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『生まれ、生き、死に』

『生まれ、生き、死に』


「この世に生まれ落ちた人は、決められただけの時間を生き、やがて死ぬ定めにある」


 病衣を着た少女は、儚げな笑みを浮かべて香に伝えた。


 それはどこまでも美しく、可憐な笑顔だった。悲しみや苦しみ、痛みといった負の感情は含まれていない。


「達観、されているんですね」


「まだ若いのに。そう思う?」


「いえ、精神の成熟具合と実年齢は必ずしも比例しません。いくつになっても子どもっぽい大人はいますし、あなたのように大人っぽい子どもだっています」


「私十六、もうすぐで十七よ。もう子どもじゃない」


「いいえ、子どもです。日本の成人年齢は十八歳ですので」


「……変なところで融通が利かないんだから、香は」


 少女はため息をつき、これ以上の会話は不毛とばかりに視線を落とした。


 皺だらけの真っ白な掛け布団に。


 少女は入院しており、ゆったりとした広さの個室を割り当てられていた。


「……それでは、本題に入りましょう」


 香も腹を括った。


 数日前、『怪異探偵』を自称している香のSNSアカウントに、不可思議な文章を送ってきた少女の真意を聞く準備を固めたのだ。 


「自身の寿命が分かるというのは、本当ですか?自分がいつどのようにして死を迎えるか、理解していると仰っていましたが」


「ええ、本当よ。私は来週の日曜日、十七歳を迎えた瞬間に死ぬ」


 下を向いたまま、少女は力強い口調で言った。


 香は、そんな彼女の後頭部をぼんやりと見つめていた。


「なぜ、そう確信しているのですか?」


「根拠が分からないから、私には説明できない。説明できないけど、分かる」


「……そうですか」


 香は小さく頷き、目を閉じて考える。


 生まれ落ちてから今日まで、香は様々な超自然的な現象に遭遇してきた。その経験と知見が、少女がでたらめを言っているのではないと訴えかけているのだ。


「では、確信を得た経緯について教えて頂けますか?メッセージで頂きましたが、念のためもう一度お聞きしたいです」


「分かった」


 こくんと首を縦に振り、少女は話し始める。


「あれは三年前、十四歳になった誕生日の日だったわ」


 十四歳ということは、中学二年生のときか。


 香の頭の中に『中二病』というワードが浮かんできたが、すぐに掻き消す。


「自宅で開催されていたパーティが終わってから、私はお風呂に入って歯磨きして映画を見た。それから……」


「待ってください。一つ一つ確認したいです」


 早口でまくしたてようとする少女に、香は右の手のひらを突き出して制止する。


「まず誕生日パーティ、いや誕生日以前についてお聞きします。あなたは生まれてから十四歳の誕生日までの間で、なにか不自然、もしくは不思議な現象が起きたことがありますか?怪しい人に会ったなどでもかまいません」


