きみを失った日
ぼんやりとした灯りの傍で、すっかり背中の曲がったきみは、いつも忙しなくペンを動かしていた。
「眠らなくていいのかい? 人間はちゃんと眠らないとまともに動けなくなるんだろう?」
古い友人としてそんなおせっかいを口にしてみれば、きみはぼくを鼻で笑い、若い頃に比べれば幾分か掠れた声でこう言うんだ。
「……いつも思うが、おまえの言い方はまるで……自分は人間ではない、みたいな口振りだな」
「だってそうだし」
吸血鬼だし。
ぼくが何度そう言おうと、きみは納得してくれなかった。実際にきみの血を吸ってみせてもまるで狼狽えていなくて、無理するなとか言ってきたよね。美味しかったよ、ちっとも無理してない。
シワの一つも増えないぼくを気味悪がらずに、何年経とうと、それこそきみが白髪頭になっても、動きがかなり鈍くなっても、変わらない態度で接してくれた。健康の秘訣は血か? なんて軽口も叩いてくれたね。そうかもしれない。
「イブニング」
きみは机に向き合って、ぼくは後ろの壁にもたれる。そしてきみが「イブニング」と、ぼくの名前を呼べば、ぼくは「どうしたのウィリアム」と返事をするんだ。
当たり前のようにきみは疑問を抱いたことについてぼくに訊いてきて、ぼくはそれに答える。どれもこれもぼくに答えられる質問で正直助かったよ。長生きはするものだね。
「なぁ……イブニング」
「どうしたのウィリアム。そろそろ寝た方がいいと思うけど」
「まだだ。早く、書いてしまわないと……間に合わない」
「何を焦っているのかは知らないけれど、間に合わせることもできるよ?」
「いつもの、軽口か? おまえは本当に……吸血鬼が好き、なんだな」
「好きっていうか、生き様ね」
「……そうだな」
結局ぼくの方が寝てしまったね。
次に目を覚ました時、きみは机に突っ伏していた。もう若くないのだから、きちんとベッドで眠らないと駄目じゃないかと言って、肩を揺すったんだよ。そうしたらきみ、何の抵抗もなくあっさり床へと落ちてしまったよね。音もかなり大きくてびっくりしたんだから。きみ、起き上がらないし、そもそも何の反応もしてなかったし。
──いつの間にか呼吸が止まっていたし。
「ウィリアム?」
きみの名前を呼んだんだ。身体を揺すりながら、きみの名前を何度も呼んだ。こんなにきみは小さかったか、こんなにきみは細かったか、昔に比べたら老いたくらいの認識しかなかったから、その事実にどれだけ驚かされたか分かる? きみを呼ぶ声が大きくなったし、少しばかり声が裏返ってしまったよ。
だけどきみは、二度と返事をしてくれなかったよね。
ぼくの声で人が来てくれて、きみの弔いはあっという間に済んだ。隣の街に嫁いでいった妹さんも、きみの訃報を聞いてすっ飛んで来てくれてね、きみの遺品整理を手伝ってくれたんだよ。まぁ、言うほどなかったけど。
妹さんね、こんなものを見つけましたと言って、きみが隠していたらしい一枚の紙を渡してくれたんだ。ぼく宛ての恋文だよね。
『物語の続きを頼む』
困るよ、ぼくは読む専門。物語なんか書いたことないのに。知っているよね? ぼくは何度か話した覚えがあるよ? 忘れただなんて言わせない。どうせ言えないだろうけれど。
妹さんまで乗り気になって、執筆途中の紙を全て渡してくるし。さすが兄妹って言うべき? それでもぼくにはひっくり返ったって続きなんか書けやしないから、書いてくれそうな人を探すことにしたよ。ぼくが書けとはどこにも記されてなかったしね。
自分のミスをあの世で悔いることだね。