第28話:魔導印刷機と、スライム紙の奇跡
各方面に協力をお願いしてから、数日が経過した。
オークの村は、かつてない熱気に包まれていた。
村の広場には、巨大な水槽と木枠が所狭しと並べられている。
あちこちから聞こえるのは、ドスン、バタンという重い衝突音と、チャプチャプという水音、そして男たちの荒々しい掛け声だ。
森の木々から切り出されたパルプの甘酸っぱい匂いと、インクのツンとした刺激臭が混ざり合い、鼻孔をくすぐる。
『オラァァッ!! 腰入れろ! 繊維を砕くんや!』
『へいっ! 班長! でもこの『白樺モドキ』、硬すぎますわ! 岩より硬いで!』
広場に響くのは、巨大な杵を振り下ろす音と、男たちの怒号だ。
俺はヘルメットを被り、工程表を片手に走り回っていた。
インフラのない場所での工業製品作りは、道具作りからのスタートだ。
『レン殿! 第三紙漉き場の粘度が安定しません! スライムの配合比率、どうなっていますか!?』
伝令のコボルトが息を切らせて駆け寄ってきた。
「B班のスライム粘液が濃すぎるんだ! 温泉水を2割足して希釈しろ! あと、スライムたちに『優しく混ぜて』と伝えてくれ。彼らが興奮して暴れると気泡が入る!」
『了解っす!』
俺は息つく間もなく水場へ向かう。
巨大な水槽の中では、無数のスライムたちがオークたちと一緒に漂っていた。
『あぁ~……もっと優しくかき混ぜてぇな。そこ、もっと右や』
『注文が多いスライムやな! こうか!』
オークたちが巨大な櫂で水槽をかき混ぜるたびに、スライムたちがプルプルと震え、体から良質な粘液を放出する。
『――あぁん、遠心力が気持ちええ……!』
『――混ざる……! ワシの体液が、木の繊維と一体化していく……! これが「融合」か……!』
……彼らにとっては、これも一種のマッサージらしい。
その様子を、現場リーダーのゴウダが腕組みをして見守っている。
『ようレン兄ちゃん。見てみぃ、この白濁した液体。ええ感じにトロトロになってきたで』
「順調そうだな、ゴウダはん。この調子なら、今日中に目標枚数分のパルプは確保できそうだ」
『せやな。しかし驚いたわ。まさかスライムのヌルヌルが、こんな丈夫な紙になるとはな。乾いたやつ触ってみたけど、羊皮紙より薄くて、しかもスベスベで真っ白や。魔法の紙や』
ゴウダが感心したように言う。
完成した紙は「スライム紙」と名付けられた。表面は滑らかでインクの乗りが良く、ほのかに甘い香りがする。高級感すら漂う逸品だ。
◇
次はインク工房だ。
村の外れ、直射日光を避けたテントの中に、その場所はある。
中に入ると、ひんやりとした冷気と、墨汁のような香りが漂っていた。
「深淵より来たりし同胞たちよ……。今こそ「虚無の液体」を錬成する時ぞ……!」
(みんな、インク作り頑張ろうね!)
大鍋の前で、セレーネがポーズを決めている。
周囲には、黒いローブを着た10人ほどのダークエルフたちが控えていた。セレーネが故郷から呼び寄せた助っ人たちだ。
「承知いたしました、姫様……。我が右腕に宿りし「黒炎」を、この鍋に封印してみせましょう」
(了解です。火加減の調整は任せてください)
「光あれ……いや、闇あれ。速乾の呪法、展開!」
(乾燥魔法かけるねー)
……全員、漏れなく中二病だった。
だが、その手際は素晴らしい。魔法制御の腕は超一流だ。
「お疲れ様、セレーネ。助っ人を呼んでくれたんだな」
セレーネがバサァッとマントを翻して振り返る。
「フン……貴様か。勘違いするなよ。これは「深淵の盟約」に基づく招集だ。決して、魂が労働の重さに震えたわけではない」
(別に一人でもできたけど、念のために呼んだのよ。勘違いしないでよね!)