「現象や人……。そうね」


 頭をかしげる少女。さらさらとしたセミロングの黒髪が滑り落ちていく。


「ないと思う。そうした現象に遭遇しているのなら記憶に残っているはずだし、覚えていないということはないんでしょう。不審人物もないはず」


「なるほど」


 覚えていないだけ、もしくは遭遇した後に記憶を消された可能性も考慮しつつ、香は情報をインプットした。


「では、次の質問にいきます。次はあなたの遺伝的情報について」


「遺伝的情報?」


「はい。簡単に言うと、両親のことです」


「ああ、そういうこと」


 少女は納得のいったという風な微笑みを浮かべる。


「両親からは特に、遺伝とかはないけど……」


「では、遺伝した超能力という可能性は低そうですね。それでは、ご両親はどのような仕事をしているか、ごあなたはご両親からどんな教育を受けてきたかを教えてください」


「母は外資系のOL、父は大手メーカーの製造部門に勤めているわ。教育は……、他の家のことはよく分からないけど、そこそこ勉強してたと思う」


「いわゆる、英才教育ですか?」


「そこまで高度じゃない。塾に通ってた程度。中学受験もしてない」


「スポーツや運動はどうでした?」


「嫌いじゃなかったけど、得意でもなかった。習いごとも行ったことない」


「芸術関係はどうです?ピアノとか絵とか」


「はっきり言ってからっきしよ。やったことない。始めてみようと思ったことすらない」


「そうですか」


 頭脳明晰か、高IQに由来するある種の『予知』でもなく、クリエイティブ方面の才能が悪さをしたわけでもない。


 過去の事象や血統が原因ではないと断言してよいか?香は思考を巡らせる。


「では、十四歳の誕生日について聞きます。誕生日パーティの最中、なにか変わったことはありませんでしたか?」


「特にないわね。小学校からの友達と中学でできた新しい友達を呼んで、大量のディナーを食べたわ。強いて言うなら食べすぎたくらい」


「不躾ですが、ご親戚などは参加されなかったのですか?」


「親の誕生日には呼んでるけど、私のときには呼んでないわ。その分、気兼ねなく学校の友達を招いてる」


「参加者どうしが気まずくならないように配慮していたのですね」


 香はかしこまって受け答えながら、親類縁者の可能性を排除する。


「ちなみに、お友達で不思議な子はいませんでした?霊感があるとか、魔法が使えるとか」


「いるわけないわ。いたら疑ってる」


 自身に超常的なことが起きているのに、霊や魔法には否定的な口振り。


 その矛盾した少女の態度に、香は苦笑いで応じた。


「それなら、周りの人が原因ではないと言っていいでしょう。質問を続けても?」


「大丈夫、疲れてない」


 そう言いつつも、ため息をこぼす少女。久しぶりに長々と会話したせいだと推測できる。


「では次は、パーティの後についてです。順番に、入浴、歯磨き、映画鑑賞をしたのですよね」


「ええ、そうよ」


「入浴のときはなにか異変は?」


「なかった」


「いつもどれくらい湯船につかっているのですか?湯冷めした可能性はありませんか?」


「ないわ。誕生日だろうがいつだろうが、大体三十分くらい湯船に浸かってしっかり体と頭と顔を洗っているもの」


「俗に言う入浴のルーティーンに変わりはなかった?」


「ええ」


 人は誰でも、自分の中で決めたルールに従って入浴のプロセスを踏んでいる。例えば、湯船に浸かる前にしっかりとかけ湯するとか、体を洗うときはまず首からボディーソープで擦るとかだ。


 香はあらゆる可能性を考慮するために、その自分ルールについて聞いてみた。


「入浴剤はどうです?」


「いつものを使っていたわ。色と香りは日替わりにしてるけど、何種類かあるうちの一つだし……。誕生日だから特別のにしたりとかはない」


「入浴は問題ない、と。では次に、歯磨きについてですが……」


「異常はなかったわ。いつも通り丁寧に磨いた」


「そうですか」


 だんだんと聞かれることが予測できるようになり、少女は香の言を遮って答えた。


「歯の治療をされたことは?虫歯や歯列矯正などです」


「ない。甘いものはそんなに好きじゃないし、ケアは怠ったことない」


 歯の治療と称して、なにかをされた覚えもないと。


 香の脳内メモが充実していく。


「歯磨き粉はいつも通りですか?その夜だけ違うのを使っていたりとか……」


「ないわ。いつも通り」


「なら問題なしですね。次は……」


「映画ね」


 頷く香。


「実のところ、私も映画が怪しいと思ってる。内容はただのアクション映画なんだけど」


「その映画は有名なものですか?実は超マイナーだったり……」


「いや有名よ。なんてったってあの、ジミー・ヨットが主演の『クエスト・アンストッパブル』の当時の新作だったもの」


「ああ、あれですか。三年前に視聴可能な作品だとすると、『オペレーション・ブラッドハウンド』でしょうか?」


「当たり。映画に詳しいのね」


「有名なものしか知りませんよ」


 少し見直したという風な少女と、たはは……と笑ってみせる香。


 なお、ジミー・ヨットは日本のみならず、世界中で有名なアクション俳優の名前だ。シリーズ『クエスト・アンストッパブル』は彼の代表作であり、『オペレーション・ブラッドハウンド』は最新作のタイトルである。


「内容はごく普通のアクションものですよね。鑑賞時になにか変わったことは?」


「なかったと思う。両親と見てたけど、特になにも」


「それでは映画を見て、なにか特別な感想を抱いたり、特殊な気持ちになったりとかは?」


「特別も特殊もなにも、面白かったとか、ジミーがかっこよかったなくらいだけど」


「それは、特別でも特殊でもないですね」


 ごく普通の感想であり、年頃の女子が思うような気持ちだ。


 映画が原因でもないか。香は判断する。


「となると、次が最後です」


「最後……」


「寝る前、正確に言うなら眠りに落ちる前、どんなことを考えていましたか?」


「そうね……」


 ここで、少女が顔を少し強張らせる。


「実は、これは誰にも話したことがないんだけど……」


「ぜひ、話してください」


「あの夜、漠然とだけど、こんな日々が続いていくのかなって思ってしまったの。誕生日みたいな楽しい日だけじゃなくて、辛い日や悲しい日もきっとあるんだろうけど、私たちは生きている。一日一日を積み重ねて、私たちは生きていくんだって」


