第29話:アラクネの神業製本と、セレーネの美声
魔導印刷機を5台体制に増設し、「魔導印刷革命」が佳境を迎えていた。
オークの村は、さながら巨大な製紙工場と化していた。
ガシャン、シュッ。ガシャン、シュッ。
広場のあちこちから、5重奏のリズミカルな駆動音が響き渡る。
カーミラ渾身の全60ページ。1000部刷るということは、単純計算で6万枚の紙がここにあることになる。
『おい、レン兄ちゃん。これ、ほんまに終わるんか?』
印刷機のハンドルを回していたゴウダが、積み上がった紙の塔を見上げて言った。
「印刷は順調だ。予定通り、今日中には刷り上がる」
『刷るのはええけどな。これ、バラバラやんか。どうやって『本』にするんや?』
「丁合だよ。ページ順に並べて、背を固めて、表紙をつけて裁断する」
『チョーアイ……?』
ゴウダが首をかしげていると、向こうで作業していた若いオークが声を上げた。
『ああっ! しもた!』
見ると、オークが手に持っていたスライム紙が、無惨に破れていた。
『す、すんません! わざとちゃうんです! ワシの指がソーセージみたいに太いから……! 薄い紙を一枚ずつつまむとか無理なんですわ!』
オークが泣きそうな顔で謝る。
俺は頭を抱えた。
そうだ。彼らは怪力自慢の戦士だ。丸太をへし折ることはできても、薄い紙を60枚きれいに揃えるような繊細な作業は、彼らの指にはハードルが高すぎる。
セレーネと、彼女が呼び寄せた10人のダークエルフたちはどうだ?
俺はインク工房の方を見た。
「くっ……我が魔力が……枯渇する……。これ以上の錬成は、魂を削ることになるぞ……」
(意訳:インク作りと乾燥魔法で疲れちゃった。もう魔力ないわー)
彼女たちは数日間、魔法インクの製造と定着魔法をかけ続けていたため、魔力切れでぐったりしていた。
手先は器用だが、6万枚の紙をさばく体力は残っていないようだ。
「あぁぁぁ! 私の追加した『背中を預けるシーン』が破れたぁぁぁ!」
カーミラが悲鳴を上げ、卒倒しかけている。
まずい。このままでは製本工程で大量のロスが出る。なにより、いつまで経っても完成しない。
俺は疲れ果てて座り込んでいるカーミラに駆け寄った。
「カーミラ先生、相談があります」
「な、なによぅ……。もう原稿は描けないわよ……」
「いえ、原稿じゃなくて人脈の話です。この森に、繊細な作業が得意で、大量生産に向いた手先を持っていて、なおかつ糸や接着剤を扱えるような魔物はいませんか?」
俺の問いかけに、カーミラは眉をひそめて少し考え込んだ。
「繊細で、糸を使う……? それなら、心当たりがあるわ」
彼女は森の北東の方角を指差した。
「『アラクネ』たちよ。あの子たち、普段は引きこもってるけど、すごいお洒落さんでね。自分の糸でドレスを作ったりしてるの。私、たまにデザインの相談に乗ってあげてるのよ」
「アラクネ……! なるほど、蜘蛛の魔物なら手(足)も多いし糸も出せる!」
俺はゴウダを振り返った。
「ゴウダはん、行くぞ。交渉だ」
『えっ、アラクネんとこか!? 嫌やわぁ、あいつら足多いし、ネチャネチャしとるし……』
「文句を言うな。オークの指じゃ本ができないんだ」
◇
森の北東部は薄暗く、木々の間に無数の糸が張り巡らされていた。
俺とゴウダは慎重に足を進める。
『うぅ……気持ち悪ぅ。糸が顔に張り付くわ』
「静かに。主が出てくるぞ」
頭上から、カサカサという音が降ってきた。
「キシャァァァッ!!」
暗闇から現れたのは、上半身が女性、下半身が巨大な蜘蛛の魔物たちだ。10体ほどが俺たちを取り囲む。
『出たぁ! 囲まれたで! レン兄ちゃん、逃げよう!』
「待て。様子がおかしい」
俺はスキル【万国理解】を発動させた。
威嚇しているように見える彼女たちの会話が、クリアに聞こえてくる。
『――アラやだ、お客さん? ちょっと、私まだ眉毛描いてないんだけど』
『――見てよあの子の腰布。サイズ合ってなくない? パツパツじゃない』
『――ねえ、あの人間の男の子の袖口、ほつれてるわよ。気になるわぁ。直してあげたい』
……完全に、井戸端会議をするお針子さんたちだった。
特に最後の一言。職業病が出ている。
俺は咳払いを一つして、声を張り上げた。
「こんにちは、森の織姫様たち。カーミラ様の紹介で来ました」
俺の言葉に、アラクネたちがピタリと止まった。
『――えっ? 人間の男の子? 喋った?』
『――カーミラ姉さんの紹介だって?』
リーダー格と思われる、一際大きなアラクネが、糸を伝って俺の目の前に降りてきた。
黒いドレスのような甲殻を纏った、妖艶な美女だ。
『――あら、カーミラ姉さんの? 人間にしては礼儀正しいわね。何の用?』
「仕事の依頼です。あなた方のその『糸使い』と『繊細な指先』を貸していただきたい」
俺は懐から、印刷された見本紙を取り出した。
リーダーが長い指先でそれを摘む。
『――ふーん。紙を束ねるの? 随分と枚数があるわね』
「6万枚あります。オークの指では破いてしまって話にならないんです」
『――でしょうね。あの子たち、力加減ってものを知らないから』
リーダーは呆れたように笑った。