「助かるよ。これだけの規模の印刷には、大量の魔法インクが必要だからな」
◇
そして、最後に向かったのは、村長の屋敷の一室。
「違う! そうじゃないの! ここの「間」が! もっとタメが欲しいのよ!」
サキュバスの女王カーミラが、机にかじりつき、髪を振り乱して叫んでいる。
彼女の前には、清書用の「魔導原紙」が置かれている。
「カーミラ先生、進捗はどうですか?」
「レンさん! 来てくれたのね! ちょうど詰まっていたところなの!」
彼女は俺の腕を掴み、椅子に座らせた。
「あのね、急遽シーンを追加することにしたの! 当初の40ページじゃ、二人の感情の機微を描ききれないって気づいちゃって……。60ページに増量よ!」
「60ページ……! 一気に1.5倍ですか」
「ええ。騎士団長が、戦いで傷ついたオーク将軍に、初めて『背中を預ける』場面。どうしてもセリフが決まらないの!」
俺は少し考え、かつての記憶――勇者アレックスの言動を思い出した。
「以前、ある騎士団長が、ピンチの時にこんなことを言っていました。『俺が震えているのは武者震いだ。……だが、背中が寒いと剣が鈍る。だから、そこにいろ。邪魔にならない程度にな』と」
カーミラの脳内に電撃が走ったようだった。
「……『背中が寒いと、剣が鈍る』……! な、なんて素直じゃない……! 採用! このエピソード、いただきよ!」
カーミラは猛烈な勢いでペンを走らせた。
これで原稿の完成は見えた。
◇
問題は、印刷機本体だ。
村の広場の隅に設けられた「開発区画」では、ゴブリンの鍛冶師たちと俺が、試作機の前で頭を抱えていた。
『あかん……また詰まったで』
煤だらけの顔をしたゴブリン鍛冶師のリーダー、ガヂが嘆く。
試作0号機のローラーの間に、スライム紙がぐしゃぐしゃになって巻き込まれている。今日で5回目の紙詰まりだ。
『兄ちゃん、スライム紙は薄くて丈夫なんやけど、表面が滑らかすぎてローラーが空回りするんや。かといって圧力を強くすると、今度はシワになる』
「ゴムがあればいいんだが……。ガヂ、ローラーの表面に、微細な溝を刻めるか? 紙を噛むための」
『やってみたけど、紙が破れてもうたわ』
手詰まりか。焦りが滲む。
カーミラは魂を削って原稿を仕上げようとしている。紙もインクも揃いつつある。ここで機械が完成しなければ、全てが水の泡だ。
「……ククク。ずいぶんと顔色が優れないな。まるで世界の終焉を見た亡者のようだぞ?」
(どうしたの? すごい困った顔して)
そこへ、休憩に入ったセレーネがやってきた。手には栄養ドリンク(マンドラゴラ製)を持っている。
「セレーネか。……紙送りがうまくいかないんだ。摩擦が足りなくて、紙が滑ってしまう」
「愚かな……。目に見える理のみに囚われるとは、人間とはなんと不自由な存在か。万物は混沌より出でて、混沌へ還るものだというのに」
(物理的な摩擦とかにこだわってるからダメなのよ。もっと柔軟に考えなさいよ)
セレーネは鼻を鳴らすと、杖の先でローラーをコツンと叩いた。
「理が拒絶するならば、魔で縛り付ければよい。『万有引力の掌握』……。対象に微かなる魔の波動を帯びさせ、強制的に引き寄せる禁術だ」
(魔法でくっつければいいじゃない。静電気みたいな魔法をかければ、紙だけ吸い付くわよ)
目から鱗が落ちた。
そうだ、ここはファンタジー世界だ。物理的な機構にこだわる必要はない。
「それだ! ガヂ、ローラーの芯に『魔導石』を埋め込めるか?」
『おおっ!? なるほど! 回転に合わせて魔石が点滅するような回路を組めば、吸着と解放を自動化できるばい!』
ガヂの目が輝いた。
「よし、急いで改造だ! セレーネ、魔石への魔力充填を頼めるか?」
「フッ……。高貴なる我が「深淵の魔力」を、このような玩具の動力源にするとはな……。だが、よかろう。これも世界の変革への布石……特別に力を貸してやる」
(こんな機械のために私の魔力使うの? まあ、困ってるみたいだし手伝ってあげるわ)
そこからは時間との戦いだった。
ゴブリンたちが驚異的な速度でローラーを分解し、回路を刻む。セレーネたちが魔石を調整し、俺が全体のバランスを見る。
種族を超えた技術の融合。
数時間後。
夕闇が迫る中、改造された「魔導印刷機(試作一号機)」が組み上がった。
『い、いくで……! テストプリントや!』
オペレーター役のゴウダが、緊張で震える手でハンドルを握る。
俺は原版をセットし、深呼吸した。失敗すれば、また最初からだ。
「回せ!」
ゴウダがハンドルを回す。
ウィィン……ヒュン!
魔石が淡く発光し、紙が吸い込まれるようにローラーへと送られる。
インクが乗り、圧力がかかり――。
シュッ。
排出口から、一枚の紙が滑り出てきた。
詰まっていない。破れていない。
俺は震える手でそれを拾い上げた。
純白のスライム紙の上に、くっきりと、鮮やかに。
カーミラが描いた「騎士とオークの共闘シーン」が、完璧に再現されていた。滲みひとつない、美しい黒だ。
「……できた」
俺の声に、周囲の空気が爆発した。
『おおぉぉぉぉぉぉっ!!』
『すげぇ! 絵が! 絵がそのまま写っとる!』
『成功したばい! これなら何万枚でも刷れるばい!』
騒ぎを聞きつけて飛び出してきたカーミラが、印刷された一枚を見て、その場に崩れ落ちた。
「綺麗……。私の線が、そのまま……」
「喜ぶのはまだ早いぞ! これは最初の一枚だ!」
俺は全員に檄を飛ばした。
「工作班! 今すぐこの試作機と同じものをあと4台作れ! 魔導回路の設計図はここにある!」
『『『オウッ!!』』』
「印刷班は交代制だ! 無理はするな、夜はしっかり寝て回復しろ! 確実に1000部を刷り上げるぞ!」
俺の指示で、村全体が巨大な工場のように動き出した。
ガシャン、シュッ。ガシャン、シュッ。
リズミカルな音が村に響き渡る。
それは、魔界における「産業革命」の幕開けであり、同時に「腐文化」爆発の狼煙でもあった。
だが、俺たちはまだ知らなかった。
印刷された紙を「本」にするという工程にも、苦難の道があることを。




