第九六話 再会ですわ!
帝国首都:帝国議事堂
入り口近くの待機所にて、ソファに座っていたオディールが、新たに姿を現した壮年の男性に視線を向けた。
壮年の男性……などとわざとらしい言い回しをしているが、その男性の名前とはヘルムート・ルーフェ。
顔は年月の累積を思わせる渋さを放ち、所々に細かな傷が見受けられるものの、どこかオディールの面影がある。
それもそのはず、ヘルムート・ルーフェは若年から数十年もの間ルーフェ領を治めてきた傑物であり……オディールをルーフェ領から追放した張本人である。
「──」
オディールはソファからおもむろに立ち上がり、ヘルムートを睨みつけた。
貴族ゆえに他者からの目線に敏感なヘルムートは、すぐさま視線の主の方向へと振り返る。
あの日追放したままの姿の娘と、そんな娘にくっついて出ていった不義理者が、そこには立っていた。
「……ほう」
小さく呟いたヘルムートだが、正直オディールとここで出会うとは思っていなかった。
追放したオディールの行く末については、敢えて興味を持とうとしていなかったヘルムート。
ルーフェ領経営で忙しい、といった諸々の理由があるが、帝国全土の貴族について一定量の知識を維持しているヘルムートが、ブルーネン領主の交代を知らないわけがない。
それでもオディールの動向について知ろうとしていなかったのは……それ自体が、何か特別な感情の裏返しだからだろう。
「お久しぶりですわね。ヘルムート・ルーフェ閣下?」
口火を切ったのは、オディールだった。
側近を従えるヘルムートに向かって歩き出し、毅然とした態度で言葉を浴びせる。
必要以上の追及や罵倒はしない。
それが貴族として最低限度の礼節であり、この後の帝国議会にも差し障りかねないからだ。
「貴公は、オディールか。ブルーネン領主への着任、耳に及んでいる」
「あら、御存知でしたのね。ルーフェの領主閣下にもお話が及んでいたとは。流石の情報収集能力ですわね」
オディールが言う情報収集能力とは、この二人の間においては地獄耳、と読み替えることができる。
当然ヘルムートもそれを分かっているので、縁を切って追放した娘が遠回しに挑発してきていると察する。
ただ、ヘルムートもまた貴族としての最低限度の礼節を保持している。
加えてここは帝国議事堂、公的な政治的決定を下す最高機関。
下手な言動は、保守派の頂点としてのヘルムート・ルーフェの名前にも傷がついてしまう。
「無論である。細かな経緯についてはあずかり知らぬが、昨今の発展具合も一定程度は把握している」
「へぇ……発展、ですか」
意味深な単語が実父から聞こえてきて、オディールは思わずそれを反芻する。
元々、オディールがルーフェを追放されたのは「オディールが次期当主になったとして、発展の未来が見えない」からだとされていた。
そのようにオディールに通達したのは他ならぬヘルムートであり、オディール本人もその結論に対して、それなりに納得していた。
当時のオディールは政務に全くと言っていいほど関与した経験がなく、自分自身でも美に傾倒しすぎるきらいがあることを理解していたからだ。
しかし今、ヘルムートの口からは確かに『発展』という、オディールの手腕を評価する単語が出てきたのだ。
「意外ですわね。閣下の口から、私への評価が聴けるとは。夢にも思いませんでしたわ」
「妥当な評価だろう。領主として相応の経済的発展を遂げ、キルオ同盟の一員として交易の版図を拡大し、更には学問の普及にも努めている。私以外にも貴公を評価する者は存在する」
「お褒めに預かり光栄ですわ。覆水を盆に返したくなってきたのではなくって?」
思いのほか熱量の高い誉め言葉が飛び出てきて面食らったオディールが、強気な言葉で問いただした。
東方に伝わる諺の一つであり、一度零れた水は取り返しがつかない、という意味の言葉。
勘当及び追放自体は、オディールを養子に取るなどして解決することは、制度的には可能だ。
まったく同じ状況に戻ることはありえず、ブルーネンの領主をどうするか等の問題はあるものの、オディールが『覆水』を例に出したのには、別の理由がある。
それは単純、オディールが二度とクソオヤジの下に戻りたくないからだ。
「ですが残念、閣下がおっしゃった通り、私はもう責任ある立場で──」
「何を言っている? 私が貴公に下した判断が覆ることなどない。現時点での評価がどうあろうと、貴公の為人は究極的に変化していないだろう」
「なっ」