「報酬は弾みます。村の温泉利用権と、マンドラゴラ。それに……」
『それに?』
「人間の王都で流行している最新のドレスのデザインを教えます」
ザワッ、とアラクネたちが色めき立った。
『――流行!? 人間の王都の!?』
『――聞きたい! ここの森じゃ流行遅れの情報しか入ってこないのよ!』
『――今年のトレンドは何!? レース? フリル?』
食いついた。
リーダーが身を乗り出してくる。
『――坊や、いい話を持ってきたわね。私たち、退屈してたのよ』
「では、引き受けていただけますか?」
『――もちろんよ。私たちの糸捌き、オークなんかと一緒にしないでちょうだい。行くわよみんな! 出張縫製よ!』
「「「キシャァァァッ!!(了解よボス!! 稼ぐわよー!!)」」」
ゴウダが『ヒィッ! こっち来よる!』と腰を抜かしたが、彼女たちは俺たちを襲うのではなく、足早に村の方角へと移動を開始した。
◇
村に戻ると、そこはすでにカオスだった。
5台の印刷機から吐き出され続ける紙の山が雪崩を起こし、オークたちが紙吹雪の中で溺れている。
セレーネたちダークエルフ部隊も、休憩中に手伝おうとしたらしいが、紙で指を切って「痛い!」「呪い(紙切り傷)だ!」と大騒ぎしている。
そこへ、俺とアラクネ部隊が到着した。
「お待たせしました! 最強の助っ人の到着だ!」
アラクネたちは広場の惨状を見て、呆れたようにため息をついた。
『――あらあら、汚い。整理整頓がなってないわね』
『――6万枚ですって? 男ってこれだから無茶な計画を立てるのよ。貸しなさい!』
彼女たちの動きは、まさに神速だった。
8本の脚を自在に操り、散らばった紙を瞬時に回収。
ページ番号を一瞥しただけで、1から60までを魔法のような手際で揃えていく。
『は、速ぇ……! 千本の腕があるみたいや!』
ゴウダが口を開けて見ている間に、アラクネたちは次の工程へ移っていた。
リーダーのアラクネが、口からキラキラと輝く極細の糸を吐き出した。
それは鋼鉄のように強く、絹のようにしなやかだ。
『――さあ、綴じるわよ! 分厚いからしっかり締めなさい!』
シュババババッ!!
目にも止まらぬ速さで、60枚の紙束の背に穴が開けられ、糸が通されていく。
仕上がりは完璧だ。糸の張り具合、結び目の処理、どこをとっても芸術的だった。
「完璧ですね。……ゴウダはん、ぼーっとしてるな! 運搬だ!」
『お、おう! 運ぶのは任せろ!』
役割分担が確立された。次々と本が生み出されていく。
『――いい仕事だったわ。ちょっとページ数多くて肩凝ったけど』
広場の中央には、うず高く積み上げられた本のタワーが出来上がっていた。
その数、1000部。完全達成だ。
60ページの厚みはずっしりと重く、表紙には銀色の箔押しでタイトルと、著者名にはカーミラのペンネームである『桃色吐息』が刻まれている。
「で、できた……!」
カーミラが、完成品を抱きしめて崩れ落ちた。
「おめでとうございます、桃色吐息先生。伝説の始まりですね」
「レンさん……! それにみんな、ありがとう! 貴方のおかげよ!」
カーミラは涙でぐしゃぐしゃになった顔で俺の手を握りしめた。
だが、刷り上がった本を手に取ったゴウダが、眉間に深い皺を寄せていた。
『絵がすげぇのは分かるんやけど……これ、何て書いてあるんや?』
ゴウダの素朴な疑問に、他のオークたちも頷いた。
『絵は分かるんやけど、吹き出しの中のミミズみたいな文字が読めんのや』
『俺ら、文字なんか読めねぇっすよ』
そうだった。この村のオークたちの識字率は絶望的だ。
なにせ、以前村に舞い込んだただの『火の用心』ポスターの文字すら読めず、あの屈強な村長ですら「人類からの皆殺しの予告状だ!」と勘違いして泡を吹いて倒れたレベルなのだ。
絵だけでも伝わるパッションはあるが、カーミラ渾身のセリフ回しが伝わらないのは致命的だ。
俺が困っていると、セレーネがフンと鼻を鳴らして進み出た。
「やれやれ……。無学な緑の獣どもめ。深淵の文字も解せぬとは嘆かわしい」
(しょうがないわね、あんたたち字が読めないの? 私が読んであげるわよ)
セレーネは本を奪い取ると、朗々とした声で読み上げ始めた。
「……『くっ、離せ! 私は聖騎士だぞ! 敵である貴様などに……!』」
彼女の声色が、凛とした騎士のものに変わる。
「『ええんや。言葉はいらん。その震える魂を、ワシが受け止めたる』……」
今度は低く、太いオーク将軍の声色だ。
無駄に演技が上手い。
『おお……! 将軍、そんなカッコええこと言うとったんか!』
『騎士ちゃん、強がっとるけど震えとるんか……! 尊い……!』
「……『貴様の太い腕に抱かれると……抗えない……!』」
『ウオオオオッ! 抗えへんのか! 最高や!』
『続き! 続き読んでくれセレーネ様!』
こうして、セレーネによる「朗読会」は続いていった。
それ以降も、文字の読めないオークたちは、事あるごとに「また読んでくれ!」とダークエルフの元へ押しかけるようになったのだ。
ダークエルフたちも「フン、深淵の言葉を理解できぬ哀れな子羊め……」と悪態をつきつつ、満更でもない様子で、何度もその美声を披露していたのだった。




