第六八話 転落ですわ!
遅れてすいませぇぇぇぇん!!!
「あぁぁ──……」
「お嬢様ーーッ!」
崩落する崖に巻き込まれ、森へと落下していくオディール。
飛び込もうとするセバスを、近衛兵が捕まえた。
「なッ、放してください!」
「落ち着け! アンタまでいなくなっちまったら俺たちゃ全滅だ! あの魔物の仲間が控えてるとも限らねぇ、今は安全な場所へ急ぐべきだろ!」
「しかし……!」
頭では近衛兵の主張を正しいと思いながらも、感情がそれを受け入れない。
落下していく馬車と主に手を伸ばしたままのセバスを、鎧を纏った近衛兵が説得する。
「捜索なら俺たちでやる、護衛に長けたアンタは残った馬車の荷物を守ってくれ、それでいいな!?」
「──はい、ッ」
龍脈の流れを細かく探るために精密機器をそれなりに積んでいる馬車を放置するわけにもいかず、こと護衛に関しては長年の経験を持つセバスが最も長けている。
オディールが無事に帰ってくると信じるのなら、今セバスが行うべきは闇雲に森を彷徨うことではない。
なんとか自分の感情を抑え込んだセバスが崖に伸ばしていた手を下ろし、馬車へと舞い戻る。
──別動隊として派遣された衛兵たちがその日のうちに発見報告をすることは、終ぞなかった。
<***>
森の木々が、轟音に揺れる。
葉が破れ枝が折れ、幹が削れる。
休んでいた鳥たちが羽ばたき、小動物が騒ぎの中心地から離れようと走り出す。
「うおっ!? なんだぁ!?」
木漏れ日を浴びて転寝をしていた男が突然の騒ぎに飛び起きて、中心地に向かう。
落ち葉を踏みしめ獣道を抜けると、そこは神聖な湖。
女神がおわすという伝説が残る伝承の地であり、そこで汲んだ水はどんな傷でもたちまち治せるという噂もある。
そんな、男たちが代々守ってきた由緒正しい破魔の泉が、大変なことになっていた。
「なんだよこれぇ。ガラクタが浮かんでるし……」
枝や葉だけでなく、折れた木片や、箱型の何かだったことが辛うじて推測できる物体に、水を含んで変色した布地など、正しくガラクタと呼ぶにふさわしい物体が散乱していた。
それら落ちて来たであろう森の一角を見ると、普段なら枝や葉に覆われて木漏れ日しか見えない箇所に大きな穴が開いていた。
下から上へ空が見えるようになったその地点には他より一際明るい光が差し込み、その下にはガラクタに紛れて何か違和感のある物体が浮いている。
「……ん、ありゃ人か!?」
目の上に手のひらを付けて状況を見渡していた男は、湖の真ん中に浮かぶ人影を発見する。
すぐに飛び込もうとした男が、神聖な泉に立ち入ることに逡巡する。
が、人命を助けることの方が先だ、と思い直して、靴を脱ぎ裾を折り曲げて水の中へと足を踏み入れていった。
「よっ、ふっ……おいアンタ! 大丈夫か!?」
「──」
「駄目だ、目開けてくれねぇ……取り敢えず、引っ張るっきゃねぇな」
声を掛けても目を覚まさない女の肩を掴んで男が引っ張ると、女の長い金色の髪が水面に輝く。
引っ張る男はそれを見る余裕がなかったが、傍目から見れば、整った顔立ちと併せて伝説の女神のようだった。
なんとか岸に辿り着いた男が女を引っ張り上げる。
「……脈はある、なぁ──ん? この耳の形」
脈を確かめるために女の首筋に手を当てた男は、髪がずれたことで露わになった女の耳に気が付いた。
通常のソレよりもやや長く、先っぽが尖っている耳は、紛れもないエルフの特徴。
これはいったいどういうことか、と考えかけた男の耳に、自分以外の生き物の足音が聞こえてくる。
「やっべ、泉に入ったって知られたら……とにかくどっか連れて行かねぇと」
男は未だ目覚める様子のない女を背負い、湖から離れていくのだった。
<***>
火を点けて何かを煮る音、包丁で何かを刻む音が小気味良く響く。
それと同じ方向から聞こえてくる女の鼻歌で、寝台に乗せられた女が目を覚ます。
「ん、んん……」
「──おや? お、起きたんかアンタ! おーい、お客さんが起きたよ!」
薄っすらと目を開け、上体を起こした女を見て、厨房に立っていた女が別の男を呼びに行く。
呼ばれた男がやってきて、目を覚ました女に話しかける。
「お、アンタ起きたんか! 目ぇ覚ましてよかったなぁ!」
「──」
目覚めた金色の髪の女は、虚ろな目で部屋の天井をぼうっと眺めている。
返事が来ないことを心配に思った男が、再び女に問いかける。
「? お、おいアンタ起きたんだろ? どっか痛むとこは無ぇか?」
「貴方は……誰ですか……?」
「ん、ああ、おらはエルデ。其処に居るのは妹のバウム」
「バウムだよ。よろしくな」
「──」
お茶を盆にのせて戻って来たバウムと名乗る女が、盆を寝台傍の机に乗せる。
