッ、姫様。あれは……『魂を焦がす誘惑の香気』……! 私の鼻腔粘膜が歓喜の悲鳴を上げております……!」
左側の鎖鎌少女も続く。
「ククク……空腹という名の魔獣が、私の胃袋の中で暴れだしましたわ……。早く……早くその混沌を鎮めなければ……!」
俺の脳内翻訳スキルが、彼女たちの心の声を淡々と字幕のように流す。
『――うわぁぁぁ! ニンニクの匂い! ヤバイ! これ絶対美味しいやつじゃん!』
『――お腹グーグー鳴ってるのバレてないかな? 早く食べたい!』
『――もう無理、ヨダレ垂れそう。お昼抜きだったから死にそう!』
俺は苦笑を噛み殺し、シビレタケを投入し、強火で炒める。ここでしっかり火を通すことで、毒成分が分解され、痺れるような辛味成分へと変化するのだ。
最後に水と干し肉を入れ、グツグツと煮込む。
『なあ、レン兄ちゃん』
ゴウダが小声で耳打ちしてきた。
『あのお嬢ちゃんら、さっきからブツブツ何言うとるんや? 「混沌」とか「魔獣」とか。ワシらの料理、気に入らんのか?』
「いや、逆だ。あれは彼女たちなりの『最上級の期待表現』だよ。お腹が空きすぎて、詩的な表現になっちゃってるんだ」
『ほんまか? エルフってのは難儀な生き物やなぁ』
数十分後。
鍋の中は、赤黒く濁った、いかにも禍々しい色に変貌していた。
見た目は完全に「魔女の毒薬」だが、香りは極上だ。
「お待たせしました。『常闇の晩餐』の完成です」
俺が木の椀によそって差し出すと、三人はおずおずと受け取った。
セレーネが椀の中を覗き込む。
「……赤黒い。まるで地獄の血の池のようだ。……だが、香りは悪くない。我が魂が求めているのを感じる」
彼女はスプーンですくい、フーフーと息を吹きかけ、恐る恐る口に運んだ。
パクッ。
一瞬の静寂。
セレーネの目がカッと見開かれた。
「……ッ!!」
無言で二口、三口と進める。スプーンの速度が加速していく。
取り巻きの二人も同様だ。一心不乱に食べている。
そして、完食した後、セレーネは震える声で呟いた。
「口内に広がる……業火の如き衝撃……! 舌が、喉が、焼かれるようだ……! だが、その痛みが……快感へと変わる……! これは、禁断の味覚革命……!」
右の少女が叫ぶ。
「肉の繊維が……解ける! 口の中で、死した獣が蘇り、私の舌の上で狂喜乱舞しているわ! これが『死者蘇生』の味わいなのね!」
左の少女も続く。
「スパイスという名の『拷問器具』が、私の味蕾を責め立てる……! ああっ、もっと! もっと刺激を!」
俺の脳内翻訳:
『――めっちゃ美味しい! ピリ辛最高! 汗出てきたけど止まんない!』
『――お肉トロトロ! 干し肉ってこんなに美味しくなるの!? ヤバイ、おかわり欲しい!』
『――この味付け天才的! 毎日食べたい!』
俺はゴウダに向かって親指を立てた。
「大好評だ。『死ぬほど美味い』って言ってる」
『マジか! 表現が物騒すぎて分からんわ! でも、食うてくれたならええわ! おかわりあるでー!』
ゴウダが鍋を持って近づくと、三人は無言で、しかし素早く椀を差し出した。
プライドよりも食欲が勝った瞬間だ。
二杯目を食べ終え、ようやく落ち着きを取り戻した頃、セレーネが咳払いを一つして、もじもじと俺の方を見た。
「……貴様。名はなんと言ったか」
「レンです」
「レンか。……フン、覚えておいてやろう。貴様は、下等な人間にしては、深淵の理(料理のコツ)を心得ているようだ」
彼女はマントの裾をいじりながら、視線を泳がせる。
そして、ふと顔をしかめ、右腕を押さえた。
「くっ……! またか……!」
セレーネが苦悶の表情でうずくまる。
「し、鎮まれ……! 我が右腕に封印されし『黒龍の怨念』よ……! なぜ今、疼き出すのだ……!」
