第15話:マンドラゴラと、絶叫なき収穫祭
オークの村における水洗トイレの設置による衛生面の劇的な改善。これによって村人たちのストレスは激減し、特に奥様連中からの俺への支持率は、勇者パーティ時代の「雑用係」という評価が嘘のように鰻登りだ。
だが、文明というのは、一つの問題を解決すると、必ず次の課題を突きつけてくるものらしい。
俺はログハウスの窓から、秋の気配が漂い始めた森を眺めながら、溜息をついた。
「食料問題、か……」
独り言が漏れる。
現在は森での狩猟と採集、そして味付けは岩塩やスライムエキスで賄えているが、冬がくれば獲物は減り、植物も枯れる。保存食の備蓄は急務だが、その原材料自体が足りていないのが現状だ。
安定的な供給源――つまり「農業」が必要不可欠だった。
『畑……かぁ。兄ちゃん、それは無茶やで』
相談を受けたゴウダが、即座に難色を示した。
『この辺の土地はな、魔力が強すぎるんや。普通の野菜を植えても、魔力に負けてすぐに枯れてまう。かと思えば、変異して暴れ出すこともあるしな』
「暴れ出す?」
『おう。こないだも隣の集落の奴がトマトを植えたらな、一晩で足が生えて走り去ったらしいわ。「自由になりたい」言うて』
「……ファンタジーにも程があるな」
逃げるトマトを追いかけるオークの図を想像して、俺は頭を抱えた。
だが、魔力が強い土地というのは、見方を変えればメリットにもなる。その魔力を栄養として吸収できる植物ならば、爆発的な成長が見込めるからだ。
「だからこそ、俺は『マンドラゴラ』を選んだんだ」
俺の言葉に、ゴウダが茶をブハッと噴き出した。
『マ、マンドラゴラやて!? あの、引っこ抜いたら鼓膜破る悲鳴上げて、聞いた奴をショック死させるっていう、あの魔草か!?』
「ああ。確か、森に群生地があるって聞いたぞ」
『ある! あるけどな! あそこは地獄の一丁目や! 近づくだけで地面から呪いの呻き声が聞こえてきて、足を踏み入れたもんは死ぬか精神をやられて帰ってこんのや!』
ゴウダが顔面蒼白で首を横に振る。
無理もない。マンドラゴラの群生地は、魔物たちにとっても「近寄るな危険」のエリアらしい。
だが、俺には勝算があった。どんな凶悪な魔物でも、そこに「意思」がある限り、対話の余地はあるはずだ。
「大丈夫だ、ゴウダはん。俺たちは『交渉』しに行くだけだ。戦うわけじゃない」
◇
数時間後。
俺とゴウダ、そして荷運び用のオーク数名、さらには「面白そうだから」とついてきたダークエルフのセレーネは、村の南側、鬱蒼とした木々に覆われた薄暗いエリアに足を踏み入れていた。
そこは、空気が淀み、異様な湿気と魔力が漂う場所だった。
目の前に広がるのは、地面を埋め尽くすほどの巨大な葉っぱの海。
マンドラゴラの群生地だ。
一見するとただの草むらだが、地面全体が生き物のようにモコモコと波打ち、地底から「ウゥ~……」という低く不気味な唸り声が響いてくる。
『ひぃっ……! 唸っとる! 完全に怒っとるで! 殺気ビンビンや!』
ゴウダが耳栓(粘土製)を装着し、さらにその上から両手で耳を塞いでいる。他のオークたちも腰が引けていた。
『兄ちゃん、もう帰ろうや。あいつら絶対「殺す」言うとるで』
「待て、ゴウダはん。決めつけは良くない。まずは彼らの言い分を聞いてみよう」
俺は群生地の端まで歩み寄ると、地面に膝をつき、掌を湿った土に当てた。
スキル【万国理解】、発動。
意識を集中させ、土の中の大合唱に耳を傾ける。
――ザザッ……ノイズの向こう側から、無数の声が雪崩れ込んでくる。
「殺してやる」とか「呪ってやる」といった、怨嗟の声かと思いきや。
『――狭いっ! 狭いねん! ちょっと隣、肘当たるって!』
『――お前こそ根っこ伸ばしすぎや! ワシの栄養吸うなや! ここワシの陣地やぞ!』
『――あー、ダルい。日当たり悪すぎやろここ。ジメジメしてカビ生えそうやわ。美肌が台無しや』
『――誰か石どけてくれぇぇ! 背中に鋭利な岩が刺さって痛いねん! ツボ押し通り越して凶器やでこれ!』
『――腹減った……もっと栄養豊富な土くれや……ススカスの土じゃ力出んわ……』
……。
聞こえてきたのは、デスボイスによる呪詛ではなく、満員電車に詰め込まれたサラリーマンのような、終わりのない愚痴と罵り合いだった。
自然繁殖しすぎて過密状態になり、互いにストレスを溜め込んでいるようだ。
栄養を取り合い、スペースを奪い合い、日照権を巡って争っている。
ここは「呪いの菜園」ではなく、「超過密スラム街」だったのだ。
