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第11話:岩の精霊の肩凝りと、癒やしの露天風呂

 「赤き血の予告状(ただの火の用心ポスター)」騒動から一夜明け、オークの村は緊張感と熱気に包まれていた。

 俺の「超意訳」によって、あのポスターは『人類からの、生活態度を試す高度なテスト』であると認識されたからだ。


 広場では鍋をヘルメット代わりに被ったゴウダが、竹で作った指示棒を振り回して怒鳴り散らしていた。


『ここでヘマこいたら、人類軍が総攻撃してきて村は火の海、ワシらは消し炭や! それを防ぐための『防災訓練』、命懸けでやるで!』

『『『オオォォォォッ!!』』』


 地響きのような雄叫びが上がる。

 彼らは本気だ。本気で「火の不始末=即総攻撃」だと思い込んでいる。

 俺の「超意訳」が効きすぎて、少し申し訳ない気もするが、結果として防火意識が高まるなら良しとしよう。

 ダークエルフのセレーネたちも、箒を構えて整列していた。


「深淵の同志たちよ……聞け。我々の任務は、この地に澱む「穢れ(ゴミ)」を虚無へと帰すことだ。「殲滅の暴風(お掃除)」を開始せよ!」

(みんなー、掃除始めるわよー! チリ一つ残さず綺麗にするわよー!)


 彼女たちの掃除スキルは異常に高い。風魔法で塵を舞い上げ、水魔法で拭き取る。無駄に高度でカッコいいが、やっていることはただの清掃活動だ。


 食生活が改善し、住環境も良くなり、村は清潔になりつつある。

 だが、一つだけ、どうしても解決できない問題があった。


 ……臭いのだ。

 村人たち、つまりオークたちの体臭が。

 俺は鼻をつまみながら、川沿いでたむろしているオークたちに声をかけた。


「なぁ、みんな。せっかく村が綺麗になったんだから、身体も洗わないか? 汗と油でベトベトだぞ」


 俺の提案に、オークたちは露骨に嫌そうな顔をした。


『えぇ~……嫌やわぁ。川の水、冷たいねん』

『せやせや。ワシら脂肪は厚いけど、冷たい水は苦手なんや。心臓止まりそうになるわ』

『足先洗うだけで勘弁してぇな。風邪ひいてまう』


 彼らは子供のように駄々をこねる。

 確かに、森を流れる川の水は雪解け水のように冷たい。飲み水としては最高だが、全身を洗うには修行レベルの冷たさだ。

 しかし、このままでは衛生的に良くないし、何より俺の鼻がもたない。


「なんとかならないかな……」


 俺はゴウダに相談することにした。


「ゴウダはん。みんな体を洗いたがらないんだ。川の水が冷たすぎるって」


『しゃあないわなぁ。あの冷たさは罰ゲームやで。命削ってまで体洗いたくないわ』


 ゴウダも苦笑いしている。彼自身、少し汗臭い。


「でも、このままだと病気の原因にもなる。お湯を沸かすにしても、全員分となると薪がいくらあっても足りないし……」


 俺が悩んでいると、ゴウダがふと思い出したように顎をさすった。


『そういえば……昔、じいちゃんから聞いたことがあるで。村の裏手に古い岩場があるんやけど、大昔はそこから「熱い水」が出とったらしいわ』

「熱い水? 温泉か?」

『さあな。今はもう枯れてもうて、ただの岩壁やけど。じいちゃん曰く「極楽やった」らしいで』


 その言葉に、俺の直感が働いた。

 枯れた温泉。もし復活させることができれば、冷たい川の水を使わずに、快適な入浴施設が作れるかもしれない。


「行ってみましょう、ゴウダはん。原因が分かれば、復活させられるかもしれません」



 村の裏手。岩肌が露出した斜面の中腹に、その場所はあった。

 巨大な岩盤の隙間から、苔むした石碑のような岩が突き出している。かつてはここから湯が湧き出ていたのだろうが、今は乾いた岩肌が風に晒されているだけだ。


『ここや。……見ての通り、シーンとしとるで』


 ゴウダが残念そうに岩を叩く。

 同行したセレーネも、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「フン……。死した泉か。ここにあるのは、ただの「渇き」という名の絶望だけだな」

(全然ダメそうね。お湯なんて出そうにないじゃない)


