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第八話 窮地ですわ!

文字通り

 オディールが路地裏へ迷い込んでいって間も無くの話。

 ゲルドと別れたセバスが彼女の後を追い掛ける。


「っ、もう、ほんとにあの人は……!」


 しかし、オディールは目的地へ向かったのではなく自由気ままな猫の後を追いかけていったため、その道筋に道理などはなく。

 ただでさえ乱雑に入り乱れる路地なのに手がかりらしい手がかりもなければ、いくら主の性格を熟知しているセバスと雖も、発見するのは容易ではなかった。


「匂いも……酒の匂いが強すぎる」


 碌に中の洗われていない安酒の瓶がそこら中に散乱しており、アルコールの刺激臭に加えて食物の腐敗臭も鼻を潰しにかかってきている。

 屋敷にいたころに偶に主人がふかしていた煙草なるものの匂いもきつかったが、路地裏は不快な匂いが重層的に襲い掛かり、その中から求める情報をろ過するのは困難極まりない。

 されど諦めるという決断だけは下せないセバスは、とにかく意思疎通のできる目撃者を探す。

 何人か道端に倒れ込んでいる男や女に声を掛けたものの、誰もが酒に酔っていたりひたすら眠っていたりと、会話が成り立たなかった。

 地下へと伸びる階段傍で出会った、空になった酒の瓶を抱えた男以外は。


「すみません、そこのお方!

 このあたりを派手な服の女が通りませんでしたか?」

「────あぁ、見たよ」


 やっと得られた目撃証言に胸を撫で下ろしかけたセバスだが、問題になるのは何処へ向かったかだと思い返して緊張感を保つ。

 酒に焼けた喉からしわがれた声を出す階段から上ってきた男は、何も言わず据わった目で掌を差し出した。


「ん」

「……これで大丈夫ですか」


 その意図を察したセバスが懐に手を伸ばし、そこから一つの瓶を取り出した。

 昨晩長い夜を寝ずに過ごす予定だったセバスにゲルドが差し入れたものであり、酒に強くないセバスは受け取ったものの持て余していたのだ。

 一度受け取ったものを押し返すのは礼節に反するし、酒癖の悪いオディールには飲ませたくない。

 落ち着ける場所を見つけられたら寝酒にでもしようかと思って取っておいたのだが、思わぬところで役に立った。

 酒の匂いがきつい男は掌に収まった瓶が小ぶりなのに難色を示したが、人気の高い品種だと気が付いて留飲を下げた。


「地下だ」

「地下、となるとこの階段の下、ってことになりますか」

「あぁ。そっから何処に行ったかは分からねぇ」


 それだけ言い残して、男は懐に瓶を入れて立ち去った。

 その背中を少しだけ見送り、セバスは地下へと続く階段に視線を落とす。

 彼の顔に張り付いた表情からは全く楽観主義が感じ取れない。


「ブルーネンの地下、だって……!?」




 ■ □ ■




 階段の上でセバスが表情を青ざめさせている頃、オディールはマギーラの部屋の椅子で珍しく神妙な面持ちをしていた。

 オディールは知らなかったことだが、ブルーネンの地下街は日陰者の巣窟となっている。

 ブルーネンは金の街であり、財産の多寡がそのまま都市内の地位に直結する。

 魔王軍の勢力が拡大してきていることやキルオ同盟に加盟したことなどを契機に、自由に発展していた都市は外周を城壁で囲うようになっていった。

 けれど世界で見れば経済的に発展したブルーネン、疫病の影響も少なく幼児の栄養状態も申し分ないことから、人口の拡大は続いて行った。

 特に顕著なのが下層民と呼ばれる経済・教育機会に恵まれない者たちの人口拡大である。

 表通りから外れたところに纏まって集団を形成する下層民は次第に城壁で限定された居住区に収まらなくなっていき、治安悪化やそれによる往来の減少を危惧したブルーネン領主の命で作られた地下街への移住を余儀なくされた。