「はい」


「そして同時に、その終わりについても考えてた。多少の差はあっても、同じような毎日の繰り返しの先に待ち受ける終わり。死の存在について」


「死、ですか」


 十四歳にして死生観を掴むとは、ずいぶん成熟しているなと香は思った。


「死に焦点を当てて、それについて想像したとき、私は気づいた。死ぬことは仕方のないことで、受け入れるしかないってね」


「怖くなかったのですか?」


「うん、まったく」


 少女が唐突に頭を持ち上げる。


 悟りに満ちた表情をたたえたその顔に、強がりの味はなかった。


「始まりがあるから、終わりがある。生命は全て、生まれ、生き、そして死ぬの。そこに恐怖なんて感情はいらない。私も一つの命なんだから、その法則に則るだけよ」


「法則ですか」


 自分の生き死にを理の一部とみなし、達観する。


 言ってしまえばそれだけのことだが、これがどれだけ難しいことであるかは香にもよく分かっている。


 死を『よくあること』として捉え、身近な人や自分にも降りかかる現象として戒めていなければ、たどり着けない考え方だからだ。


「寝る前の考え方は以上ですか?他にあります?」


「ない。疲れてたし、ベッドに入ってから十分くらいで眠りに落ちたと思う」


「……分かりました」


 考え込むふりをして返事をしたが、香は確信していた。


 生と死の運命に気づいたことが、少女が死期を知る原因ではないか。


 というか、他に原因らしい原因がない。もちろん、当事者に原因や理由がなくても起こることはあるが、大抵の超常的な現象は因果に紐づけられている。


 祠を壊したから、神様の祟りが下されたとか。真夜中に散歩していたから、宇宙人にさらわれたとかだ。


 原因があるから結果が生まれる。それは生と死と同じくらい普遍的で重要な、世界の真理だ。


「では最後の最後にお聞きします。夢の内容についてです」


「やっと本題ね」


 いいえ、本題はもう既に過ぎました。と、香は心の中で思う。


 話したいことを話せる嬉しさで、悟ったような無機質な少女の顔に活力が宿る。


「夢のことはよく覚えているわ。気づいたら、つまり眠りに落ちて夢の世界に入ったとき、私は白い空間に立ってた」


「明晰夢ではありませんでした?これは夢だと夢の中で気づけていました?」


「いや、そのときは気づいてなかった。でも、後からあれは夢だったんだ、って思い返せるくらいには覚えてる」


「なるほど。続けてください」


 至って自然な夢の記憶の仕方だ。


 少なくとも、寝ている間に強引に植えつけられた情報ではないか。


「白い空間には、全てがあった。小学校の校舎、中学の教室、塾の入ったビルのエレベーター。小さい頃行ったテーマパークの観覧車、たまに行く映画館の薄暗いシアター、行きつけの美容院の鏡、最寄り駅の改札、スーパーのお菓子売り場。それらは全て、私が行ったことがある場所だった」


「なんだか走馬灯みたいですね」


「私もそう思った。でも、おかしなことがあった」


「なんです?」


「未来も見えたの。十五歳の自分を祝うパーティーの飾りつけがされた自宅のリビング、まだ受験もしていないはずの入学した高校の教室。新しい通学コースから見える大きな一本杉、放課後に買い食いするようになるソフトクリーム屋、十六歳のパーティーのリビング。それに……」


