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第36話:魔王からの勅命と、空飛ぶ要塞

第36話 魔王からの勅命と、空飛ぶ要塞


 オークの村の広場は、朝から爽やかな活気と、規律正しい熱気に包まれていた。

 本日は、カーミラこと「桃色吐息」先生の待望の新刊発売日。

 長蛇の列を作った魔物たちが、今か今かと販売開始を待っていた。


「お待たせしました! 新刊『聖騎士団長の陥落 ~涙の誓いと朝チュン~』、販売開始です!」


 俺の声と共に、列が動き出す。

 売り場に立っているのは、4人の男女――元勇者アレックスとその仲間たちだった。

 だが、彼らの姿は以前のような薄汚れたものではない。

 清潔な制服に身を包み、肌は温泉効果でツヤツヤと輝き、髪はトリートメントでサラサラだ。目の下に隈など一つもない。


「はい、いらっしゃいませ! こちら新刊になります! 特典ペーパーも封入済みです!」

「釣り銭ですわね、ご確認くださいまし。……ふふっ、良い天気ですわね」


 アレックスとマリアが、完璧な営業スマイルで本を渡し、銀貨を受け取る。

 彼らの動きには無駄がなく、洗練されている。


「おいアレックス、休憩時間だぞ。交代だ」

「おお、すまないガイル。……ふぅ、労働の後のマンドラゴラ茶は美味いな」


 バックヤードに下がったアレックスが、爽やかに汗を拭う。

 彼らはここ数日、カーミラの「修羅場」に付き合わされていたはずだが、その実態は俺が導入した「超ホワイト進行」だった。


「くっ……! 悔しいが、身体の調子がすこぶる良い……!」


 アレックスが拳を震わせる。


「一日8時間労働、完全週休二日制、さらに三食昼寝・天然温泉付きだと……!? 勇者パーティ時代より遥かに健康的じゃないか!」

「そうですわね……。以前は野宿で泥水をすすっていたのが嘘のようですわ。昨日の夕食に出た『マンドラゴラのポトフ』、絶品でしたわね」


 マリアも悔しそうに、しかし肌を輝かせながら同意する。

 彼らは奴隷契約を結ばされているが、その労働環境は村の福利厚生基準(俺が制定)に準拠しているため、皮肉にも人生で最も健康的な生活を送っていたのだ。

 ただ一つ、「プライド」が削られていることを除けば。


「オーッホッホ! 飛ぶように売れるわ! やっぱり万全の体調で仕上げた原稿は線にキレがあるわね!」


 彼らの背後で、カーミラが高らかに笑っていた。

 彼女もまた、計画的な進行のおかげで肌荒れ一つない。

 平和だ。あまりにも平和でホワイトな朝だ。

 このまま何事もなく、平穏なスローライフが続く――はずだった。


 バサササッ!


 突如、上空から影が舞い降りた。

 翼を持つ魔物、ハーピーだ。

 彼女は広場の中央に着地すると、カーミラを見つけ、恭しく膝をついた。


「四天王カーミラ様、申し上げます!」


 カーミラが扇子を閉じる。


「あら、魔王城からの使い? ファンレターなら後にしてちょうだい。今は販売で忙しいの」

「いえ、魔王様より直々の『勅命』をお持ちいたしました」


 伝令官の言葉に、場の空気が凍りついた。

 勅命。それは絶対的な命令を意味する。

 伝令官は懐から羊皮紙を取り出し、読み上げた。


「『海種族による海上封鎖を直ちに解決し、塩と海産物の交易を再開せよ』。……魔王様は新鮮な刺し身を所望されております」


 俺は眉をひそめた。塩と海産物。

 確かに、最近コボルトの行商人が「塩の仕入れ値が上がって困る」とぼやいていた。


 伝令官は一呼吸置き、さらに厳粛な声で続けた。


「なお、任務達成までの間、カーミラ様の次回作出版は『無期限停止』となります」


「……うそ」


 カーミラはその場に崩れ落ち、絶叫した。


「い、嫌ぁぁぁぁぁッ!! 無期限停止処分ですってぇぇぇ!?」


「……無慈悲すぎる」


 失敗のペナルティが「作家生命の危機」。

 伝令官は申し訳なさそうに頭を下げた。


「カーミラ様、どうかご容赦を」


 カーミラが俺の足にすがりつく。


「お願いレンさん! 一緒に行って! 私、交渉ごとは苦手なの! すぐに『じゃあ身体で払って』って言っちゃうし、海の人たちって言葉が独特だし……! 貴方だけが頼りなの!」