 下層民は、不衛生な環境に押し込んで人口を減らそうという領主の意図が見えたのに、都市の外へ出るための通行料を用意できず逆らえなかった。

 結果出来上がったのが、不衛生な環境に居住させられ、金銭の自由もなく、まともな教育を受ける権利もない人々の根城であった。


「──セバスが言ってたの、こういうことだったんですのねぇ……」


 馬車で都市へ入る際に、オディールは建築物の乱雑さに気付いていた。

 けれど地下街が光の届かないところだとまでは想像つかなかったし、これまでルーフェ家の屋敷内で漫然と生きて来た彼女は誘拐など当然経験していない。

 対応の仕方も分からず、蝋燭に火を点けるマギーラの背中を眺める以外に出来ることはなかった。

 猿轡を噛まされていないのは不幸中の幸いであった。


「そのセバスってのはぁ、あんたのお仲間かいぃ?」

「う~ん、何て言うべきなのかしら、一番近いのは相棒? ですわね」

「まぁ、何でもいいわなぁ」


 火の点った蝋燭が刺された燭台を、マギーラは座らせたオディールの顔の傍に置いた。

 同時に傍に置かれていた椅子に座り、座高の関係で若干下からオディールを見上げる。


「さてぇ。あんたぁ、今自分がどうなってるか分かるかぁ?」

「誘拐、というか監禁でしょう。身代金か何かが目当てですわよね」

「分かってんなら話がはえぇやぁ」


 常にナイフを手から離さず、マギーラがにんまりと笑みを浮かべる。

 暗い地下で朧げな蠟燭の炎に照らされたその顔は、こけた頬や不自然な程落ち込んだ眼窩のせいで童話に出てくる悪魔のように見える。

 初めて自分を監禁した焦げ茶色の髪の少女の顔を直視したオディールには、もう少し肉付きが良ければかなり美しくなるだろうに、と惜しむ気持ちが芽生えていた。


「金だぁ、金を用意しろぉ。今どんだけ持ってんだぁ?」

「どのくらいだったかしら……けど、今の貴女が一生遊んで暮らせるだけの金額なんて、とてもではありませんが用意できないわよ」

「────はぁ?」


 マギーラはあからさまに眉根を寄せ、じろじろと相手を足から頭まで舐め回すように観察する。

 オディールの見た目は豪奢という形容がぴったりと嵌まるもので、輝くようなブロンドの縦巻き毛だけでなく、何本かの指には宝石付きの指輪が嵌められていて、纏うドレスの装飾も凝っていて安物とはとてもじゃないが思えない。


「はぁ? 嘘吐くんじゃねぇ、あんたみてぇなのが金持ってねぇ訳ねぇだろぉ?」

「そう思うのなら、ルーフェ家に直接問い合わせてみては如何かしら? クソ親父は私など知らないと言いますわよ」

「んなことしねぇよ! ──んだよぉ、美味い話だと思ったのによぉ……!」


 ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、マギーラは目論見が外れて嘆く。

 路地裏に降って湧いたように現れた豪奢な見た目の女、上手くすれば身代金で地下街やブルーネンから脱出し、一生不自由なく生きていけると思っていたのに。

 とはいえ折角ここまで来たのだから、毟り取れるものは毟らないと損になってしまう。

 仲間がいるというなら、そいつの身ぐるみも剝ぐまでだ。


「……おいぃ、とにかく持ってる金全部出せぇ」

「そんなこと言われてしまいましてもね、私の懐にしまってありますので、手足を縛られては取り出すものも取り出せ──」


 最後まで言い終わる前に、マギーラはオディールの服に手を伸ばした。

 縛ったまま脱がせるのは難しい、そして着衣も恐らく金に代わるのだから、一旦手持ちの金だけを抜き取ろうと、開かれた胸の部分に手を突っ込もうとしたのだ。


「ッ、たぁ!?」


 けれど、マギーラの手が着衣の内側に入り込むことはなかった。

 単なる装飾に思われたドレスの意匠が輝きを放ち、障壁を展開してマギーラの手を弾き返したのだ。

 痛みと驚きに顔を歪ませるマギーラが仰け反る一方、オディールは至って冷静に口を開く。


「ですから、取り出すものも取り出せないと言うところでしたのに」

「クソッ、クソォ……!」


 何処までも馬鹿にされたように感じたマギーラが、悔しさに歯を食い縛る。

 彼女はこれまでに貴人を誘拐・監禁した経験を持っていなかった。

 故に普段使わない猿轡を忘れてしまったり、意識を失わせて服を脱がせるのを忘れてしまったりと、自分でも分かっている失敗を重ねてからのこれだ。

 自分は服にまで虚仮にされるのか、と思うと我慢が利かなくなったマギーラはナイフをオディールの眼前に突き出す。


「どういうつもりですの?」

「脱げよぉ」

「……分かりましたわよ」


 縄が解かれて自由になった手を、嫌々といった風体でドレスにかけるオディールだが、仰け反った拍子にマギーラのフードが外れているのに気が付いた。


「あら? 貴女、その耳……」

「ッ、見るなぁ!」


 指摘されて慌てて手で隠すが、オディールの利いてきた夜目にその形はしっかりと焼き付いていた。


「その長い耳、エルフのですわよね?」

「……そうだよぉ、なんか悪ぃかよぉ」


 苦々し気な顔でマギーラはぶっきらぼうに呟いた。

 彼女のその言い方にどんな感情が込められているのか、オディールには分からない。

 けれど、言いたいことは一つ確かに心に浮かんでいた。


「──(わたくし)も、なんですのよ」

お嬢様、大ピンチ!?

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