「それに?」


「それに、拒食症が原因の栄養失調で入院してからの光景も見えた。不自然なくらい清潔で殺風景な、この部屋が。ベッドのそばには点滴が置かれていたわ」


 走馬灯の規則性に準ずるならば、それは今の少女の病室だと捉えていいだろう。


「それらの風景や部屋は、どのように見えました?古いものから順にゆっくりと感じられたのか、ランダムに目まぐるしく変わっていったとか」


「後者ね。空間が白だったのはほんの一瞬で、次の瞬間には見境なく色々な場面に切り替わっていったわ。今説明したような移り変わる色々な場面の中に、一人置かれていた」


 まるで記憶を反芻しているかのようだ。ますます走馬灯という言葉がしっくりくる。


「ただ、十四歳時点では未来の記憶である、十五歳と十六歳のときの場面も出てくるのは走馬灯だと説明がつきません」


「そうよね」


「それに、一般的に相馬灯は死ぬ寸前に見るものです。なぜ、十四歳の誕生日に十七歳までの場面が出てきたのでしょう」


「それが分からないから、香に相談してみたんだけど」


 少女はそう言って、あどけなく微笑んだ。


「ですよね、あはは。……夢の中で様々な場面を体験したのは分かりました。が、十七歳で寿命を全うすると確信するに至る情報はまだ出てきていませんよね」


「それは、走馬灯のような夢の最後にあったのよ……」


 少女が唾を飲む音が、静かすぎる病室内に反響する。


「一つ前までは順番があやふやだけれど、最後はここだったことは記憶してる」


 人差し指を下に差し、香と自身のいる病室を示す。


「最低限の飾りつけがされて、ベッドサイドのテーブルにはケーキが一ピース置いてあった。だから、あの光景は十七歳の誕生日のときの病室なんだって気づいた」


「誰かいなかったんですか?ご両親やお友達は?」


「誰もいなかった。というか、出てきた場面全てに人は出てこなかった。風景だけ」


「そうですか」


 風景だけ?おかしな話だ。


 記憶の中に人物が出てこないのはなぜ?少女は多くの人と関わってきているのに。


「十七歳のときの病室の場面が現れてから、どうなりました?」


「だんだんと視界がぼんやりとしていって、色どうしが溶けていった。涙で滲んでいるときの視界みたいに」


「なるほど」


「そして、混ざり合った色は黒になった。辺り一面の黒。目を閉じているときに見える景色でいっぱいになった」


「なるほど」


「それで目が覚めたわ。朝になってた」


 少女は話し終えると、口をつぐんだ。


 その様子を香はじっと伺う。


「今の話で以上ですか?」


「ええ、終わり」


「ではあなたは、例の夢の中で十七歳の誕生日以降の場面が見れなかったので、自分は十七歳の誕生日に死ぬと考えたわけですね」


「そう。あれが走馬灯と考えたら、だけれど」


「なるほど……」


 ある種の予言のような声を聞いたり、死ぬ場面を見たわけではないのか。


 少女は数日後に死ぬことを確信しているが、実際に話を聞いてみるとその確信に至る根拠はいささか弱かった。


 走馬灯の内容や夢を見た時期にもおかしな点があるし、さてどうしたものか。香は思案する。


「少し、弱くありませんか?」


「弱いって?」


「来週の誕生日に死ぬという確信が、です。走馬灯で十七歳以降の場面が見えなかったからといって、なにも死ぬと決まったわけじゃありません。なんらかの理由があるのかもしれませんし、それだけで判断するのは……」