 ここで断れば、彼女が暴走して国際問題に発展し、俺たちのホワイトな生活基盤も崩壊する。

 行くしかないだろう。


「分かりました。行きましょう」


 俺が頷くと、それを聞いていた仲間たちが集まってきた。


「待て。愚かなる夢魔よ、その不浄なる肢体をレンに這わせるでない」


 ダークエルフのセレーネが、眼帯を押さえながら現れる。


「『海淵アビス・オーシャン』への遠征だと? フン、世界の果て、深き青の牢獄か……。我が右腕に封印されし『黒龍の怨嗟』が、『その地にて因果を断て』と疼いてやまぬ……!」

(意訳:海に行くんでしょ? 面白そうだから私も連れて行きなさいよ)


『レン兄ちゃん! 海には未知の強敵がおるらしいな! 義兄弟として、兄ちゃんの背中はワシが守ったる!』


 ハイ・オークのゴウダも棍棒を担いでやる気満々だ。

 さらに、空中に半透明の少女、バンシーのルルネが現れる。


「プロデューサー! 私も行きます! しばらくライブの予定ないですし、海に向かってシャウトして肺活量を鍛えたいんです! ヴォォォォッ!!」


 賑やかなパーティになりそうだ。

 すると、カーミラが売り子をしていた勇者たちの方を振り返り、ニッコリと笑った。


「貴方たちも行くのよ? アレックス、ガイル、マリア、リナ」


 健康的になりすぎて逆に不気味なほどツヤツヤしている4人が、ビクリと反応した。


「えっ……お、俺たちもか……? 勘弁してくれ……せっかくシフトに慣れてきたのに……」


 アレックスが困惑する。だが、カーミラは容赦なかった。


「何言ってるの? 海よ? シチュエーションの宝庫じゃない! 『波打ち際で濡れる騎士』、『洞窟で身を寄せ合う二人』……描きたい構図が山ほどあるわ! 貴方たちは私の『画材』として同行する義務があるの!」


「ひぃっ! ま、またポージングか……!」

「健康的な肉体になったのは、そのための布石だったのか……!」


 彼らは絶望したが、契約書がある以上逆らえない。


「ちょうどよかったわね。海への移動用に、ドワーフたちに特注で作らせていた『移動要塞』が、明日の朝に届く手はずになってるの。今日はしっかり準備して、明日の朝出発よ!」


「あ、明日……? 移動要塞……?」



 翌朝。

 村の広場に集まった俺たちは、朝日の中にそびえ立つ「それ」を見て、言葉を失った。


 デカい。あまりにもデカい。

 それはもはや「輿」ではなかった。空飛ぶ「一軒家」と呼ぶべきサイズだ。

 執筆部屋、寝室、キッチン、複数の客室まで完備されているらしい。


 だが、問題はその構造ではない。


 外壁の全てに、極彩色のラッピングが施されていたのだ。

 大ヒット作『聖騎士団長の憂鬱』のイラスト――オーク将軍に壁ドンされ、涙目で頬を染める騎士団長(元勇者アレックス激似)の顔が、建物の側面いっぱいに描かれていた。


 アレックスの涙の粒の一つ一つまで鮮明に描かれた、巨大な壁画。

 朝日を浴びて、その「萌え」と「尊さ」が神々しく輝いている。


 いわゆる――『巨大痛要塞』だった。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 アレックスが絶叫し、膝から崩れ落ちた。


「な、なんだあれは! 俺の泣き顔が! あんなサイズで! 空を飛ぶのか!?」

「アレックス……ドンマイだ。すごく綺麗に描かれてるぜ……」

「尊い……! 巨大な供給ですわ!」

「空飛ぶ聖地巡礼ね……!」


 ガイルが同情し、マリアとリナが拝み始める。


 セレーネはその場で顔を覆い、呻いた。


「ぐっ……! 視界が……! 我が『深淵の魔眼』をもってしても処理しきれぬほどの色彩の暴力……! これは精神を汚染する禁忌の術式か!? いや、それ以前に……恥辱という名の業火に焼かれるようだ!」

(意訳:うわ、趣味悪っ! 目がチカチカするわ! あんなのに乗るの!? 恥ずかしくて死にそう!)


 カーミラは誇らしげに胸を張った。


「ふふん、凄いでしょ? 飛行用に軽量素材で作らせたのよ。移動しながら宣伝もできるし、中で執筆もできる完璧なアトリエよ! さあ、乗りなさい!」


 要塞を持ち上げるのは、50体以上のガーゴイルの群れだ。ワイヤーが軋む音が聞こえる。

 俺たちは羞恥心で顔を覆いながら(アレックスは白目を剥きながら)、その巨大な痛い箱の中へと乗り込んだ。



 上空数十メートル。

 安定飛行に入った『痛要塞』は、快適な居住空間となっていた。


「あぁん……レンさん、揺れるからもっと近くに来て……?」


 カーミラが、広いソファで俺の隣に座ろうと密着してくる。


「離れろ、この色彩感覚の狂った淫魔め! レンの隣は、世界の監視者たる私の『絶対領域サンクチュアリ』だ! 貴様のような不浄な存在が触れれば、世界の理が崩壊するぞ!」

(意訳:ちょっと! くっつかないでよ! そこは私の場所なんだから!)


