第八六話 昔話ですわ!
逸れ者の里:周辺の森
疲れから、その場に倒れ込むようにして眠りに落ちたエルデとセバス。
肉体的な疲労の蓄積はもちろんだが、セバスに関しては主たるオディールを見つけられたことで、張り詰めていた心の緊張が緩んだことも眠気を誘っていた。
日中はブルーネン領の使節団兼捜索隊の指揮を執り、夜間は一人で手がかりを探しに森へと入る。
そんな無理を連日通していたのだから、泥のように眠るのも当然であった。
「……む……」
「──」
瞼が光を感知して、エルデがピクリと瞼を動かして喉を鳴らす。
その音に気付いたセバスが素早く起き上がると、自らの衣服についた土埃を軽く手で払った。
「おはようございます」
「……あら、セバス。起きたんですのね、おはよう」
地面に横たわり、落ち葉と腐葉土の柔らかな寝具の上で眠っていたセバスからすぐ近く、木の幹に背中を預けるようにして座っていたオディールが朝の挨拶を返した。
彼女は行儀よく脚を揃えて座っており、深い眠りに落ちた二人を見守っていたのだった。
程なくして、エルデもまた目を覚ます。
「んっ、あぁ……おお、おはよう」
「おはようございますわ、エルデ。身体の調子は如何ですの?」
「身体ぁ?」
オディールに言われて、エルデは自分の身体を両手で探る。
一晩眠っただけにしては、異常なまでに英気と活力に満ちている肉体に驚きながら、エルデは肩を回す。
「おお、もう本調子だな」
「そう、それはよかった。貴方の腰の鞄から、それらしい丸薬を見つけましたの。眠っている貴方の口に含ませたのですが、効果があったようで何よりですわ」
「……アンタ、知らねえ薬を他人に飲ませた、ってのかぁ?」
顔を引き攣らせながら問うエルデだが、当のオディールは首を横にかしげるばかり。
もしや、と思ったセバスがオディールに質問する。
「あの、まさかですがお嬢様。私にもその薬を?」
「ええ、もちろん。その様子ですと、効果覿面だったみたいですわね」
よかったよかった、と満面の笑みで言われては、それ以上セバスは何も言えなかった。
エルデも呆れて肩をすくめるが、自分が助けられたことに関しては礼を言う。
「あんがとな、ロト。アンタの御陰で助かったでよ」
「礼などいりませんわ、助けられていたのは私ですもの。それに、まだ事態は終わっていませんわ」
エルデの言葉を受け止めながら、オディールはちらりと横を見た。
そこには、傷を受けたまま横たわる猛狒の魔物がいた。
その姿は、エルデが眠りに落ちる前から寸分たりとも変わっていない。
「エルデとセバスが縄で縛り付けてくれていた御陰か、魔物は目を覚ましませんでしたわ。けれど身体は上下しています……呼吸はしているように見えますわね」
「命は保っているようですね」
「当然でよ。おでの短刀の呪いは、殺しよりも呪いの宿主にする方に意欲的だかんな……っと」
セバスとオディールが考察するところに自分の見解を述べ、エルデは立ち上がって伸びをする。
「んじゃあまあ、帰るか。此奴を引っ張って帰るんは無理だけどよ、ひとまず里に戻らにゃ。グルンド捜しはまだ終わっちゃいねえからよ」
「そうですわね、戻って人手を借りましょう。少し話したいこともありますし」
そうして、一行はその場を後にして逸れ者の里への道を辿ることにした。
道中、そういえば、と思い出したエルデが二人に向かった問うた。
「そうだロト、アンタ、どうして記憶が戻ったんでよ?」
「そうでしたわね、説明する時間もありませんでしたし……では里に戻るまで、話しながら参りましょうか」
そうしてオディールは、自分が地下牢に入れられてから、エルデに合流するまでの話を語り出す。
と言っても、その間に行われたことと言えば、地下牢にセバスがやってきて、髪留めを渡し、記憶と起源を思い出したことくらい。
オディールが洗いざらい話しても、まだ里には着かない。
「なるほどな、思い出の品で、記憶を取り戻した、ってわけか」
「そういうことになりますわね。全く、落としていたなんて気付きもしませんでしたわ……恐ろしいことに」
「私としましては、ひとまずお嬢様の身が安全で胸を撫で下ろす思いでしたけれど」
「ああそうだ。セバス、アンタは何してたんでえ? まさか数日間眠りこけてて、いきなり地下牢までやってきたわけでもあるめえし」
今度は自分に水を向けられたセバスが、オディールにも事の顛末を説明するいい機会だ、ということで語り始める。
ここ数日間オディールを探していたこと、その最中神秘的な泉とその周辺に落ちている花の髪留めを見つけたこと、つい昨日倒れ伏す少年を発見し保護したこと。
少年の話題が出た瞬間、エルデの眉がぴくりと動く。
「お、おいまさか、その少年ってのぁ」
「かなり傷付いていましたが、ひとまず命に別状はありませんでした。今は使節団の本営で療養中です──」
「なあ、もしかしてだけどよ、その少年、背中に殻みてえなの付いてなかったか!?」
珍しく慌てた様子で、エルデがセバスの肩を掴んで詰問する。
エルデの動揺の理由が一瞬掴めなかったセバスだが、地下牢でオディールに聞かされた内容を思い出し、一つ頷いてからエルデに答えた。
「ええ。恐らくお名前は……」
「グルンド、だな……はぁ~~~……」
