第32話:勇者パーティの末路と、奴隷契約のサイン
第一回「魔界コミックマーケット」という名の、知と欲望の祭典が幕を閉じてから数日。
オークの村には、祭りの後の心地よい倦怠感と、確かな充実感が漂っていた。
大量の紙とインク、そして熱狂的な愛が生み出した1000冊の「薄い本(物理的には分厚い)」の印刷代は、村の設備投資に回され、さらなる発展を予感させている。
俺はログハウスの前のベンチに座り、コボルト商会から差し入れられた上等な紅茶を啜っていた。
あの理不尽な追放劇から、俺はここまで来たのだ。
彼らを見返すため、いや、彼らのことなど忘れて自分の人生を生きるために。
だが、そんな穏やかな時間は、唐突な暴力によって破られた。
「――出てこいッ! レン!! 貴様の悪行もここまでだ!!」
耳をつんざくような怒号が村中に響き渡った。
勇者アレックス、戦士ガイル、聖女マリア、魔導師リナ。
かつての仲間たちだ。
だが、その姿はあまりにも無残だった。
アレックスの黄金の髪は数日洗っていないようで束になり、自慢の白銀の鎧は錆と泥でまだら模様になっている。
ガイルに至っては、装備している大剣がボロボロで、服も継ぎ接ぎだらけだ。
マリアとリナの法衣も薄汚れ、とても「聖女」や「賢者」と呼べる代物ではない。
「久しぶりだな、アレックス。随分とワイルドな見た目になったじゃないか」
俺が声をかけると、アレックスは充血した目で俺を睨みつけた。
「黙れ! 誰のせいだと思っている! 貴様が呪いをかけて逃げたからだろうが!」
「呪い? 何の話だ」
「とぼけるな! これを見ろ!」
アレックスが懐から一枚の紙切れを取り出し、俺に投げつけた。
それは先日、村おこしのために配布したコミケのチラシだった。
そこにはカーミラ渾身のイラスト――オーク将軍に壁ドンされ、涙目で頬を染める騎士団長の姿が描かれている。
「なんだ、宣伝チラシか。よく描けてるだろう?」
「ふざけるなぁぁぁっ! これのモデルは俺だろうが! なんで俺がオークなんかに迫られて、しかも満更でもない顔をしてなきゃならないんだ! これは俺への最大の冒涜だ! 精神的攻撃だ!」
「貴様が俺の尊厳を破壊するためにばら撒いた『呪いの絵』だというのは分かっているんだぞ!」
マリアが一歩前に出て、指を突きつけた。
「レン! 単刀直入に言いますわ! 貴方が呪いの絵で作ったお金は、私たちが接収します! そして慰謝料として、貴方は一生私たちの奴隷としてタダ働きなさい!」
「そうだ! ポーションも管理できないような生活はもう嫌なの! レンが全部やりなさいよ!」
リナも駄々をこねる子供のように叫ぶ。
相変わらずだ。自分たちの無能さを棚に上げ、全て俺のせいにしている。
俺は深くため息をついた。
「断る。お前らに渡すものなんて、埃ひとつない」
「交渉決裂か……。なら、力ずくで奪うまでだ! 行くぞガイル!」
アレックスが錆びついた剣を抜き、突っ込んできた。
足元がおぼつかない。重心がブレブレだ。
「死ねぇぇぇッ!」
『させるかボケェッ!』
ドゴォッ!
ゴウダの裏拳が、アレックスの剣を横から弾いた。
アレックスは手首を抑えてうずくまる。
「ぐあっ!? な、なんだこのオーク……速い!」
「オラァッ! 俺の大剣をくらえ!」
ガイルが大剣を振りかぶる。
だが、その刃が振り下ろされる前に、地面から「ぬるり」とした影が飛び出した。
印刷の手伝いに来てくれていたスライムたちだ。
『――おっ、鉄くずや! 錆びてて美味そう!』
『――いただきまーす!』
ジュワワワワ……!