「じゃあ香は、私が生き続けるというの?夢がおかしかっただけで、なんの変哲のない日々を過ごして十八歳も十九歳も迎えることができるというの?」


 香の説明の途中で、少女が力強く割り込んできた。


 生き続けられるのか、十八歳も十九歳も迎えることができるのかという純粋な問いかけに聞こえるが、口調には否定的なニュアンスが滲んでいる。


 まるで……。


「まるで、否定してほしいみたいですね。自分は十七歳で死ぬのだと、私に断言してほしいような」


「……」


 少女は押し黙り、顔を下げた。


 香は半歩歩み寄り、ベッドの上にかがみこんで彼女の頭を両手で持ち上げる。


 抵抗はない。生きる信念のこもった目と、生を諦めた虚ろな目がぶつかり合う。


「ええ、私は肯定しますよ。あなたは生き続けて、十八歳も十九歳も迎えるべきなんです」


「私は……」


「運命だと決めつけて、人生からドロップアウトするのですか?恵まれた環境でなにもかも満ち足りているのに、ちょっと気づいただけで生きることから逃げるのですか?」


「ドロップアウトじゃないっ!気づいただけじゃない!」


 急な金切り声。


「じゃああの夢はなんなの!?走馬灯はなんだったの!?未来が見えたのはなんでなのっ!?香には分かるっていうの!?」


「分かりません」


「……そう」


 香は視線をそらさず、ゆっくりと両手を離した。


 だが、少女の目つきは鋭いままだった。


「あなたに頼んだのが間違いだったわ」


「分かりませんが、推測することはできます」


「……推測?」


 香の目に怪しい光が宿った。


「そう、推測です。あなたはパーティーで大量の食事を摂り、たっぷり時間を取って入浴し、歯磨きし、映画鑑賞をした」


「ええ、そうよ」


「しかし入眠する寸前、気づいてしまった。似た日々を繰り返すだけの生に。始まりがあれば終わりがあると」


「……」


「だからあなたは、諦めてしまったんです。全てに意味がないと決めつけて、眠りに落ちてしまった」


「それが、それがどうしたっていうのよ……!」


 少女の声が震えてきた。


「言いましょうか。あなたの心は、精神は、そのとき死んだんです。十四歳の誕生日に」


「違うっ!」


「違いません」


 推測のはずなのに、ちゃっかり確定したことのように話を進める香。


「心が死んだので、走馬灯を見た。ですが意識は手放していたので、走馬灯が流れたのが夢の中だったんです」


「……」


「ただ、そこで一つ矛盾が起きた。心はすっかり枯れて死んでしまったのに、体はいきいきと生命力に満ち溢れていたんです。ちゃんと栄養を摂って幸せな時間を過ごしたばかりだったですからね。急激な心の老いに、肉体がついていかなかった」


「心の老い?肉体がついていかなかった……?」


「そうです」


 今までずっと感じていた言いようのない症状に、一般的な病名を以て診断されたようなカタルシスを少女は感じていた。


 私って、そうだったんだ。


 あのとき、心が枯れきっていたんだ。


 少女の両目がきょろきょろと泳ぎ始める。


「肉体はあと三年は健康に生きられるはずだった。あなたが拒食症で栄養失調になったとしても、三年のロスタイムは保証されていたんです」


「……」


「あ、今はアディショナルタイムですね」


 そんなことはどうでもいい。


「三年……。十七歳の誕生日」


「そうです。肉体の終わりは三年後の予定だったので、それに伴って走馬灯のアディショナルタイムが発生したんです。十四歳の誕生日に、肉体がこれから経験していくであろう場面を映し出してしまった」


「……」


 言葉が出なかった。


 なんで、あなたは説明できるの?私の話を少し聞いただけで、私を納得させられる理論を展開できるの?


 風なんて吹いていないのに、空調も入っていないのに、少女は寒気を覚えた。


「つまり、心の終わりと肉体の終わりがずれてしまったために、未来が見えたんです。それが、あなたの夢の走馬灯の正体でしょう」


「そんなこと、ありえるの?」


「ですから、分かりません。私には推測することしか」


 肩をすくめてみせる香。


 分からないことを濁してもしょうがない。分からないとはっきり伝え、受け取り手である少女に納得するか否かを委ねる。


 今回のケースではおかしな夢が少女に悪影響を及ぼしているが、結局は生と死の真理に到達して枯れてしまった少女の心に根本の原因があった。


 なので、香がどんなに理論的でありえそうな原因を語ったところで、少女が納得できなければ解決できない。


「そもそも、走馬灯という現象も未だ解明されていませんからね。死の間際などの極限状態で記憶が映像のように再生される、なんてもっともらしい説明はありますが、具体的に脳がどう作用しているかといったメカニズムは未知のままです。あなたも、それはご存知で私を頼ったのですよね?」


「それはそうだけど……」


 さっきの会話で走馬灯について調べたことを自白していた少女は、力なく頷いた。


「でも、未来が見えるなんて……」


「可能性はなきにしもあらず、ですよ。あなたが経験したいわば未来視には、走馬灯や夢といった未解明の脳の作用に加えて、諦めの感情という不確実で抽象的な要素が関わっています。であるならば、起こる現象が道理や科学で説明のつかないことになる可能性はなきにしもあらずです」


「そう、なの?」


「そうです。因果はセットの関係にあると先ほど言いましたが、今回もそうです。往々にして、不可思議な結果には私たちの理解の範疇を越えた原因が潜んでいるものです」


「……」


 夢の中の走馬灯、未来視という結果に潜む、心の死と肉体の寿命のずれという原因。


 それがこの、私の運命を握る現象の因果なの?