エルデと名乗る巨漢が自分の座る椅子と同じものを妹に渡すと、バウムは其処に腰を下ろした。
ただ、揺蕩う川の流れのような金髪を揺らす女の反応は芳しくない。
心配が募ったエルデが、女の顔の前に手のひらを翳して上下に振った。
「おぉい、アンタ、聞こえてるか? 何処から来たのか言えるか?」
「──ここは、どこですか?」
「ここは森の隠れ里だよ、取り敢えずお医者様を呼んでくるさね」
バウムは忙しなく立ち上がり、再び家から出ていった。
それを見送ったエルデの耳に、衝撃の一言が飛び込んできた。
「──私は、誰、ですか?」
「……え?」
<***>
「弱ったなぁ……」
ぼんやりとした魔石の明かりを灯し、温かい茶を含みつつエルデが物思いに耽っていた。
彼が昼間に拾ってきた女が夕方前に目を覚ましたはいいが、どうやら記憶喪失に陥っているらしい。
医者によれば幸いにも怪我はなかったが、目立った外傷がないのに記憶喪失に陥ったことを不思議がっていた。
「そりゃそうだろうよ、あの泉に落ちてきたってことは明かしてねぇんだから」
自分も泉に立ち入ったという事実を隠すため、エルデは女を何処で見つけたかをぼかしていた。
だから、泉の効能で、出来た傍から傷が癒えたのだろうということはエルデしか知らない。
そこに、階段を上がって来た金髪の美しい女が声をかける。
「泉に?」
「おわっ!? っと、アンタか、あんま驚かせんなよ」
「すみません、先程目が覚めお手洗いをお借りしたところ、階段を上る貴方の姿が見えたもので」
「どっから聞いた……っても、全部喋っちまってたか」
後頭部をぼりぼりと掻き、男が手招きで女を呼び寄せる。
何の疑念も抱かずに女が部屋の中央にある木製の質素な机に近付くと、エルデは少し立ち上がって、念のために壁に埋め込まれた魔石に手を翳す。
魔力を流された魔石が防音防諜の効力を発揮し、淡く点灯したことを確認したエルデが、自分がさっきまで座っていた位置の対面に女を座らせた。
「アンタの分の茶を淹れて来る。好みの配分はあるか?」
「牛乳はなし、砂糖は一つでお願い」
「アホ、茶に砂糖なんざ混ぜるかよ、どんな酔狂だ、ったくよ……」
女の厚かましい要望に不平を垂れながら、エルデは階段を降りていった。
部屋に残された女は、自分の口からするりと飛び出した言葉について考えていた。
茶の淹れ方を聞かれた経験があるということは確かで、砂糖を茶に入れるような身分の者だったということも推定できる。
女は気付いていないが、帝国内に於いて砂糖は貴重品であり、食用よりも寧ろ錬金薬としての利用が主であった。
湯気の立つ杯を一つ持って戻って来たエルデが、女の前にソレを置く。
「ほらよ。砂糖は入れてねぇが、牛乳ならちいっとばかし入れてみた。精いっぱいのもてなしだ」
「ありがとう。いただきます」
これまた疑うこともなく素直に杯に口を付けた女を、頬杖を突きながらエルデが眺める。
どうやら悪い女ではなさそうだし、女の出自を問われればエルデ自身が泉に入ったことを追及される。
明日の朝いちばんに里長のところへ相談しに行くか、と男がぼんやり考えていると、一息ついた女が口を開いた。
「ねえ、一つ聞いてもいいかしら」
「ん、なんだ?」
「貴方、どうしてそんなに肌が緑なの?」
率直な質問に意表を突かれたエルデが固まる。
確かに、エルデの肌は緑色であり妹のバウムも同じ色をしていて、対照的に女の肌は殆ど真っ白だ。
「私、さっき鏡を見まして。貴方と私でなぜこんなに違うのか、気になってしまって」
「……そうか? 個性の範疇だろ、こんなもん」
触れられたくない話題であるということを暗に示しつつ、エルデが強引に話を終わらせる。
その回答では物足りない様子の女だが、エルデが先んじて話を進めた。
「アンタ……えーっと、まだ名前は思い出せねぇのか?」
「えぇ……残念ながら」
「そうか。なら今からアンタはロトだ。髪の色から取った、構わねぇか?」
「ロト……ロト。はい、ではこれから私はロトと名乗ります」
素直に頷いた女に、エルデが本題を切り出した。
「じゃあロト、明日はおらたちの里の長に話を付けに行って、その後里の案内をする。出来そうな仕事を見つけてもらうぞ」
「仕事ですか」
「あぁ。医者代も飯代もタダじゃねぇ。いくら記憶がないからって、木偶の坊養う余裕なんかねぇんだ、うちの里には。勿論記憶が戻るまでの話だけどな」
何故か不思議そうな顔をした金髪の女ロトに対し、エルデが強引に語り出す。
「いいか、耳の穴かっぽじってよーく聞いとけよ。おらがロトを見つけた時の話だ……」
それからエルデは、泉でロトを見つけた時の状況を語り出す。
一連の流れの中に何かしら記憶の手がかりがないかと思ったエルデだったのだが……結局それは叶わなかった。