『――いたた……。さっきスプーン持った時、袖が擦れちゃった。昨日転んだところ、かさぶた剥がれたかも。痛いよぉ』
俺は道具袋から救急セットを取り出し、彼女の前に跪いた。
ここが信頼を勝ち取る正念場だ。
彼女の「設定」を崩さず、かつ適切な処置をしなければならない。
「セレーネ様。……『封印』が緩んでいるようですね」
俺が真剣な顔で言うと、セレーネがビクリと肩を震わせた。
「き、貴様……見えるのか? この腕から立ち昇る瘴気が」
「ええ、はっきりと。放置すれば、闇の力(バイ菌)が全身を蝕むでしょう。私が、再封印の儀式(消毒と包帯交換)を執り行いましょうか?」
セレーネは少し迷ったようだが、痛みに耐えかねて右腕を差し出した。
「……よかろう。貴様の魔力(医療知識)、見せてもらおうか。ただし、失敗すれば貴様の腕をもらうぞ」
「肝に銘じます」
俺は慎重に、彼女の右腕に巻かれた薄汚れた包帯を解いた。
下から現れたのは、色白の細い腕。そして肘のあたりに、赤く擦りむいた傷跡があった。泥が少し入り込み、炎症を起こしかけている。
俺は洗浄液(清潔な水と薬草の絞り汁)を含ませた布を取り出した。
「少し、浄化の痛み(しみるの)が走りますよ。耐えてください」
「フン、我は『断罪者』ぞ。これしきの痛み……んぐぅッ!?」
傷口を拭いた瞬間、セレーネが可愛らしい悲鳴を上げて身を硬くした。目尻に涙が浮かぶ。
『――痛い痛い痛い! しみるぅぅ! ママァ!』
俺は手早く汚れを拭き取り、軟膏(薬草ペースト)を塗った。
ひんやりとした感触に、セレーネの力が抜ける。
「……ほう。痛みが……引いていく。冷気属性の治癒魔法か?」
「ええ。そして最後に、聖なる布で封印を固定します」
俺は新しい包帯を、手際よく、しかしきっちりと巻いた。最後に端を止め、ポンと軽く叩く。
「儀式完了です。これで黒龍も、数日はおとなしくしているでしょう」
セレーネは、新しくなった真っ白な包帯を見つめ、腕を動かした。
痛みはないようだ。彼女は頬を染め、ボソリと言った。
「……悪くない。貴様、なかなか手際が良いな。……その、なんだ。……感謝してやらんでもない」
『――ありがとう! すごい楽になった! それに、こんなに優しく手当てされたの初めて……。人間って野蛮だと思ってたけど、レンは違うかも。……ていうか、手握られちゃった。ドキドキする』
俺が微笑んで立ち上がると、セレーネは慌ててマントで顔を隠した。
彼女は仲間の二人に目配せをし、立ち上がった。
「用は済んだ! 我らはこれにて『常闇の揺り籠(自宅)』へ帰還する!」
バサァッ! とマントを翻す。
「レン、そしてゴウダよ! 今日の供物、大儀であった! ……また、新たな混沌が生み出された時は……我を召喚するがよい! 必ずだぞ!」
そう言い残すと、彼女たちは森の奥へと姿を消した。
後に残されたのは、空になった鍋と、呆然とするゴウダ、そして苦笑する俺だけだ。
『……なんやったんや、あいつら。嵐みたいやったな』
ゴウダが頭を掻く。
「まあ、悪い子たちじゃなさそうだ。仲良くなれそうだよ」
『ほんまか? あの言い回し、レン兄ちゃんがおらんと会話成立せんで、あれ』
「大丈夫。美味しいご飯があれば、言葉なんて二の次さ」
俺は空になった鍋を見つめた。
言葉が通じないと思われていた異種族同士が、同じ釜の飯を食い、笑い合った(厨二病的表現ではあったが)。
確かな手応えがあった。
俺のスキル【万国理解】は、ただ言葉を訳すだけじゃない。心の距離を縮めるための道具なのだ。
「さあ、片付けたら村へ案内してくれ」
『おう! 村に着いたら、兄ちゃんの料理の腕前、みんなに自慢したるわ!』
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