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第六五話 宣言ですわ!

 穏やかな陽、緩やかな風。

 平和なゴドレーシ領の様子を屋敷の露台(バルコニー)から眺める、一人の成人男性と一人の男の子。

 男性の腕に抱かれた男の子は、頂点を過ぎた太陽の下で汗を流して木を切り倒す人々を眺めていた。


「ねえ、お父さん。あの人たちは何をしてるの?」

「ん? ああ、彼等は木こりだ。木を切って木材にして、建築や燃料の為に使うんだよ」

「ふぅん……大変そうだね」


 何の気なしに男の子が言う。

 彼はまだ老爺の教えを受ける前であり、肉体労働を潜在的に見下しているのだ。

 その態度を感じ取った父親は、腕の中の男の子に語り掛ける。


「確かに、そうかもしれないな。斧は重いし、木は固い。切った木は運ばなきゃならないし、怪我でもしたら仕事ができなくなって、ご飯も食べられなくなってしまう」


 勿論ワタシが手助けはしているがね、と父親は付け加える。

 ふぅん、と鳴く男の子に、父親は続けた。


「けどね、それが労働というものさ。彼らの仕事は必ず誰かの役に立つ。そうして自分の出来ることを出来るだけやって、この世界は回っているんだ」

「出来ることを、出来るだけ……」


 父親の言葉を咀嚼しながら、男の子が頷いた。

 そこで、彼の頭の中に一つ、素朴な疑問が浮かび上がる。


「ねぇねぇ、じゃあぼくたちは何が出来るの? どれだけ頑張ればいいの?」

「おまえは優しい子だな。ワタシたちのやることは、ゴドレーシを盛り立てることだよ。みんながよりよいご飯を食べ、よりよい家に住み、やりたいことも出来るような、そんな場所に」


 木こりを見ていた男の子が、ちらりと父親の顔に目を向ける。

 父親の目は地平線に向けられていて、太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。

 男の子もその瞳に当てられ、不思議と胸が満たされていった。


「──ぼくも、がんばるよ。一緒に、ここを良いところにしよう」

「本当か? それは嬉しいな。なら、おまえが大きくなるまで、ワタシも気合を入れねばな」

「うん! ぼくとお父さんなら、きっと帝国で一番だって目指せるよ!」

「はは、そうか、そうか。なら、約束だな」


 そうして二人は、指切りを交わす。

 愛すべき二人の故郷を、帝国で一番の都市にする、と。

 経済なのか文化なのかといった分野も、いつまでにといった期限も、何もかもが不透明な、正しく子供の約束。

 けれど、そんな杜撰さなど、二人にとってどうでもよかった。

 この約束があれば、自分は何処までも頑張っていけるし、何も迷わずにいられる。

 そう、それでよかったのだ。




<***>




 何時の間にか微睡に落ちていた意識を覚醒させ、ピエールは目を覚ます。

 夢に見ていたのは在りし日の記憶、幼い時分に父親と交わした約束の日。

 余人が見れば取るに足りない、くだらないものだと一蹴するかもしれない。


「──そろそろ、か」


 机に頬をくっつけたまま壁に備え付けの時計を見遣り、ピエールは起き上がる。

 魔王軍の魔物たちが領内と領主屋敷を襲撃してから、はや数日。

 息を引き取った父親の代わりに、ピエールが領主を継ぐことを宣言する会見を行うのだ。


「ピエール様、お時間です」

「あぁ、すぐ行くよ。ありがとう」


 呼びに来た使用人が扉の向こうから声を掛け、着替えと身だしなみを整えたピエールが執務室から外へ出た。

 廊下を歩む彼は、なんとはなしに窓の外を見る。


「暗雲、か」


 何とも縁起が悪い、と彼は思う。

 ここ数日は陽が良く照っていて、長雨になって根腐れするよりずっといいと農民が喜んでいた。

 それが、新たな一歩を踏み出すこの日になって陽が息を潜めるとは。

 玄関を開けて外へと出ると、陽光が少ない影響でやや普段より湿気が高く感じられる。


「ま、それくらい、別にいいか」


 気分はあまり良くないが、今の彼は単なる天候程度で精神力を揺るがされることはない。

 決めた覚悟の深さも、重みも帝国内部で随一であり、かつて交わした約束を必ず果たすと誓っているのだから。

 街の広場に集まってもらったゴドレーシ領の皆に向け、演台に乗ったピエールが息を吸い込んだ。


「皆、今日は集まってくれてありがとう。ボクが新たにゴドレーシ領を引っ張っていく、ピエール・ゴドレーシだ……改めて言う必要もないとは思うけどね」


 集まっているのは商人から農民、聖職者まで様々だ。

 ただ、ピエールは持ち前の社交性を活かして、領内の全ての人々と立場を越えた交流を重ねてきた。

 それゆえ、彼による引継ぎに疑問を抱くものは誰もいない。


「帝国首都に文書を送りつけてあるし、ボク以外の()()()()()にも、ボクの引継ぎの許可は取ってある。騎士だったり聖職者だったり、今はそれぞれで頑張ってくれているよ」


