『白人形』
『白人形』
『八月二十日(土)晴れ
今日はパパとリサイクルショップに行った。
パパは「古いものにこそ価値がある」と豪語していたけど、私はそうは思わない。誰が触ったかも分からないものを買うなんて、マジありえない。
なんて思ってたら、パパは棚に並んでた一つの人形を買って、私にプレゼントしてきた。
本当に信じられない!どういう神経してるの!?
パパいわく、気まぐれだって。なんとなくその場で選んだ人形をプレゼントしたら、嫌がる私がどんな面白い反応をしてくれるかっていうね。
萎えた。マジで萎えたけど、そんなことにも目をつぶれるくらい、パパは金払いがよかった。
だから私は、萎えずに耐えた。一夜を明かせばいいだけなんだし。
人形は、持ち帰ったふりをして捨てればいいや』。
「日記、ですね。この時代に手書きなんて珍しい」
小さなノートブックほどの大きさをした手帳に視線を落としながら、雛菊香は呟いた。
土曜の昼間。大学図書館の一階には香の他にも人がいたが、十分に声量を落とした彼女の声は誰の気にも留まらなかった。
「でしょう?警察の人も、書いてある内容におかしな点はないって。ただ……」
「ただ、楠円華さんは援助交際をしていた。有り体に言えばパパ活ですね」
遠慮がちに言う研究室の先輩、原田つぐみの言葉を香は大胆に補足した。
パパ活。売春行為を引き換えに金銭を得る歪な雇用形態に、つぐみの友人は汲み入っていた。
「文面にあるパパとは実際の父親ではなく、その日の買い手である男性だった」
「機械的に言われるとくるものがあるわね。実際その通りだけど」
友達が犯罪行為に加担していたことを追及され、つぐみはたじたじになる。
しかし、事実は事実だ。円華はパパ活をしていた。
「でも、それと円華が亡くなったことと、なにか関係があるの?」
「さあ、今のところはまだ分かりません。彼女の足跡を追って、どういうことが起きたのかを把握しないと」
「だよね」
そのために、今日つぐみは香を呼び出した。
一週間前、自室で不審死を遂げた円華に起こった真相を解き明かすために。
「……読んでいきます」
数秒の間の後、香はページをめくった。
『八月二十一日(日)くもり
朝にパパと駅で別れて、家に戻った。
人形は改札のごみ箱にでも捨てようかと思ったけど、なぜかできなかった。
真っ白で、ずんぐりとした胴体から太く短い頭と手足が伸びているだけの人形。頭には顔も髪の毛もない。のっぺらぼう。
なのに、私はそれをかわいく思えた。手元に置いておきたいと思った。
なんでかな。日記をつけている今でも不思議だ。
とにかく、私は人形を持ち帰ってベッドサイドに飾ることにした。
大きさは三頭身くらい?足を曲げて座らせてあげると、意外なほどに他の人形やマスコットと調和した。
うん。今ちらっとベッドを見てみても、いい感じ。表情がないのがいい味出してるのかも。
今夜はよく眠れそう。課題はだるかったけど、落単がこわいから気合いで終わらせた』。
「人形の話が多いですね」
率直な感想を述べた香。
その目は、ページの下に書かれた人形の模写に注がれていた。
人形は白かった。ページの地の色は白だが、鉛筆で囲った人型の内側をさらに白く塗り重ねていることから、よほど人形が白かったのだと伺える。
「その絵、怖くない?」
対面から手帳を覗き込んでいるつぐみが口を開く。
「円華のお母さんからその日記受け取って読んでみたらさ、それが出てきてびっくりしたわ。その晩の夢にも出てきた」
「確かにインパクトがある絵ですが、正直怖くはありませんね。絵だからかもしれません」
香はどこ吹く風という様子で絵を凝視する。
「えええ!?やっぱり、慣れてるのね……」
つぐみは遠い目をしながら、大声を出す。
香は自称女子大生探偵を自称している。大学で同じ研究室に所属するつぐみももちろんそのことを知っており、今回円華のことを相談したのだった。
「少し、静かにしましょうか」
「……はい」
後輩に窘められる先輩ほど、頼りないものはない。
つぐみは恥ずかしさを覚えつつ、首をすくめた。
香は次のページへと進んだ。
『八月二十二日(月)晴れ
今日は大学の授業があった。だるかった。
なんで受けてんだろと思ったけど、必修だからと思い至って萎えた。
けど、なんでか授業中はしゃきっとできた。いつもは退屈で居眠りしてたのに、今日はなかった。
なんでだろ。新しい人形を迎えて、内心嬉しかったのかな。
それとも、やだ、私ってまだまだ若いところある?