エルデが力なく膝から崩れ落ち、大きく息を吐く。
落胆したように見えたその姿を心配したオディールが声を掛けようとすると、エルデは優しい声色で、ぽつりぽつりと口にする。
「よかった、でよ、本当に……おでのせいで、危ない目に合わせちまって……」
「貴方だけのせいではありませんわよ、エルデ。予測できない事態が重なっただけですわ」
少しでもエルデの肩に圧し掛かる責任感を取り除こうとするオディールの言葉に、嘘はない。
予め仕掛けておいた呪いの防壁を突破するほどの魔物の存在、グラースとグルンド姉弟が呪いの警戒線を越えてしまったこと。
これらをエルデが一人で背負い込むのは無理があるし、何よりも傲慢である。
「それに、貴方に責任があるのなら、私だって同じことですもの。今はグルンドの安全を喜びませんこと?」
「ああ、ああ。そうだな……そう、だな」
「──では、私は先に本営へ行ってまいります」
「ええ、頼んだわよ。私たちは泉に向かいます。そこで合流。いいですわね?」
何の為に、とセバスがわざわざ言わずとも、オディールはとうに理解している。
セバスは里の少年を連れ帰るため、一人で本営まで戻るのだった。
燕尾服の青年を見送った後、彼に言いつけた通り、里への帰り道から泉への抜け道へと進路を変更するオディールとエルデ。
程なくして、清く涼やかな水に満ちる聖なる泉へと二人は辿り着いた。
「さて、座って待ちましょう。立っていても暇ですわ」
「だな」
そうして二人は、並んで座り込む。
記憶を取り戻してから、腰を落ち着けて初めて一対一で話す機会。
オディールは、ずっと言おうとしていたことをエルデにぶつける。
「ねえ、エルデ」
「あ? なんでよ、ロト」
「少し、見てもらいたいものがあるんですの」
言いながら、オディールは、新たな名のように美しい金色の巻き髪を持ち上げて、髪留めで固定する。
その時、里に辿り着いてからずっと隠れていた、彼女の耳が露わになった。
「──そうか、アンタ、エルフだったんだな」
「半分、ですけれどね……貴方には昔のお話をしていただきました。ですから、こちらも返そうと思ったのです」
それから、オディールは自らの出自について、エルデに昔話を始めた。
魔術と政治、何方でも一線級の人材として活躍し得る、エルフと高級貴族の間の子。
傑物になることが約束されたような血を持ちながら、どれほどの研鑽を積んでも、野生に則っても、エルフとしての能力を開花させることができなかった。
「──で、挙句の果てに実家に居場所がなくなる始末ですわ。まあ、あんなクソオヤジなんて、此方から願い下げですけれど」
「……そうか」
貴族の世界など、自分には到底遠い世界だと思っていたエルデが、何を返答できるでもなく、考え込む。
エルデの中で、貴族とは富と地位を嵩に威張り散らし、特権を享受する支配層。
けれど、数日間とはいえ一緒に過ごしたオディールが、そうした人間性を持っているとは、到底考えられなかった。
閉口して考え続けるエルデをよそに、オディールが続ける。
「何が言いたかったのかと言いますと。私も、半端ものなんですのよ、どうしようもなく。だからどうした、という話ではあるのですが、その事実だけはどうやっても切り離すことができないんですの」
「同じ、だな」
「そうです。里の皆と、同じなのです」
生まれ持った特性や外見的特徴がゆえに苦境に立たされ、どちらの集団にも属することができない。
その苦しみは、記憶を失っても実感としてオディールの身体に刻まれていた。
様々な形質を持つ子どもたちと交わって気兼ねなく遊んでいたのも、オディールの側から里の者に嫌悪感を示さなかったのも、これが理由。
「ここ数日、里で過ごして……本当によかった。私とは何なのか、もう一度分かったような気分ですわ。自分の領内にこのような里があったと知られて、本当によかった。」
「──そうか。それは、よかったでよ」
オディールの言葉に感じ入ると同時に、エルデは情けない思いに駆られる。
オディールがどう思っていようと、里の者が彼女を排斥しようと動いたのは確かだ。
自分はそれに賛同していなかったとはいえ、止めることも結局は出来なかった。
無事に返すと誓っておきながら、この体たらく。
今にも泣き出しそうなエルデの耳に、涼やかで軽やかな、オディールの感謝が滑り込む。
「ですから、感謝していますわ、エルデ」
「──」
「記憶を失って現れた私を保護してくださって、ありがとう。きっとこの恩は忘れません」
「いや、そりゃ、こっちの」
何もしてやれなかったという思いと、オディールが居なければ自分は里の子供たちと触れ合うことを恐れているままだったばかりか、魔物に敗れて命を落としていたかもしれない、という感謝が、エルデの中で渦巻く。
涙が出てきて言葉を紡げないエルデの隣、オディールが水面を静かに眺める。
胸の中をエルデが落ち着かせた頃、彼はふと頭の中に浮かんだ疑問を、隣の令嬢にぶつける。
「なあ、ロト。アンタさっき、自分の領内がどうって」
「ええ。紆余曲折ありまして、私ブルーネンの領主になってますの」
「領主ゥ!?」
泉の方を目指し、少年を背中に乗せて森を駆け抜けるセバスにも、この素っ頓狂な叫びは聞こえたとか、聞こえなかったとか。




