番外編 感謝を込めて、あなたを想って
この作品では、バレンタイン番外編をしていなかったので、今年は番外編を少しだけ。
この次からは再び本編の更新に戻ります~
ブルーネン:領主屋敷
雪が舞うブルーネンを、領主屋敷の窓からオディールが眺める。
冬のブルーネンは乾燥が強く、雲が厚いため気温も高くならない。
暖房用の魔石設備が整えられた領主屋敷でオディールは快適に過ごせているが、一般の街の人々はその限りではない。
「──今日は、一段と冷え込んでますわね」
「そうですね。お嬢様も、屋敷の中とはいえ、温かな恰好でお過ごしください。本日は貴重な休養日なのですから」
オディールの自室に控えていたセバスが、オディールの呟きに言葉を返す。
日差しが少ない天気を受けてか、オディールの気分もやや落ち込み気味になっていた。
そこに低い気温も重なり、ブルーネン全体がどこか陰鬱な雰囲気に飲み込まれている。
「それでも、気になるモノは気になりますわよ。本来の美しさが曇っているのを、見過ごしておくわけにはいきませんわ」
「そう言うと思いました。では、どうでしょう。ここはひとつ、領主屋敷の財産を切り崩し、領民に支援を行うのは?」
主の望みを叶えるべく、セバスが一つ案を出した。
彼女は今、『本来の美しさ』と言った。
かつての領主は悪辣な行いをして富を増やしており、未だに地下街は浄化されきっていない。
それでも確かに、一日一日を強かに生き抜く強さ、美しさがブルーネンにはあると、オディールはあの一件を通じて分かっていた。
その意図を汲み取って、オディールが頷く。
「なるほど。確かに本日は、聖なる御方に纏わる記念日ですわね。親しい方に贈り物をする、という」
「ええ。温かな食べ物や飲み物などを渡せば領民の方々の気分も上方へ向かうことでしょうし、お嬢様が民を想っていると示すこともできます」
セバスの案は、オディールの個人的な望みと、領主としての立場を知らしめるという、二つの目的を達成するうえでこの上ない手段だった。
そうした、素晴らしいものを採用することに対して、オディールは躊躇いを抱かない。
「ええ、乗りましたわ、その話。では、まず手配として──」
<***>
「おい聞いたか、領主屋敷前で炊き出しやってるってよ!」
「なんだそりゃあ。いったいどういう風の吹き回しだぁ?」
ブルーネンの寒空の下、人びとのざわめきが少しずつ広がっていく。
その噂が真実であることを示すように、領主屋敷の前の広場から、町中に温かないい香りが広がっていった。
噂を聞きつけた領民たちが、ぞろぞろとブルーネンの広場に集まってきた。
炊き出しの中心で、オディールが叫ぶ。
「さあさあ、一人一杯までですわ! きちんと列に並んでくださいませ! 今日は特別な日ですもの、皆様には楽しい思い出を作ってほしいんですわ!」
領主の声掛けによって、列が整然としていた。
そもそもオディールが領主となったのは、前領主の副領主として抜擢されたからであり、その抜擢は魔王軍襲撃の際に民間の指示を集めたからである。
最初は看板としての役割しか認められていなかったオディールだが、それは裏を返せば確かな求心力を持っている、ということでもある。
オディールの女傑としての存在感や求心力は、未だにブルーネンの中でもひときわ輝いているのだった。
「あ、お姉ちゃんこんにちわ!」
「こんにちわー」
「あら皆、今日の学校はどうしたの? もう終わりの時間かしら?」
「おうよ、今日は試験が終わったから、いつもより早いんだ!」
「あら、そういうことでしたのね」
背中に革製鞄を背負った子供たちが、オディールのところへと駆け寄ってくる。
この子たちは、オディールが力を入れている事業の一つである学校教育に通っている生徒たちである。
領主に就任してから始めている学校事業だが、未だすべての子供たちに教育を施せているわけではない。
諸々の問題が山積みだが、そのうちの一つが、教育を受けられるのが一部の高収入層に限られている、というものだった。
「今日の学校はどうでした?
試験の手応えはどうでしたの?」
「ばっちり!
昨日の夜確認したところが出たんだよ」
「……」
「あら、貴方は?
あんまり顔色がよくありませんけれど」
「うー!
