episode10 本音
午後7時半過ぎ。
玄関から「ただいま」という母さんの声が聞こえた。
僕は「おかえり」と返しながら階段を降り、ふと顔を上げると靴を脱いだばかりの母さんと目が合う。
僕のただならぬ空気を感じたのか、母さんはサッと目を逸らし、そさくさと荷物を片付け始めた。
家の中は、驚くほど静かだった。
その時は、あたかも当たり前にやってきた。
夕飯を食べ終え皿を流しに入れた僕たちは、誰に言われるでもなくもう一度席につく。
実の母親と話すだけだというのに、鼓動はかつてないほど脈打ち、言ってしまえば緊張していた。
それでも、意を決して口を開く。
「母さんに、聞いてほしい話があるんだ」
手は少し震えているが、声は震えていなかった。
母さんは母さんで緊張しているのか、いつもより異常に瞬きの回数が多い。
僕はそれを見ないふりをしてもう一度口を開いた。
「今日、いつもみたいにリリアと話してきた。………母さん覚えてるかな。僕とリリアがよく遊んでいた公園があるだろう?………実は僕、その………」
「奇跡を起こしてた?」
僕の言葉に被せるように、母さんは言った。
息子の悩みなど、全てお見通しとでも言いたげな目だ。
「………そうだよ」
僕は、素直に答えることにした。
すると母さんはすこし前のめりになって、下を向く僕の目を見ようとする。
そこにはただ、我が子を心配する気持ちだけがあった。
「隠しているつもりだったのかもしれないけれど、あなたが奇跡の花畑を起こしていることは知っていたの。ニュースを見てすぐに分かった。陽斗の力だ、って」
畳み掛けるような早口で、母さんは続けた。
「それについてあなたを責めるつもりはないわ。リリアちゃんとのことだもの。………………でもね、これだけ教えて。誰に力を見られてしまったの?通報はされた?…………大丈夫よ陽斗。私、こんなこともあろうかと、たくさん準備をしてきたから。だから、全部教えてちょうだい」
思いがけない発言に、おもわず顔を上げた。
………準備、してたのか。
正直、すごく驚いた。
驚いたけれど、同時に納得もした。
僕が奇跡の花畑を起こしていることを、母さんには言ってない。
いや違う。
僕は、言えなかった。
自分がやろうとしていることが、ずっと力を隠そうとしてくれた母さんの思いを裏切ってしまう気がして、怖かった。
心のどこかで、知られているだろうと思いながら、実際に母さんがその話題に触れないことに、安堵すら覚えるほど。
途端に自己嫌悪の気持ちが湧き上がってきた。
僕は、最低だ。
母さんは、僕の気持ちを察して気づかないふりをしてくれていた。
僕を守るために、裏で準備を進めてくれていた。
それなのに僕は………
「陽斗、黙り込んでどうしたの。私なら大丈夫よ、ねえ陽斗……」
「母さん」
僕は、母さんの目を見つめた。
「僕は今日、轟音和良さんっていう同じくらいの歳の女の子と出会った」
「………そうだったのね。1人だけ?その子にしか見られていないの?……ちょっと、陽斗、ちゃんと聞いて……」
「彼女は、僕みたいな人間を『覚醒者』と呼ぶのだと教えてくれた」
「え?」
その後は、止まらなかった。
息継ぎすら忘れて、ただひたすらに、僕は今日の出来事を語った。
轟音さんは、死神と呼ばれるような、生き物の命を絶つ力を持っていること。
数人の覚醒者が、四葉シェアハウスというところに住んでいること。
覚醒者は、遥か昔から存在していたこと。
轟音さんたちは、Messiahと協力して、第零部隊として活動していること。
それらは決して、日常生活に支障が出ないようになっていること。
轟音さんは正式なMessiah部隊として認められるために、覚醒者である僕を探していたこと。
第零部隊に勧誘されたこと。
そして。
僕がその誘いに頷き、入隊の最終面接が明後日に控えていること。
全部全部話した。
母さんに、こんなにも自分の話をしたのは久しぶりだった。
快適なはずの室内で、僕は息を荒げて、汗をかいていた。
やがて、すこしずつ冷静さを取り戻していく。
ますい、勢いのまま喋りすぎた……!
そう思ってふと前を見ると、案の定ポカンと口を開けたままの母さんがいる。
「あ、あの…………母さん」
頬に、涙が一筋溢れた。
僕の目は乾き切っている。
溢れたのは、母さんの涙だ。
「陽斗……………あなた………」
それほどショックだったのだろうか。
当たり前だ。
母さんは今までずっと、Messiahから僕を遠ざけてくれていたのだから。
にも関わらず僕は今、自らMessiahに入りたいと言っているのだから。
思いがぐちゃぐちゃになって、何と声をかけたら良いのかわからなくて、僕はただ立ち尽くした。
しばらくの間、時計の音だけが響いた。
「……………ようやく、前に進んでいくのね」
しばらくして、母さんの口が動いた。
けれどその言葉は、あまりにも小さくて、震えていて、僕の耳には届かない。
「ごめん母さん、今なんて……」
「頑張りなさい」
涙に濡れたぐしゃぐしゃの顔で、母さんは笑いながら言った。
「頑張りなさい、って言ったのよ」
瞬間、緊張の糸が解けたように、僕は大きく息を吐いた。
溜め込んでいたものが、内側から一気に上がってきて、やがて受け止めきれずに一粒だけこぼれ落ちる。
傷つけたわけじゃなかった。
受け入れてもらえた。
背中を、押してもらえた。
「………ありがとう、母さんっ………」
涙で滲んで、何も見えない。
溢れないように目を閉じて仕舞えば、そこは真っ暗闇だ。
それでも僕は。
心からの感謝と尊敬の念を込めて、静かに頭を下げた。
〜〜
そうして迎えた最終面接当日。
僕はというと…………出発5分前にも関わらず、母さんのお叱りを受けていた。
「ちょっと陽斗、あなたそんな寝巻きみたいな格好で面接に行くつもり?面接を舐めすぎよ」
「寝巻きって……最大限のよそ行きの格好なんだけど…」
瞬間、母さんの目に炎が宿る。
どうやら、熱血×心配性という悪魔の方程式ならぬ悪魔の掛け算が起こったようだった。
「学生の正装は制服よ?!私服で面接に行くわけないじゃない。そこから違うのよ、そこから」
「………すみません」
あまりの気迫に、僕はもはや平謝りするほかない。
「あなたはもう少し外の世界を知るべきね。私が甘やかしすぎたのかしら。いや、あなたをこんなダメ人間にしたのは、きっとリリアちゃんね」
「なっ、母さん!リリアを悪く言うのは良くない」
「そうね。リリアちゃんは悪くないわ。あなたがダメダメなだけで」
「母さん!」
リリアの名前を出されて、ムキになってしまった僕と母さんの間に火花が散る。
むむむ、としばらく睨み合うも、スマホのアラームが戦いの終わりを容赦なく告げた。
「ほら、アラーム鳴ってるでしょ!早く行ってきなさい。面接で遅刻なんて有り得ないんだからね」
「まだ全然余裕の時間だろ。何なら走って行こうか?」
「髪が崩れるからダメに決まってるでしょ」
「どうすれば良いんだよ僕は!?」
「どうって……」
僕の左胸あたり、母さんが拳を突きつけた。
「いつも通りの陽斗で行けば良いのよ」
押し付けられる拳を右手で包み、僕は笑って小さく頷いた。
「行ってきます、母さん」
このとき、最終面接を告げられた時のような緊張はなく、不思議と体が軽かった。