 納得、できなくはないけど……。


「といっても、今すぐ納得するのは難しいですよね。十四歳の時点で心が死んでいたなんて言われても、なに言ってんだって感じですよね」


「……」


「ですが……」


 香が再び少女の頭を固定する。


 香の視線に釘づけにされ、迷走を極めていた少女の黒目が静止する。


「ですが、私の説明は、あなた自身が納得するに足る根拠になると思います。今までの自分に折り合いをつけて、納得できます」


「……」


「というか、納得してください。今すぐ精神科にかかって心を癒やしてください。自分の運命を決めつけないで、周りの人を頼ってください。両親を、友達を、私でもいいです。頼ってください」


「私は……」


「頼りは必要ない、ですか?いいえ。あなたの、あなたの拒食症と枯れてしまった心には、周りの人の支えが必要です。今の点滴生活では、未来視の記憶のように十七歳の誕生日までしか迎えられませんよ」


「私は、それでも……」


「よくないです!」


 香は唐突に声を張り上げた。


 今まで冷静な声色しか受けつけてこなかった少女の耳がびっくりし、体が震える。


「あなたは生きるべきです!この世に死んでいい命なんてないんです!もちろん、生命には期限があります。どの命も等しく、生まれ、生き、死にます。しかし、それは自分の意志で死んでいいという意味ではない!」


「私は死のうとなんてしてない!走馬灯で決められていたから……」


「同じことです。あなたは生きることを諦めていた。夢を見たときから、生き続けるという選択肢を捨ててしまった。それは、自分の意志で死を選ぶのと同じです」


「……」


 その通りだから、言い返せなかった。


 私は、生きれていなかった。


 始まりと終わりを知った気になって、その中間にある最も大事な、生きるという行為をないがしろにしていた。


「……親が悲しむとか、友達のことを考えてとか、そんなことは言いません。あなたは、自分のために生きてください」


「……」


「同じことの繰り返しなら、自分で変えていけばいい。退屈なら、私と捜査しましょう。旅行に行きましょう。学校なんて行かなくていいんです。やりたいことをやればいい」


「……」


「とにかく、具体的な治療としてメンタルケアをおすすめします」


 そこまで言うと香は両手を離し、視線を逸らした。


 少女は金縛りが解けたかのように強張っていた全身を弛緩させ、忘れていた呼吸を再開した。


「私は……」


「まだ、浸っていたいですか?生きることを諦めていることを続けて、緩やかな死を選びますか?」


 分からない。少女は答えを出したくなかった。


 答えを出して、定められた位置に収まっていたはずの運命の歯車を壊したくなかった。


「もし。もし、あなたがその気なら……」


「……」


「私も手段を選びません」


 なにをする気?


 なんて、聞けなかった。香の顔が、その鬼のような般若のような形相が、聞くことを許してくれなかった。


 恐い。なんて久しぶりな感情だろう。


「……治療するわ。親に相談してみる」


「それはよかったです」


 思わず口を突いて出た一言に、満点の笑顔をたたえる香。


「辛かったら、両親や先生に話さなくても大丈夫です。特に走馬灯のことは話しても理解されるような内容でもないですから」


「そこは話さないつもり。でも、死生観については話してみる」


「それがいいでしょう」


 言い訳を補強するための言い訳がどんどんと出てくる。


 が、香は満足そうに首肯して、ほうとため息を吐いて居住まいを正す。


 半ば脅されて治療することを約束させられたが、少女の中で決心はついていた。


「おっと、だいぶ長居してしまいましたね。そろそろ失礼します。先生を呼んできますか?」


「いや、自分で呼ぶ」


「それなら、私はこれで」


「待って」


 後ろ手で引き戸を開けた香に、少女は待ったをかける。


「はい」


「まだあなたの推測は飲み込めていないのだけれど、ありがとう」


「いえいえ」


 最後に、視線が交錯する。香は少女の視線から、安堵したかのような充足感と並々ならぬ決意を読み取った。


 もう、心配はいらないようだ。


「では」


 右手をさらさらと振って、怪異探偵は病室をあとにした。



 ※※※



 一週間後。


 病院で一人の少女が息を引き取った。


 栄養失調による多臓器不全が死因だった。


「そうですか……」


 あの目は、そういうことだったんだ。


「私は、なんてことを……」


 言うなれば、末期がんであることを知らずにいた患者に病名と余命を宣告した医師のような、もっとも残酷なメッセンジャーに香はなってしまったのだ。


 彼女が生きることを完全に諦めるに足る、その納得できる根拠を、香は説明してしまったのだ。


 霊安室が涙で滲む。


「……」


 生まれ、生き、死に。


 命は循環していく。

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