ガイルの大剣が、スライムの酸によって一瞬で溶かされた。
「あ……俺の剣が……!? くそっ、このスライム、俺の剣を食いやがった!」
『錆びの味が染みてて絶品やったで!』
武器を失ったガイルは、スライムたちの弾力ある体当たりを食らい、無様に転がった。
「くそっ……! なんだこの村は! 魔物が強すぎる!」
アレックスが後ずさり、リナを振り返った。
「リナ! 何をしている! 魔法だ! 最大火力で吹き飛ばせ!」
「えっ、でもアレックス! ポーションがないから魔力が……」
「構わん! 残りの魔力を全部使え! 村ごと消し炭にしてしまえ!」
「そ、そんな……」
「やれ! 命令だ!」
リナは半泣きになりながら杖を構えた。
制御も照準もあったものじゃない。ただの暴発だ。
「もう知らない! 全部燃えちゃえ! 『紅蓮の爆炎』ッ!」
杖の先から、歪な形をした巨大な火球が放たれた。
狙いは滅茶苦茶だ。俺たちではなく、広場の端のほうへ飛んでいく。
『させないよッ! プロデューサーに手出しするなーッ!!』
キィィィィィィィィン!!
空から舞い降りたバンシーのアイドル、ルルネが、マイクを構えて超高周波のシャウトを放った。
音の衝撃波が火球の軌道を強引に捻じ曲げる。
そのまま火球は俺たちを通り過ぎ――広場の隅に停められていた、一台の豪奢な「輿」に直撃した。
爆炎が上がり、黒煙が立ち込める。
高価そうな装飾品がバラバラと降ってきた。
一瞬の静寂。 そして。
「……あーあ」
セレーネが、心底憐れむような声を漏らした。
アレックスたち勇者パーティは、まだ事の重大さに気づいていない。
「ちっ、外したか! リナ、次だ! 次を撃て!」
アレックスが叫ぶが、リナはガタガタと震えていた。
爆心地――燃え盛る輿の残骸の中から、ゆらりと立ち上がる人影があったからだ。
サキュバスの女王、カーミラ。
彼女は煤で少し汚れたドレスを払い、燃えカスとなった「何か」を拾い上げた。
それは、輿の装飾に使われていた最高級のベルベット生地の切れ端だった。
「……私のアトリエが」
低く、地を這うような声。
カーミラがゆっくりと顔を上げた。その瞳は、怒りを超えて虚無に近かった。
「続編の……ネームが……。あと少しで神が降りてくるところだったのに……!」
パキィッ。
カーミラの足元の地面が、魔力でひび割れた。
「ねえ、貴方たち。これの被害総額、分かってる?」
「ひ、被害……?」
「特注の移動式アトリエ。内装は防音仕様。機材は全て最新式。……しめて、金貨500枚よ」
「ご、ごひゃくッ!?」
アレックスの目が飛び出した。
「ふ、ふざけるな! 俺は勇者だぞ! 魔王軍の道具を壊して何が悪い! それにそんな大金、払えるわけがないだろう!」
「払えない? 開き直るのね。……いいわ、なら身体で払ってもらうだけよ」
カーミラはニッコリと笑った。
その笑顔は、どんな魔物よりも恐ろしかった。
彼女が指を鳴らすと、虚空からドス黒い瘴気を放つ羊皮紙が現れ、アレックスたちの前にふわふわと浮かんだ。
それはただの紙ではない。表面には血のような赤色で複雑な魔法陣が刻まれ、見る者の精神を蝕むような禍々しいオーラを放っている。
「これは『強制労働契約書』。古代の禁呪が施された特級マジックアイテムよ。一度サインすれば、魂そのものに『隷属の鎖』が食い込むわ。完済するまで私の命令は絶対。拒否すれば脳を焼く激痛が走り、逃亡しようとすれば自動的に心臓が止まる……そういう代物よ」
絶対的な拘束力を持つ、呪いの契約書。
カーミラの背後から、逃げ場のない魔力が噴き出し、物理的な圧となって4人を地面に押し付けた。
サインするか、死か。二つに一つだ。