「……なるほど。過密問題か」
俺が立ち上がると、心配そうに見守っていたゴウダが駆け寄ってきた。
『ど、どうやった兄ちゃん? やっぱり呪いの儀式か?』
「いや。……ただの『住宅難』だ」
『住宅難?』
「増えすぎて狭いし、日当たりも悪いし、土の中に石があって痛いそうだ。彼らが引っこ抜かれる時に叫ぶのは、『こんな劣悪な環境で育った俺の人生なんやったんや!』っていう悲痛な叫びだったんだよ」
ゴウダがぽかんと口を開けた。
『そ、そんな世知辛い理由やったんか……?』
「ああ。だから提案してやるんだ。『環境の良い新天地(村の畑)』への移住と、ここの環境改善をな」
俺は群生地に向かって声を張り上げた。
「みなさん、こんにちは! 今日はみなさんに『より良い住環境』の提案に来ました!」
ざわっ。葉っぱが一斉に揺れた。
『――なんや? 人間か?』
『――住環境やて?』
「まずは、今の窮屈さを解消しましょう。セレーネ、あそこの大木の枝を魔法で払って、日当たりを良くしてくれないか? オークたちは邪魔な岩を取り除いてくれ!」
セレーネが呆れたように鼻を鳴らす。
「フン……。大地の精霊たる魔草に媚びへつらうとは、貴様も落ちたものだな、レンよ。だが……その「慈愛という名の支配」……嫌いではないぞ」
(意訳:野菜のご機嫌取りなんてバカみたい。でもまあ、そういう優しさは悪くないんじゃない?)
「頼みますよ、深淵の姫君。貴女の風魔法が必要なんです」
「仕方あるまい。深淵の風よ、天空を切り裂け!」
セレーネが杖を振ると、上空を覆っていた枝葉が切り払われ、スポットライトのように陽光が差し込んだ。
『――おぉっ! 眩しっ! でもあったけぇ!』
『――久しぶりの日光浴や! 光合成が捗るわぁ!』
同時に、ゴウダたちオークが、俺の指示した場所(マンドラゴラたちが『岩が痛い』と言っていた場所)を掘り起こし、巨大な石を取り除いていく。
『――岩がなくなった! 背中の痛みが消えたわ!』
『――土が柔らかくなった! 根っこ伸ばせるで!』
地中から歓喜の声が上がる。
俺は畳み掛けた。
「どうですか? 少しはマシになったでしょう。……そこで相談なんですが、このままだとまた狭くなってしまいます。そこで、十分に育った方々の中で、『次のステージ(出荷)』へ進みたい方はいませんか? 村にはフカフカの土と、特製の温泉水を用意しています」
俺の言葉に、一際大きな葉を持つ古株のマンドラゴラが反応した。
『――温泉水やて? フカフカの土……。悪くない響きやな』
『――ワシもそろそろ、このスラム街から卒業したいと思っとってん』
『――連れてってくれ兄ちゃん! ここよりマシな場所ならどこでもええわ!』
立候補が殺到した。
どうやら彼らは、この劣悪な環境から抜け出せるなら、引っこ抜かれて運ばれること(=出荷)すら厭わないらしい。彼らにとって出荷は「死」ではなく「魂の昇華」や「栄転」的なニュアンスがあるようだ。
「よし、商談成立だ。では、希望者の方から順に、優しくお連れします」
俺は一番大きな株の前に立ち、葉の付け根を慎重に掴んだ。
ゴウダが『あかん! 来るで! 即死攻撃来るで!』と耳を塞ぐ。
「準備はいいかい、大将。最高の環境が待ってるぞ」
『――おう、頼むで。優しく頼むで』
俺は力を込めず、スッと引き抜いた。
――スポッ。
軽い音と共に、土の中からマンドラゴラが現れた。
その顔は、苦悶の表情でも、怨嗟の叫びでもなく。
まるでサウナ上がりに冷たい牛乳を飲んだ直後のような、とろけきった恍惚の表情を浮かべていた。
『――あぁ~……解き放たれたわぁ……』
叫び声はない。あるのは、深い満足の溜息だけだ。
『……え?』
身構えていたゴウダたちが、拍子抜けして固まる。
『さ、叫ばへん……! しかも、なんか笑っとる!』
『こんな幸せそうなマンドラゴラ、初めて見たわ!』
「さあ、どんどん行くぞ! 希望者は手を挙げてくれ!」
『――ハイハイ! 次ワシ!』
『――私も連れてって! 美容にいい土があるんでしょ?』
俺たちは次々と収穫していく。どれもこれも『お世話になりましたー』『新天地へ行ってきまーす』と友好的だ。
ゴウダたちもおっかなびっくり手伝い始め、最後には『なんや、可愛い奴らやな』と愛着すら湧いてきたようだ。
こうして収穫された野生のマンドラゴラは、自然の魔力をたっぷりと吸い込み、濃厚な滋養を持つ最高級品となった。
さらに、若い苗や種も譲り受け、村で栽培する許可も得た。これで安定供給の目処も立った。




