第26話:サキュバスの正体と、禁断のアトリエ
俺の囁きが耳に届いた瞬間。
ピタリ、とカーミラの妖艶な動きが止まった。
俺の頬を撫でていた冷たい指が硬直し、紫色の瞳孔が点のように収縮した。
「……え?」
彼女の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
先ほどまでの女王然とした余裕はどこへやら、その表情は一瞬で「図星を突かれた」それに変わった。
「資料探しでお困りなんですよね? 特に、人間の騎士の鎧の構造とか、筋肉のつき方とか。想像で描くと、どうしても嘘っぽくなるとお悩みで」
俺が畳み掛けると、カーミラの顔から血の気が引き、次の瞬間にカァァァッと真っ赤に染まった。
全身がワナワナと震え出し、背中の翼がパタパタと落ち着きなく動く。
「な、ななな……なんで分かったの!? 貴方、何者!?」
カーミラは慌てて周囲を見回した。
幸い、周囲のオークたちは魅了状態でラリっており、セレーネも俺たちの会話までは聞き取れていないようだった。
「こ、来なさい! ちょっと顔貸しなさい! 話はベッドの上(作業部屋)で聞くわ!」
カーミラは俺の腕をガシッと掴んだ。
サキュバス特有の、細腕からは想像もできない怪力だ。抗う間もなく、俺は小脇に抱えられた。
「待て! 何をする気だ!」
「うるさい! 大人しく従いなさい!」
カーミラは翼を大きく広げると、俺を抱えたまま空へと飛び上がった。
「レン! 貴様、我が契約者をどこへ連れて行く!」
(意訳:待ちなさいよ! レンを返して!)
地上でセレーネが叫び、魔法を放とうとする気配がした。
だが、俺は空中で手を振ってそれを制した。
「大丈夫だセレーネ! ちょっと打ち合わせに行ってくるだけだ! ゴウダはんが正気に戻ったら、村の指揮を頼む!」
「はぁ!? 『魂の共鳴』だと!? 何を戯れ言を!」
(意訳:はぁ!? 打ち合わせって何よ!?)
セレーネの呆れた声が遠ざかっていく。
俺はカーミラに抱えられ、そのまま彼女の豪奢な輿の中へと連れ込まれた。
ドサッ。
俺は柔らかいクッションの上に放り出された。
甘い香りが充満する密室。外からは、天蓋付きのベッドがあるだけの淫靡な空間に見えていただろう。
だが、中の現実は違った。
「……これは、ひどいな」
俺は思わず呟いた。
輿の中は、外見の豪華さとは裏腹に、惨憺たる有様だった。
床一面に散らばる、くしゃくしゃに丸められた羊皮紙の山。
倒れたインク壺から広がる黒い染み。
使い古された羽ペンの残骸。
充満する甘い香りは、この部屋に染み付いた「紙とインクと徹夜明けの生活臭」をごまかすための香水だったのだ。
カーミラは入り口の幕を閉めると、鬼気迫る形相で俺に詰め寄った。
「貴方、さっき言ったこと、本当なの!?」
彼女は俺の肩を掴み、揺さぶった。
「人間の骨格が分かるの!? 鎧の下がどうなってるか知ってるの!?」
「ええ、知ってますよ。俺は元々、人間の勇者パーティで荷物持ちをしていましたから。彼らの装備の手入れもしていましたし、着替えも手伝っていました」
「勇者パーティ……! 本物の騎士を見たことがあるのね!?」
カーミラの目が、獲物を狙う猛獣のように輝いた。
彼女は床に散らばっていた原稿用紙の一枚を拾い上げ、俺に見せつけた。
「お願い! 協力して! 私、どうしても描きたいシーンがあるの! でも、骨格と『顔の造形』が納得できなくて先に進めないの!」
そこに描かれていたのは、緻密な筆致で描かれたイラストだった。
白銀の鎧を着た人間の騎士と、筋骨隆々のオークの戦士。
二人は剣を交えているのではない。互いに見つめ合い、今にも抱き合いそうな距離で対峙している。
添えられた文章を読む。