「サインしないなら……今ここで貴方たちの脳内に直接、『一生オークに追い回される幻覚』を植え付けて、精神崩壊させてあげるわ」
カーミラの目が妖しく光る。
「や、やります! サインしますぅぅ!」
死の恐怖に屈し、アレックスたちは震える手で契約書に拇印を押した。
首筋に「奴隷の紋章」が浮かび上がる。
「よし。これで貴様らは私のモノよ。さあ、男どもは連れてお行き」
「ま、待て! 俺たちに何をさせる気だ!」
「決まっているでしょう? 『専属デッサンモデル』よ。私のアトリエで、来る日も来る日も、私が納得するまで筋肉を収縮させ、苦悶の表情を浮かべ続けるの。死なない程度に餌はあげるわ」
「ひぃぃっ! そんなの拷問じゃないか!」
「離せぇ! 俺は戦士だぞ! モデルなんかできるか!」
二人の男は絶望の叫びを残して、オークたちに引きずられていった。
彼らを待っているのは、終わりのないポージング地獄だ。
そして残されたマリアとリナ。
カーミラは彼女たちを見下ろし、品定めするように目を細めた。
「さて……私の芸術に女は必要ないの。……殺してしまってもいいのだけれど」
「ひぃっ! お助けください!」
「なんでもします! 掃除でも洗濯でも!」
二人が地面に頭を擦り付ける。
カーミラは冷ややかな目で見下ろしていたが、ふと思い出したように、懐から一冊の本を取り出した。
先日完売した『聖騎士団長の憂鬱』だ。
「貴女たち、元仲間なんでしょ? ……これ、読んでみなさい」
マリアとリナは、おずおずと本を受け取った。
表紙には、アレックスそっくりの騎士が、切なげな表情で描かれている。
「こ、これは……アレックス?」
マリアがページをめくる。
そこには、彼女たちが知らない、いや、無意識に見ないようにしていたアレックスの「弱さ」と「脆さ」、そして「被虐的な美しさ」が、圧倒的な画力で描かれていた。
「……あっ」
マリアの手が止まる。頬が赤く染まる。
「この表情……。泥まみれになった時のアレックスより……もっと『キて』ますわ……」
リナも横から覗き込み、息を呑んだ。
「すごい……。いつもの偉そうなアレックスが、こんなに可愛く泣いてる……。なんか、ゾクゾクする……」
二人の瞳に、危険な光が宿った。
それは恐怖ではない。新たな「性癖」の開花だった。
カーミラはそれを見逃さなかった。
「あら? ……素質、あるじゃない」
カーミラが甘い声で囁く。
「ねえ、貴女たち。もっと見たいと思わない? あのプライドの高い勇者様が、理不尽なポーズを強要されて、涙目で耐える姿を」
「み、見たいですわ……! 私、アレックスがあんな顔をするなら……いくらでも協力します!」
「私も! 彼をもっと追い詰めるポーズ、私たちが考案します!」
二人は即座に裏切った。いや、忠誠の対象を「勇者パーティ」から「カーミラの創作活動」へと切り替えたのだ。
「いい子ね。今日から貴女たちは私のアシスタントよ。漫画のサポート、それから彼らを徹底的に『調教』して、最高の表情を引き出しなさい」
「「はいっ! 喜んで!」」
俺は、怯えながら連行されていく男たちの悲鳴と、新たな扉を開いた女たちの歓喜の声を聞きながら、静かに空を見上げた。
「……南無」
勇者パーティは、物理的にも社会的にも、そして精神的にも完全に崩壊した。
『あいつら、殺されるよりはマシちゃうか? 衣食住は保証されとるし』
ゴウダが肩をすくめる。
俺は一部始終を見届け、残った紅茶を飲み干した。
「……そうだな。自業自得だしな」
彼らが俺を追放し、その後も誤り続けた選択の代償は、あまりにも大きく、そして奇妙な形で支払われることになった。




