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第27話:創作の修羅場と、新たな萌え

 サキュバスの女王、カーミラの豪奢な輿こしの中に、荒々しい息遣いと、何かが激しく擦れ合う音が響いていた。


「ハァ……ハァ……ッ! もっと……もっとよ! もっと強く!」

「こうですか? それとも、もっと深く……?」

「そう! そこ! その角度が最高なのよぉぉぉ!」


 輿の外では、魅了状態から回復しつつあるオークの戦士たちや、心配そうに見守るセレーネたちが、その声を聞いて顔を赤らめ、あるいは青ざめていた。

 ゴウダなどは『レン兄ちゃん……あんたおとこや! あの女王様とサシで渡り合うなんて!』と、見当違いな感動に震えている。


 だが、輿の中の現実は、彼らのピンク色の想像とは180度異なっていた。

 そこにあったのは、愛欲の儀式ではなく、血と汗とインクにまみれた「創作の戦場」だったからだ。


「カーミラ様! 筆が止まってますよ! 今の『角度』で、鎖骨のラインは見えましたね? この胸鎖乳突筋きょうさにゅうとつきんの浮き上がり方、ちゃんとメモしましたか!?」


 俺は上着を脱ぎ捨て、上半身裸の状態で、奇妙なポーズ――壁に手をついて振り返る、いわゆる「見返り美人」ならぬ「見返り騎士」のポーズ――を取り続けていた。

 汗だくだ。筋肉がプルプルと痙攣している。


 対するカーミラは、髪を振り乱し、鬼のような形相で羊皮紙に向かっていた。

 彼女の手には羽ペン。その動きは残像が見えるほど速い。


「うぅ……! 待って! その僧帽筋の陰影がエロすぎる……! 神よ、なぜ人間はこんなにも美しい構造をしているの!?」


 彼女の口からは妖艶な吐息ではなく、うわ言のような独り言(心の声)が漏れ続けている。


「あぁん、インクが切れた! 誰か! 予備のインク壺を!」

「はい、どうぞ。黒の3番です」


 俺はポーズを維持したまま、足元のインク壺を器用にスライディングさせて彼女の手元へ送った。

 これぞ、勇者パーティで培った「雑用スキル・物品管理」の応用だ。どんな状況でも必要なアイテムを即座に供給する。


「ありがとう! ……って、だめだわ! ここで詰まった!」


 カーミラが頭を抱えて叫んだ。


「騎士団長が兜を脱ぐシーンよ! 兜の中ってどうなってるの!? 髪はペッタンコなの!? リアリティが分かんないぃぃ!」


 俺はすぐに「担当編集者」の顔になり、解説を始めた。


「安心してください。騎士の兜事情なら熟知しています。まず、長時間の着用で髪は汗で額に張り付きます。これが逆に色っぽい」

「なるほど……!」

「そして重要なのは、兜の内側には衝撃吸収用の革パッドがあること。これを描くことで説得力が生まれます」

「機能美ね! 採用!」

「さらに言えば、聖騎士クラスになると、金属アレルギー対策と肌触りの良さを求めて、鎧の下に『シルクのインナー』を着ていることが多いです」


 バギィッ!!