 セレーネが俺の反対側の腕をガッチリとホールドし、カーミラを牽制する。

 俺はため息をつき、真顔で話し始めた。


「カーミラ様。海種族との断交ですが、何か心当たりはないんですか? 例えば、海を汚したとか」


「それがね……本当によく分からないの。一ヶ月前までは、沿岸部の市場で普通に取引してたのよ。魚も貝も、そして塩もね。でも突然、海から使いが来て『陸の者とは絶交だ!』って宣言しちゃったの」


「理由は?」


「『陸の文化は我々には刺激が強すぎる』とか『我々の純潔を守る』とか、そんなことを言ってたらしいわ」


「文化的な衝突、あるいは宗教的なタブーに触れた可能性はありますね。……でも、貿易を止めるというのは、向こうにとっても経済的な打撃のはずだ。それを覚悟してまでやるとは、よほどの事情がある」


 俺は窓の外を見た。

 眼下には緑豊かな森が終わり、広大な砂浜と、その先に広がる蒼い海が見え始めていた。

 だが、その美しい海と陸の境界線に、異様な光景が広がっていた。


 海岸線に沿って、無数の「立て看板」が、バリケードのようにびっしりと突き立てられていたのだ。

 看板は流木や珊瑚で作られており、明らかに強力な拒絶の意志(というか怨念)を放っている。


 巨大な『痛要塞』がズシンと着地すると、地響きと共に砂煙が舞い上がった。

 壁面に描かれた巨大なアレックスの泣き顔が、海に向かって「尊さ」を放射する。


 乱立する看板には、共通語で殴り書きされた文字が躍っていた。


 『陸の者、立ち入り禁止!』

 『不純異性交遊反対! 純愛同性交遊反対!』

 『うちの娘をたぶらかすな!』

 『陸の変な本を流すな!』


「……これ、原因の九割はカーミラの本にある気がするな」


 俺が看板を見て呟くと、カーミラが「えっ、私のせい!?」と目を丸くした。


「フン……。この結界、表層は『絶対拒絶』の概念で塗り固められているが……深層には『孤独なる父性』の波動を感じるぞ。哀れな……」

(意訳:なんかこの壁、怒ってるっていうより、拗ねてる感じがするわね。あと、娘大好きオーラがすごいわ)


 セレーネが壁に手を当てて分析する。


「誰か来るわ!」


 ルルネが叫んだ。

 看板の隙間から、海より上がりし武装した半魚人サハギンの集団が現れた。手には三叉の槍を持ち、殺気立っている。

 

「グルルルルッ! 陸の者は帰れ(けえれ)! ……って、なんだそのデッケェ家は! 壁のその絵は……新手の精神攻撃魔法だべか!?」


 サハギンの隊長が、要塞の壁に描かれた巨大なアレックスの泣き顔を見て慄いている。

 本物のアレックスは、物陰に隠れて「見ないでくれぇぇ!」と頭を抱えている。


 ゴウダが棍棒を構えて前に出るが、俺はそれを手で制した。


「待て、ゴウダはん。まずは対話だ」


 俺は一歩前に進み出た。

 スキル【万国理解】を発動させる。

 彼らの口から出る威嚇の言葉の裏にある、本当の「心の声」を聞くために。


 聞こえてきたのは、予想外の悲鳴だった。


『――頼む! けえってけろ! これ以上仕事を増やさねでけろ!』

『――海王様が娘の家出でヒステリー起こして、オラ達もう3日も寝でねぇんだ! 過労死してまうべ!』

『――陸の文化が見てぇんだ! 本当はオラだって漫画の続きが読みてぇんだぁぁ!』


 ……どうやら、ここでもブラックな労働環境の悲哀が渦巻いているようだ。

 俺はニヤリと笑った。相手が疲弊した労働者なら、俺の得意分野だ。


「皆さん、お疲れ様です。……大変そうですね、その『ヒステリーな上司』と『反抗期の娘さん』の板挟みは」


 驚愕に目を見開く彼らに、俺は最高級の栄養ドリンク(マンドラゴラ配合)を差し出した。


「まずは一本、いかがですか? 疲れた体には効きますよ。……お話、聞きましょうか?」


 こうして、巨大な『痛要塞』をバックにした浜辺での労働相談から、海種族との交渉は幕を開けることになった。


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