『「くっ……離せ! 私は聖騎士だぞ! 敵である貴様などに……!」「ええんや。言葉はいらん。その震える魂を、ワシが受け止めたる」』
……BLだ。
しかも、種族を超えた禁断の愛を描く、かなりハードでマニアックなやつだ。
「……これを、描いているんですか?」
俺が尋ねると、カーミラは顔を上げて涙目で頷いた。
「うぅ……引かないでよぉ……。私、こういうのが大好きなの。サキュバスだからって、男を誘惑して精気吸うだけが能じゃないのよ! 私は『尊い関係性』を摂取して生きていたいの!」
彼女は立ち上がり、俺に詰め寄った。
「でもね、この騎士団長の『顔』が決まらないの! 私が求めているのは、ただのイケメンじゃないのよ。こう……プライドが高くて鼻につくけど、崩れ落ちた時の表情がゾクッとするような、そんな素材がいないのよ!」
カーミラが頭を抱える。
俺の脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ。
勇者アレックス。
性格は最悪で、俺を追放した張本人。だが、悔しいことに「見た目だけ」は、王道の勇者そのものだった。
「……心当たりなら、ありますよ」
「えっ?」
「俺が知っている勇者……アレックスという男なんですが。性格は傲慢で、人の話を聞かないクズです。でも……」
俺はため息まじりに、奴の特徴を口にした。
「見た目だけは無駄に良いんです。輝くような黄金の髪に、人を小馬鹿にしたような自信満々の碧眼。肌は白くて、整った顔立ちをしています。……何より、プライドが高い分、想定外のことが起きて涙目になった時の『情けない顔』は、妙にそそると思いますよ」
俺の説明を聞いた瞬間、カーミラの脳内に電流が走ったようだった。
彼女は口元を押さえ、打ち震えた。
「そ、それよ……! 傲慢な金髪碧眼の勇者が、オークの剛腕に屈して涙目になる……! 完璧だわ! それこそが私の求めていた『聖騎士団長』の理想像よ!」
彼女は俺 両手を握りしめた。
「ありがとう……! 貴方のおかげでキャラクターが降りてきたわ! その『アレックス』って男をモデルにさせてもらうわね!」
カーミラは興奮冷めやらぬ様子で、さらに身を乗り出してきた。
「鎧の構造、筋肉の動き、そしてその『アレックス』という男の具体的な顔立ち……全部教えてちょうだい!」
「ええ。なんなら、モデルになりましょうか? 俺は騎士じゃないですが、身体の構造は同じ人間ですから」
俺が上着を脱ごうとすると、カーミラは猛烈な勢いで羽ペンとメモ帳を取り出した。
その表情は、先ほどまでの妖艶な女王でも、苦悩する作家でもない。
獲物を逃がさない、鋭く、そして狂気じみた「プロ」の目だった。
「ありがとう……! 貴方は神よ! さあ、脱いで! 全部見せて! その鎖骨のライン、いただくわ!」
こうして俺とサキュバス女王の、輿の中での「缶詰作業」が始まった。
外では、魅了から覚めたゴウダたちが『レンが食われる!』『助けに行こう!』と騒いでいる声が聞こえるが、今はそれどころではない。
俺の新たな仕事「担当編集兼デッサンモデル」の幕開けである。
とりあえず今は、このこだわりすぎる作家を、納得させることだけを考えよう。
「カーミラ様、そこのデッサンまだ狂ってます。三角筋の膨らみはもっとこう……」
「はいっ! 直しますぅぅ!」
「騎士団長の顔ですが、もっと『負けず嫌いそう』な眉にしてください」
「なるほど……! 強がりな表情、いただきました!」
「あと、鎧の下は蒸れるので、騎士は意外と薄着です。汗ばんだ肌と金属の対比、萌えませんか?」
「天才……! 貴方、天才編集者なの!?」
外ではゴウダたちが俺の身を案じているが、中の俺たちは、ある意味で外よりも激しく、そしてマニアックな戦いを繰り広げていたのだった。