「貴公を次期ルーフェ当主にしては、繁栄など望むべくもない。その判断は揺るがん──何があろうとな」
話は終わりだ、と言わんばかりにヘルムートは歩き出した。
革靴の底と、大理石の床が乾いた音を立てる。
オディールは、その背中を呆然と見送っていた。
「──」
「大丈夫ですか、オディール様」
傍らに控えていたセバスが、するりとオディールの隣に滑り出てきて心配の声を掛けた。
実父との再会を邪魔するなどという野暮をする気はなかったセバスだが、同時に彼自身もヘルムートに対してどう接したものか判断しかねていた。
そもそもセバスの家系はルーフェ家に仕える執事の家系であり、厳密に言えば勘当されたオディールについていくのは契約違反だ。
それを押し切って出ていったため、契約違反を指摘されるのでは、と内心怯えていたのである。
「オディール様?」
「──え、ええ。ダイジョーブですわ」
「とても大丈夫には見えませんね、今からでも医者に診てもらっては? 帝国首都の議事堂周辺ともなれば、名うての名医が控えている筈ですが」
「そういう方向で衝撃受けてるわけじゃありませんわよ! まったくもう……」
いつも通りの軽口は、二人の精神を常態に引き戻すのに十分だった。
それだけで平静を取り戻したオディールが、ヘルムートが消えていった本会議場の扉を見遣る。
「……正直、見返せたと思ってましたわ。自分で言うのも変な話ですけれど、ブルーネン領主として責任ある仕事を熟してきたつもりですもの」
「ええ、それは私も保証しましょう。お嬢様の仕事ぶりは見事なものです、とても追放されたとは思えないくらい」
セバスは本心から、オディールのこれまでの積み重ねを褒めた。
ずっと傍で見てきたセバスだからこそ、ルーフェ家時代のオディールとの違いも成長も、よく分かる。
昔のオディールは、自己を成長させたり何かを積み重ねたりといった、自分を変革するために何か行動することは殆どなかった。
けれど今は、セバスやマギーラといった身近な人物のみならず、ブルーネンを拠点として成り上るために、頭を凝らして発展を促している。
ヘルムートもそれに気付かない筈はないのだが……と訝しむセバスの横合いから、遠慮がちな声がした。
「あ、あの」
「ん……どこかから声がしますわね」
「お嬢様、お嬢様。そういったとき、声の主が誰なのか、我々ならば察せられるはずですよ」
「え。まさか──」
一瞬不思議がったオディールだが、セバスの発言で声の主を察する。
すぐにセバスの隣を確認したオディールが目にしたのは、小綺麗に着飾った、見覚えのある少女の姿だった。
「ルイース、ルイースじゃありませんの! どうしたんですの貴女、こんなところで!」
「わひっ!? きゅ、急に大きな声出さないでください、オディール様ぁ」
「大丈夫だよルイース。知っているだろう? お嬢様は君を驚かせようと思っていたわけじゃない、許してやってくれないか?」
「なんか……随分と保護者のような言い回しをしますわね?」
「違いましたっけ?」
「しらじらしい!」
オディールに声を掛けられたそばかすの少女は、突然の大声にびっくりして、両手で頭を覆うように屈んだ。
その様子を見かねたセバスがルイースを安心させようと語り掛けるが、その内容にオディールが食って掛かる。
あっけらかんとした物言いでオディールに返答するセバスに、オディールがまたしても目くじらを立てる……という、いつもの流れ。
それを見たルイースは、口元に手を当てる上品な仕草を取り、顔をほころばせた。
「ふふ……二人とも、以前とお変わりないようで、何よりです」
「そうですね、色々ありましたが元気にやっていますよ」
「是非貴女にも語って聞かせたいような、冒険譚の数々があるのですが……それはまあ、今話すべきじゃありませんわね。それより、なぜ貴女がここに?」
ルイースを一目見た瞬間から気になっていた疑問を、オディールはぶつけた。
それもそのはず、ルイースは孤児の生まれで、ルーフェの領主屋敷でも余り人目に触れないように管理されてきた。
そんなルイースを憐れんだり妬んだりしたオディールが絡みに行ったのが、二人の友情の始まりなのだが。
ともかく、今は着飾っていてそれなりの所作も身に着けているルイースだが、帝国首都まで出向くような立場の人間ではない筈だ。
「まぁ、二人が不思議がるのも無理ない話です……御館様には口止めされそうですが……人目を忍んでお話しします」
なんか……初心に帰った気持ちがしますね、この人たちを描写すると。