人形をプレゼントしてくれたパパは私の体を見てがっかりしてたけど、心はまだまだやれるんだ!
そうだ、きっとそうに違いない!!』
「底抜けに明るいです」
香は冷静に、客観的な意見を述べた。
日記には大学の授業へのうっぷんと赤裸々な女性の本音が綴られていたが、香には響かなかったようだ。
「この文章を読んで出てくる感想が、それ?」
つぐみは、後輩の冷静沈着さに恐々とした。
普段は物静かでクールなふりをしている彼女も、流石に驚かざるを得なかった。
こんなに人に興味ないってことある?
傍らでつぐみがそう思う一方で、香はページをめくる手を動かした。
『八月二十三日(火)晴れ
今日は大学の授業の後、彼氏と食事に行った。
さすが遊び歩いているだけあって、彼の紹介する店はなかなかよかった。
でも、味はまあまあかな。パパが連れてってくれるお店の方がおいしかった。あっちは高いんだろうけど。
その後ホテルに誘われたけど、あからさますぎて萎えて断った。
どうせ抱かれるなら、お金もらった方がいいもんねえ、だ』。
「パパ活をしてるのに彼氏持ちとは、先輩の代ってこういう人多いんですか?」
「そ、そんなわけない!」
つぐみは慌てて否定する。大声が館内を響き渡り、流石に注目されてしまう。
香は口元に人差し指を当て、『しーっ』のポーズを取った。
「すいません……」
つぐみは今まさに、穴があったら入りたいと思った。
「まあ、派手な性格の人ならそうなのかもしれませんね。私たちがどうこう言っても仕方ありません」
冷静さを取り戻したつぐみを視界に収めつつ、香はパラパラとページをめくる。
「え?もう読まなくていいの?」
「流し見した感じ、このページから亡くなる三日前ほどまで、円華さんはパパ活と大学と彼氏のことくらいしか書いていません。彼女の死に関わるほど重要な情報ではないでしょう」
「そ、そう?」
とは返しつつも、つぐみも日記を一通り読んで、香と同じ考えに至ったので特に口を挟まない。
「じゃあ、三日前くらいから読んでみて。香ならなにか分かるかも」
つぐみの言葉に、香は無言で頷いた。
『九月十五日(木)雨
今日は雨だった。久しぶりの雨でちょっとテンション上がるけど、家にいなきゃいけないのは萎えた。
ベッドに置いた人形たちも、萎えてるように見えた。黒っぽい人形も、心なしかいやそうにしてた。
課題はまだいいし、やることがないので……』。
そこまで読んだところで、香は目を大きく見開く。
「黒っぽい、人形?」
人形の色が変わっている?
あまりにも小さく、そしてはっきりとした違和感に背筋が冷たくなる。
「なに?なにか気づいた?」
知りたそうなつぐみの声を無視し、香は手を動かした。
人形。人形の記述があるページはないか。
九月十五日からさかのぼっていった。
『九月二日(金)晴れ』
今日は華金。個人的に一週間で一番嬉しい日。
なんてったって臨時収入もあるしね。テンション上がらずにはいられない。
四限の授業をしゃきっと済ませたら、電車を二本乗り換えて今日のパパと待ち合わせ。
夜の方もなんだか元気だ。あの灰色の人形を受け入れてから、エナドリきめてるときみたいな活力が湧いてくる。
それから、たっぷりかわいがってもらってから……』
灰色の、人形。
買った八月の二十三日は白で、九月の十五日に黒っぽいとあったことから、人形はだんだんと黒ずんできているのか?しかも、円華は色の変化に気づいていない?
