墓穴は自分で掘るものだ
魔王エシュメルは、自分の死因が知りたくば私の死因を話せ、と私に囁いた。
「いや、別に。あなたの死因には興味がないし」
「お前。それが一夜を過ごしたい相手に言う言葉か?一夜だぞ。裸で無防備であられもない姿を晒す相手だぞ?股を広げんだぞ?つっこまれんだぞ?相手のことを全部知ってから捧げたいとか思わないのか?」
前世に妹がいたという魔王からの台詞は、お兄ちゃんそのものだった。
私は魔王に全部言うべきだろうか。
あなたを全部知らない時に、私は処女をあなたに捧げたかったです、と。
今は無理だよう。
近所の良いお兄ちゃんっぽく過ぎて、気恥ずかしさで死ねる。
「俺はお前の前世の姿を知って、ありかな、とか思ったぞ」
この、天然の人たらしめ。
前世の妹の亭主に惚れられて妹に刺された、そんな過去が納得できる人である。
「えっと、私の死因ね。たぶん単なる事故死?」
「多分?暴走車にでもはねられたか?」
「暴走車にはねられたみたいな衝撃受けたのは事実ね。お届けものだって言うから玄関開けたら、DVで離婚調停中と噂の従妹の旦那に押し入られた。それで大コケして、そのあとはコレだから。多分転んだ時に頭を強く打って死んだんだと思う。よくある事故でしょ」
エシュメルは数秒だけ固まり、それから、なんと私の後頭部に右手を当てて、それから、ええと、私の顔を自分の胸に押し付けた。
「――怖かったな」
エシュメル!!
「もう大丈夫だ。だろ?」
私の体はふるふると震え始めていた。
エシュメルの言う通りに、死んだ日の記憶で怖くなったからではない。
エシュメルに慰められている、この状況に感動しきりなのである。
「ありがとう。あなたの優しさで、なんか、この記憶だけで死んでもいいやって感じ。あなたは優しいのね」
「え?」
エシュメルから裏返った声が上がる。
その次には、磁石が反発したみたいにして、彼は私から飛び退って離れた。
私の気持の盛り上がりを台無しにした彼は、真っ赤になってしまった自分の顔を右手で隠し、私に左手の手のひらを向ける。
「すまない。前世の感覚で馬鹿な事をした」
魔王様!!
魔王なんだから謝っちゃ駄目!!
「いや、いい。えっと。私こそ癒されたみたいだし、だし?」
「――癒された?」
「う、うん。前世で出会いたかったって、感じ」
エシュメルは私に向けていた左腕を天井に向け、軽く指を鳴らした。
披露宴の写真は消え、その代わりにベッドに横たわるエシュメルの前世の姿がそこに映し出された。
花束と元気だった彼が制服姿で笑う写真が、白布を被せられた彼が横たわるベッドに手向けられている。
彼の顔の様子はわからないが、白布からはみ出した彼の手が焼けただれた上に煤けて真っ黒な事で、彼の死因がハッキリとわかった。
「わかった?俺の死因と前職」
「わかった。でも皮肉ね。人を助ける消防士さんが魔王様になっちゃったなんて」
ついでに私は理解してしまった。
魔王である彼が身をやつして人が住まう砦の騎士となり、人を助ける側に回ってしまったというその理由が。
「でも、本当に人は外見じゃ無いのね。中身、こそなのね。あなたは魔王として蘇った時、きっととても辛かったでしょうね」
「ああ、きつかったよ。魔王だからってご機嫌伺いに美姫やら美童やら次々捧げられて、それだけじゃなく、サキュバスとかインキュバスとかまで俺の寝所に来やがるの。それで俺は出奔しちまったんだよねえ。気が付いたら俺の部屋は真っ赤な肉片だらけのくそ臭い部屋になっていたからさ。こんな汚いケツ穴みたいな場所にはいられねえってね」
エシュメルの外見は再び魔王そのものに変わっていた。
頭からは異形の角が生え、大量虐殺したらしい告白の中で、宝石みたいな色合いだった青い瞳はマグマが広がるように真っ赤に輝き、牙の生えた口の歪みによって彼の表情が恍惚としている、ように見える。
私の背中に、ぞくっとした悪寒が走る。
でも、本物の恐怖心を抱きながらも、私は彼から目が離せない。
私は彼へと引き寄せられていた。
エシュメルの両眼は狂気を帯びていたが、左の目尻からつっと雫が頬を伝ったのである。
人の命を助けて来た人の転生先が魔王で、魔王として生きる事によるストレスで魔王だったらしないはずの仲間殺しをしてしまった哀れな人。
「同情か?」
「良い男を抱き締めるなら今でしょ?」
本当は抱きしめてもいない。
彼の左腕に縋るようにして掴み、彼の左肩に顔をくっつけているだけだ。
しかし、私の頭は大きな手で撫でられた。
そしてその手はそのまま私の後頭部に添えられたままだ。
「てめえは、ふざけた女だよ。毎日毎日、俺に穴が空くぐらいに見つめてきやがる。それも、ただただ見つめるだけだ。俺がお前を見返せば、お前は微笑み返すどころか顔を真っ赤にして隠れてしまう。砦を守る聖女様が俺が魔王だと見破れなくてどうする?それでちょっと脅えさせれば、思い出が欲しいから寝てくれと強請りやがる。この魔王な俺に」
「脅え、させれば?」
私は聞き返そうとしたが、私の後頭部を支える大きな手はそれを許さなかった。
その代わり、という風に、私は頭頂部に温かで柔らかな感触を感じた。
一瞬だけ。
それが何だったのか確かめようにも、私にはもう何もできない。
私がしがみ付いていた逞しい左腕は、すでに私の腕の中には無い。
魔王は魔王らしく、姿を消していたのだ。
私は自分の目尻から流れる涙を拭いた。
ハンカチを手渡してくれる人なんか今の私にはいないから、右腕で思いっきり少々乱暴に目尻を拭ったのである。
「良い思い出をありがとう。あと二日。頑張って生き抜くわ」
お読みいただきありがとうございます。
明日からは夜一回更新となります。