言わないでくれぇ~、思い出したくねぇ~」
楽し気に子供たちと交流するオディール。
学校に通う子供たちはお金持ちの家の子である、という状況がある中で、オディールは奨学生制度を導入した。
殆ど無料同然で学校に通えるようにブルーネンの運営費から支援金を出す制度であり、今交流している子供たちはその第一弾。
学力にばらつきはあるが、各々魅力あるとてもいい生徒たちである。
ちなみに彼ら彼女らが背負っている鞄は、オディールが仕事を依頼した服飾協会が、威信をかけて作成したものだった。
「さて、貴方たちも列に並んできなさいな。子供には温かい牛乳を配ってますわよ。もちろんスープが欲しかったらそちらでもいいですけれど」
「やたっ、ありがと!」
「うぇーい、おれがいちばーん!」
「はいはい、転ばないよう気を付けるんですわよ~」
はしゃぐ子供たちを見送って、オディールは一旦広場の隅に用意した屋根に入っていった。
仮説の休憩所として作ったエリアだが、オディール本人は立ってばかりであまり利用していなかった。
けれど数時間も立ちっぱなしでは、流石に疲労が溜まる。
適当に空いている椅子を見繕い、オディールは腰を降ろした。
「ふぅ……」
「お疲れ様です、お嬢様。お嬢様にもこちらをどうぞ」
「あら、ありがとう」
オディールが座ると同時に、即座にセバスがコップを一つ差し出した。
中には、温められた葡萄酒が入っている。
身体が中から温まる酒精入りの飲料を、炎の魔法が込められた魔石で熱して温め、二重の体温上昇効果をもたらしている。
やや酩酊状態になるのが難しいところだが、そこはブルーネンの誇る錬金術協会。
「それにしても、不思議なものですわね。酒を飲んでいるのに、いまいち酔った感覚がありませんわ」
「錬金術協会のシュタイナー様が中心に、酩酊状態を打ち消す錬金薬を配合して下さっていたのが助かりましたね」
「ええ。配分に苦労しましたし、まだまだ熱には弱いとのことでしたが。逆に言えば、程よい酩酊感覚に弱めて下さっているとも言えますわね」
そもそも、酩酊状態を消す錬金薬が、どういう需要の下に研究開発されていたのかは一切分からない。
だが錬金術協会は、職業組合よりも研究組織としての側面が強く、学術的な研究に対して組織内で奨励金も出している。
協会長のアイゼン・シュタイナーの意向が大いに反映されている、という。
「……」
広場の炊き出しでも、今オディールが飲んでいるものと同じものが提供されている。
聖なる男が、愛し合う男女のための婚姻を執り行ったとされる日が、今日のこの日。
だからこそ、今日くらいは厳しい寒さでも楽しく笑ってもらいたい、というオディールの心意気。
領民の皆は、そうした気持ちを確かに受け取っていた。
「私の気持ちが、届けばいいのですけれど、ね」
「きっと、届いてますよ。ブルーネン領内の村落にも、先程葡萄酒が届いたという知らせが入りました。お嬢様の想いは、きっと皆に届いています」
ブルーネン領は、中心に都市ブルーネンを擁する平原地帯の名称であり、中心都市以外にも村落がいくつか点在している。
代表的なものが逸れ者の里だが、オディールは本日中にどの村々にも届くよう、使いを送っている。
長期保存が可能なちょっとした菓子と、ブルーネンの酒造で作られた葡萄酒。
一時の憩いの時間を提供できれば、というオディールの想いはきっと届いているだろう。
……民の為に私財を擲ってしまっては、父親であるヘルムート・ルーフェがオディールを追い出したくなるのも、頷けるというものだった。
「ああ、そうでしたわ。はい、こちらを貴方に差し上げます」
「……これは?」
世間話の雰囲気で、オディールはセバスに小包を差し出した。
まさか自分が主から贈り物をされると思っていなかったセバスが、面食らった顔で恐る恐る小包を受け取った。
「失礼ですわね、変なものなんて入ってませんわよ──日頃、貴方には世話になってますもの。これくらいはしないと、貴族の沽券に関わりますわ」
「それでは、遠慮なく。後程大切に開封させていただきます」
「そ、そう? 今でもいいですけれど……まあ好きにしてくださいまし」
唇を尖らせてセバスに抗議するオディールだが、その頬は朱色に染まっていた。
先程彼女が飲んでいた葡萄酒には酩酊感はないが、それでも体温は上昇する。
けれど、この朱色はそれだけではなくて。
わざわざ追及するなどという野暮を、セバスはしなかった。
「……先を越されてしまいましたが、私からはこれを」
「あら、これは……ペン、ですか」
「ただでさえ書類仕事の多いお嬢様ですから。少しでも手に優しいものをと思いまして、数日前に調達していたものなのですが、すっかり機会を逃してしまいました。是非受け取っていただければ、と」
「そういうことでしたら、遠慮なく──ふふっ、私たち、似た者同士ですわね」
「そのようです……聊か心外なきらいはありますが」
「もう。そういうところですわよ」
この様子を見ていた領民によって、来年以降のこの日には、親しい異性同士が相手に葡萄酒を始めとする贈り物を交換する、という風習が生まれるのだが。
それはまた、別の話。
オディールの贈り物が何だったかについては……まあ、おいおいと。