 カーミラが興奮のあまり、羽ペンをへし折った。


「シ、シルク……だと……!?」


 彼女の瞳孔がカッと開く。


「なんてこと……! 剛健なオーク将軍の荒々しい毛皮と、聖騎士の滑らかなシルクの対比……! 素材感のコントラストで、二人の関係性を暗喩できるじゃない!」

「そうです。外見はゴツい金属鎧なのに、脱いだら繊細なシルク。このギャップ、萌えませんか?」

「天才……! 貴方、天才なの!?」

「さあ、見えたなら描いてください! インスピレーションは生モノですよ!」

「描くわ! 今なら神が降りてきている気がする! ウオオオオォォォッ!!」


 カーミラが新しいペンを握り、猛然と羊皮紙に向かった。



 数時間後。

 輿の外では、日が傾きかけていた。


『おい……まだか? もう3時間も経っとるぞ?』


 ゴウダがゴクリと唾を飲み込む。


『中から聞こえる声、凄まじいで。『あぁっ、そこ!』とか『出た! すごいのが出たわ!』とか……。レン兄ちゃん、搾り取られて干からびてへんか?』


 セレーネは腕を組み、イライラと貧乏ゆすりをしていた。

 その表情は鬼気迫るものがある。


「ええい、不潔な! あのサキュバスめ、レンを独占しおって! 我が『深淵の魔眼』をもってしても、中の結界が破れぬとは……!」

『いや、待てセレーネ。静かになったぞ』


 ゴウダが耳をそばだてた。

 先ほどまで聞こえていた絶叫や衣擦れの音が止み、静寂が訪れたのだ。


『終わったんか……? 事後、か……?』


 ゴウダとセレーネが固唾を飲んで見守る中、豪奢な輿の天幕がゆっくりと開かれた。


 現れたのは、ボロボロになった俺だった。

 髪は乱れ、服ははだけ、顔や腕には黒いシミ(インク)が飛び散っている。目の下には濃いクマがあり、足取りはフラフラだ。

 誰がどう見ても「激しい行為の末に精根尽き果てた男」の姿である。


『レ、レン兄ちゃん……!』

「レン!」


 ゴウダが駆け寄ろうとするより早く、セレーネが俺の元へ滑り込んだ。

 彼女は俺の肩を掴み、食い入るように俺の顔を覗き込んだ。


「貴様、無事か!? 魂を抜かれていないか!? ……その服の乱れは何だ! まさか、本当に……ッ!」


 彼女の顔がカァァッと赤くなり、そしてすぐさま涙目になった。


『――うわーん! ボロボロじゃない! 酷使されてる! レンのバカ! でも無事でよかった……! あとで私が綺麗にしてあげるんだから……!』


 俺は力なく笑おうとしたが、声が出ない。

 その時、俺の後ろから、カーミラが姿を現した。

 彼女の肌はツヤツヤと輝き、満面の笑みを浮かべている。サキュバス特有の「満たされた」オーラが全開だ。


「アァン……最高だったわ……。こんなに熱く、激しく燃え上がったのは数百年ぶりよ……」


 彼女は俺の背中に抱きつき、首筋についたインク汚れを舐め取った。

 セレーネの殺気が爆発的に膨れ上がった。


「ありがとう、レン。貴方のおかげで、素晴らしい『命』が生まれたわ」


 周囲のオークたちがどよめいた。


『命!? ご懐妊か!? 一発でか!?』

『すげぇ! レンすげぇ! 女王様を満足させた上に孕ませたぞ!』


 誤解が拡散していくが、俺には否定する声も残っていなかった。

 俺たちが産み出したのは子供ではなく、「新刊」だ。



 場所を村長の屋敷に移し、俺たちは完成した原稿を囲んでいた。

 カーミラは上機嫌で、完成したばかりの原稿の束を胸に抱いている。

 タイトルは『聖騎士団長の憂鬱と、オーク将軍の剛腕~禁断のシルク・ランジェリー~』。

 全40ページの中編作品だ。


「ふふふ……完璧よ。この心理描写、この肉体美。私が追い求めた究極のリアリティがここにあるわ」


 カーミラはログハウスのソファに座り、ウットリと原稿を眺めている。

 俺はゴウダが出してくれた回復薬(ハチミツレモン水)を飲み干し、ようやく人心地ついたところだった。

 隣では、セレーネが俺の服についたインクの染みを、魔術で消そうと躍起になっている。


「じっとしてろ! この『淫靡な痕跡(インク汚れ)』を消し去らねば、我が気が済まぬ!」

(他の女の匂いがするみたいで嫌なのよ! 綺麗にさせて!)


「お疲れ様でした、カーミラ先生。40ページ、描ききりましたね」

「レンさん! 本当にありがとう! 貴方がいなかったら、この物語は『なんかそれっぽい嘘』で終わっていたわ。貴方は私の救世主よ!」

「いえ、俺も楽しかったです。久しぶりに『仕事をした』って気になれました」


 アレックスたちの荷物持ちをしていた時とは違う、クリエイティブな充実感。

 セレーネが俺の手を握るカーミラの手に視線を落とし、ギリギリと歯噛みしているのを横目に、俺は次のステップへと話を進めることにした。


「で、先生。この原稿、どうするんですか? 誰かに見せる予定は?」


 カーミラの顔が曇った。

 彼女は手元の原稿を愛おしそうに、しかしどこか悲しげに撫でた。


「……それが問題なの。私のこの情熱を、もっと多くの『同志』と共有したい。世界中にいるはずの、まだ見ぬ読者に届けたい……。でも」


 彼女は深くため息をついた。


「今の魔界の技術じゃ、量産なんて夢のまた夢なのよ。近くのコボルト工房に依頼して写本してもらうしかないんだけど……」

「コボルト工房、ですか?」

「ええ。彼らは手先は器用だけど、絵の模写となると話は別よ。私の繊細な筆致タッチを真似ながら、吹き出しのセリフも書き込まなきゃいけない……。この絵と文字が詰まった40ページを一冊書き写すのに、早くても数日はかかるわ」


 数日で一冊。

 俺は絶句した。あまりにも生産性が低い。


「それに、コストも馬鹿にならないわ。だから、作れるのはせいぜい30冊くらいね」

「30冊……。それじゃあ、全然足りないんじゃ?」

「ええ。身内の側近とか、一部の隠れファンの友人に配って、それでおしまい。文化なんて生まれないわ。私の萌えは、この狭い世界でひっそりと死んでいくのよ」


 カーミラの目が潤んでいる。

 もったいない。

 せっかくの傑作(BL漫画だが)が、技術的な制約で埋もれてしまうなんて。

 この作品には、種族間の融和を促すかもしれないパワーがあるのに。


 技術がないなら、作ればいい。

 俺には前世の知識と、この村の愉快な仲間たちがいる。


「カーミラ先生。諦めるのはまだ早いです」

「えっ?」

「30冊? いいえ、1000冊刷りましょう。この村から、貴女の萌えを爆発的に広めるんです」


 カーミラがポカンと口を開けた。


「せ、千冊!? いくらかかると思ってるの!? それにコボルトたちが過労死するわ!」

「いいえ、可能です。手書きには頼りません。必要なのは『紙』と『インク』、そして『版画の技術』を応用したシステムです」


 俺はゴウダを呼んだ。


「ゴウダはん! 農耕班と工作班を招集してくれ! あと、セレーネも協力してほしい!」

『おう! なんや、また新しい祭りか!?』

「ああ、祭りだ。『魔導印刷革命』という名のな!」

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