どういうことか分からず、鳥肌が走る。
「色です。人形の、色が変化していってるんです」
「人形の色?それが円華と関係があるの?」
つぐみの疑問に答える代わりに、香は手を動かした。
今度は、円華の死の二日前へと。
『九月十六日(金)くもり
最悪だ。パパに別れ話を切り出された。
あの黒い人形をプレゼントしてきた、金払いの良いパパだ。
もう飽きたって。老けすぎだって。
なんで?心はまだJKなのに。体つきは貧相な方だけど、愛ならあった。
どんなことだってしてあげられる。お金さえ払ってくれれば。だから捨てないで。側にいさせて。
私は興奮してそんなようなことを口走ったけど、まるで相手にされなかった。
「これで最後ね」
本当に、それが最後の言葉だった。
最悪』。
「人形が、黒になっている」
おそらくつぐみは、日記を通して読んだために気づけなかったのだろう。
日記に登場する人形の色が、グラデーションを経て白から黒へと変貌していることに。
その事実に気づき、香は息をのんだ。
「ねえ、どうしたの?」
「さっき言った通りです。人形の色が変化しています。円華さんの日記が進めば進むほど、人形の色が黒くなっていっているんです」
「え」
つぐみは香から日記を受け取り、読んでみる。
「ほんとだ……」
そして驚嘆し、ため息をこぼした。
「でもこれが、円華の死と関係しているの?ただ単に人形が劣化していっているって可能性は?」
「ないですね」
香はきっぱりと否定した。
「数週間で真っ黒になる人形なんて、ありませんよ。それに、もしあったとしてもリサイクルショップに並んでいた時点で真っ白なのはおかしいです。店に置いてあるときにも劣化していくはずですから」
「それは、確かに……」
つぐみは香の言葉を咀嚼すると、下を向いて考え込む。
そんな彼女に、香は諭すように自分の説を明かしていく。
「思うにこの人形は、ある種の『身代わり』だったんじゃないでしょうか」
「身代わり?」
「はい、そうです。持ち主の代わりに厄を吸い取り、色として表す人形。厄は、ストレスや倦怠感と言い換えてもいいかもしれません」
「ストレスや倦怠感……。じゃあ、円華の日々のストレスとか倦怠感を、人形が吸い取っていたということ?」
「そうではないでしょうか」
「ありえない……」
そんな、おとぎ話じゃあるまいし!
また大声が出そうだったので、つぐみはその言葉を飲み込んだ。
「ですが、日記はそう物語っています。そうでなければ、人形が変色している説明がつきません」
「……」
自信のある声色で物申す香に圧倒され、つぐみは押し黙る。
分かっている。心の奥底では、そうじゃないかと思っていた。
円華は、なにか超常的なことが起こって死を迎えた。
彼女の死因が急性の心臓麻痺で、ベッドサイドにどす黒い人形が鎮座していたという事実も照らし合わせれば……。
香がその結論に至るのは、至極当然のことだった。
「……さい…の……ジを見て」
「はい?」
「最後のページを見て」
数分ほど間をおいて、つぐみはからからに乾いた喉から一言を絞り出した。
「分かりました」
香は小さく頷き、ページをめくった。
『九月十七日(土)
黒』
これだけ。
その一字とともに、ページは真っ黒に塗りつぶされていた。
しかもただ塗りつぶされていたのではなく、鉛筆かシャープペンシルで、丁寧にページの隅から隅まで塗られていた。
「……これも模写、でしょうね」
人形の模写。
香はそう言いたいのだと、つぐみは理解した。
「……やっぱり、円華の死には人形が関わってるの?」
「その可能性が高いと思われます」
香は努めて、理性的な声色を意識して応えた。
自分の友達が人形に殺された。しかもこれは、ある種の呪いだ。
その事実を、目の前にいる先輩が受け入れられるとは到底思えなかった。
「最大限まで厄を吸い切った人形が、持ち主に災いをもたらしたのではないでしょうか。死という、最も強力無比な災いを」
「そ、そんな……」
「もちろん、私の説が見当外れという可能性もあります。パパ活相手に淡い恋心を抱いていた円華さんが失恋し、そのストレスを機に心臓麻痺に陥った。あまり病理学や解剖学には詳しくありませんが、なくはなさそうです」
「でも、香の考えは違うのよね?」
「はい、違います。この白い人形が、彼女を死に至らしめたのだと思います」
「……」
あまりにもストレートな物言いに、つぐみは口を噤んだ。
「そんなこと……」
「信じる信じないはつぐみ先輩の自由です。ですが私は、そう思います」
香はきっぱりと言う。
「この人形は危険です。つぐみさんはご存じないかもしれませんが、今どこにあるかお分かりですか?」
「私の、家」
「はい?」
「きっと、私の家にあるのがそうだと思う。日記と一緒に、彼女のお母さんから渡されたの。円華が大切にしていたものだから、って」
「……すぐに行きましょう」
香は言うなり、素早く立ち上がった。