「いや、待ってください」


 俺は岩に近づき、手を触れた。

 そして、スキル【万国理解】を意識する。

 ただの岩なら声はしない。だが、もしここに「精霊」や「意志」が宿っているなら――。


 耳を澄ます。物理的な音ではなく、内側から響く「声」を拾うために。


 ……うぅ……。

 ……重い……。


 聞こえた。


「何か言ってる」

『えっ? 誰が?』

「この岩です」


 俺は岩盤に耳を押し当てた。ノイズ混じりの声が、次第にクリアになっていく。


『……あたたたた……。誰か……誰かおらんか……』

『……もう限界じゃ……。ガチガチじゃ……』

『……右じゃ……もうちょい右なんじゃ……』


 ……完全に、整体院に来たお爺ちゃんのボヤキだった。


「ゴウダはん。この岩、めちゃくちゃ『凝ってる』ようです」

『はぁ!? 岩が凝り!? 兄ちゃん、暑さで頭やられたんか?』

「本当です。長年の地殻変動で岩がズレて、湯脈という名の『血管』が圧迫されてるんです。血行不良ですよ」


 俺は岩に向かって声をかけた。


「もしもし。聞こえますか?」

『……おぉ? 声が聞こえる……。お主、ワシの言葉が分かるんか?』

「はい。辛そうですね」

『辛いなんてもんじゃないわい! ここ百年くらい、背中に岩山背負ってる気分じゃ! ……あ、実際背負っとるわ』


 ノリツッコミまでできるとは、意外と元気な精霊だ。


「今からほぐしますね。……ゴウダはん、出番だ」

『えっ、ワシか!? 何をすればええんや?』

「マッサージだ。俺が指示するポイントを、あんたの怪力で押し上げてくれ」


 俺は岩の表面を指でなぞり、精霊が「そこ!」と叫んだポイントを見つけた。

 突き出した岩の右下、微妙な亀裂が入っている部分だ。


「ここだ。この一点に、下から斜め45度の角度で力を入れろ。強さは『全力』で」

『マジか……。岩にマッサージて……。まあええわ、やったる!』


 ゴウダが極太の腕まくりをし、岩の隙間に手をねじ込んだ。

 足を踏ん張り、全身の筋肉を膨張させる。


『ぬんっ! ふんぬぅぅぅぅッ!!』


 ゴゴゴゴゴ……!

 地鳴りのような音が響き、地面が小刻みに揺れる。


『……くぅ~っ! そこじゃ! そこが効くんじゃ!』

「効いてるそうだ! もっとだ! もっと奥へ!」

『ぐぬぬぬ……! 硬い! ビクともせんわ!』


 ゴウダの顔が真っ赤になり、額に血管が浮き上がる。

 さすがに岩盤の重さは半端ではない。あと一押しが足りない。


「セレーネ! 援護してくれ! 岩を軽くする魔法だ!」

「ハッ……私に命令するとはいい度胸だ。だが……面白い。重力という名の「鎖」を断ち切ってやろう!」

(しょうがないわね、手伝ってあげる! ちょっと浮かせるわよ!)


 セレーネが杖を掲げる。


「舞え、無重力の螺旋! レビテーション!」


 フワッ。

 岩にかかる重圧が、一瞬だけふわりと軽くなった。


「今だ、ゴウダはん! いけぇぇッ!」

『うぉらぁぁぁぁぁぁッ!! 凝りよ、去れェェェッ!!』


 バキィッ!!


 何かが弾けるような、爽快な音が響いた。

 直後。


 ドッパァァァァァァァン!!


 岩の隙間から、白い柱のようなものが勢いよく噴き出した。

 水だ。いや、この立ち昇る白い湯気は――。


『あつっ!? 熱ぅぅぅ! なんやこれ!』

「うわっ、熱湯だ! 逃げろ!」


 俺たちは慌てて退避した。

 噴き出した湯は、勢いよく岩場の窪みに流れ込み、あっという間に湯気を立てる池を作り出した。

 ほのかに硫黄の匂いが漂ってくる。


『……あぁ~……極楽じゃ……』

『……詰まってたもんが全部出たわい……。スッキリしたぁ……』


 岩の精霊の、心底気持ちよさそうな声が響いた。


『兄ちゃん、ありがとな。礼にこの湯、好きに使ってええぞ。「疲労回復」と「美肌」、あと「腰痛」にも効く特効薬じゃ』


 俺は湯気を上げる水面を見つめた。

 触れてみると、熱すぎずぬるすぎない、絶妙な適温だ。そして、豊富な湯量。


「……ゴウダはん。これはただのお湯じゃない」

『なんや? 毒か?』

「温泉』だ」


 ゴウダとセレーネがキョトンとした。


『オンセン? なんやそれは』

「地面から湧く、天然の風呂だ。これなら川の水みたいに冷たくない。むしろ、浸かっているだけで疲れや凝りが取れる魔法の水だ」


 俺の説明を聞いた瞬間、セレーネが湯に駆け寄った。

 指先を浸し、その成分を確認する。


「……ほう。これは……大地の魔力マナが溶け込んでいる。この温もり、まるで母なる深淵の抱擁……。これに浸れば、我が呪われし肌も潤いを取り戻すかもしれん」

(すごい! 美容に良さそうなお湯! ツルツルになれるかも!)


 セレーネの目がギラギラと輝いている。


『マジか!? 冷たくないんか!? 腰痛にも効くんか!?』

「ああ。毎日入れば、ゴウダはんの古傷も完治するかもしれない。それに、これならみんなも喜んで体を洗うはずだ」

『やる! やるで! 今すぐ村まで水路を引くんや! 総員、工事開始じゃあぁぁ!』


 風呂嫌いだったオークたちの意識が、一転して「温泉開発プロジェクト」の熱狂へと変わった。



 突貫工事で完成した「村営露天風呂」は、芋洗状態になっていた。


『あぁ~……。たまらんわぁ……』

『温かい……。川の水とは大違いや……』

あかすりしたら、肌がツルツルになったで!』


 湯気の中、厳ついオークたちがふやけた顔で湯に浸かっている。

 俺もゴウダの隣で肩まで浸かり、夜空を見上げた。

 体の芯まで温まる。日々の労働の疲れが溶け出していくようだ。

 体臭の問題も、これで一気に解決するだろう。


 隣接する「女湯」からは、セレーネたちの楽しげな声が聞こえてくる。


「あら、本当に肌が弾くわ!」

「セレーネ様、背中流しますわね」

「うむ……。この「闇の洗礼アカスリ」、悪くないぞ」


 こうして、オークの村に「清潔」と「癒やし」という新たな文化が根付いた。

 文明レベルが、また一つ上がった音がした。

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