 広場の何処かにいるだろうきょうだいに向けて、感謝の意を込めてピエールは一つ礼をした。

 領主の子供たちは、一人の跡取りを残してあとは社会的地位の高い職種に就くのが普通だ。

 緊急時には貴族位を取り戻すこともあるが、今回はピエールの能力を信用してきょうだい達は彼に花を持たせることにしたのだった。


「──さて、明るい気分になれるよう、努めて明るい調子で話したわけだけど。ボクはキミたちの受けた傷を決して忘れないよ。勿論、ボク自身が受けたソレも」


 先日の魔王軍襲撃では人的被害は出なかったものの、ゴドレーシ領の周縁地域では農地や民家、共同墓地などが深刻な被害を受けた。

 農業や林業を生業とする者が多いゴドレーシ領にてその被害は無視できず、ピエール同様に前領主の急逝を悲しむ者も少なくない。


「何時まで経っても、その傷が忘れ去られることはないだろうし、忘れられるはずもない。けど、実は一つだけ、ソレを乗り越える方法があってね。父さんと『ゴドレーシ領を帝国で一番の場所にする』って約束をしてたんだ」


 一部の人間は納得したように頷き、大多数の領民は初めて耳にした情報に驚く。


「その約束を果たせれば、ボクたちはきっと、ボクたち自身を誇りに思える。未来に続く豊かなゴドレーシ領を作っていく手助けを、どうかボクにしてほしい……頼むよ」


 領民全員に向けて懇願し、ピエールは深々と頭を下げる。

 演台の傍に控えていた使用人が慌てて頭を上げさせようとするが、古参の執事がそれを留める。

 領主故に軽々に頭を下げてはならないという道理よりも、真摯に頼み込むピエールの姿勢をより重んじたからだ。


「──」

「──」


 領民の内、特にピエールと深い交流のあったものたちから拍手が始まり、やがて広場の全員にそれが広がっていく。

 万雷の喝采に迎えられて領主となったピエールが顔を上げると、空の合間から少しずつ陽が差し始める。


「ありがとう、本当に。それじゃ、ひとまず今日はここまでにしよう。明日から、早ければ今日の午後から本腰を入れていくから、皆もよろしく!」




<***>




「ふぅ」

「悪くない啖呵だったな、ピエール」

「先生」


 物陰から見ていた老爺が、演台が片付けられて人が少なくなった広場を眺めていたピエールに声を掛ける。


「まあ、なってしまった以上はしょうがないですし。いずれなるとは思ってたから、時期が変わっただけですよ」

「ふん。肝を冷やしているのでは、と憂いていたが。どうやら儂の杞憂だったようだ」


 老爺は鼻を鳴らして不機嫌そうにするが、その実ピエール本人よりもピエールの行く末を気にしている。

 素直じゃないな、とはにかみながら次の一言を出そうとするところに、ある戦士が現れた。


「よぉ、ピエール。聞いてたぜ、さっきの宣言」

「ゲルド! キミも来てたのか!」

「オマエが領主に就任するところは見届けようと思ってな。そろそろまた発つけどよ」


 意外な人物と会えた喜びで、ピエールの声色が明るくなる。

 一方のゲルドはばつが悪そうにしており、ぽつりと言葉を漏らした。


「あー、その、悪かった。オヤジさんの仇、取れなくってよ」

「ん? あぁ、なんだそんなことか。キミは精いっぱい頑張ったし、最後の最期で一言交わすだけの時間を守ってくれた。それだけでボクにとっては大金星さ──キミにとっては苦い敗北かも知れないけどね」


 相手の心中を慮りつつ、自分の意志はしっかりと述べる。

 オディールが最近身に付けたこの技術だが、ピエールは幼い頃からこの手の人付き合いが得意なのだった。


「そうか、ありがとう。そう言ってくれるだけで救われるぜ」


 励まされたゲルドが涙をこらえつつ、ピエールに問う。


「ところで、一つ聞くけどよ。さっきの帝国での一番、って話、本気なのか?」

「ん? 本気じゃない訳ないじゃないか。ボクは約束は果たす男だよ」

「そうか? それってよ、あのお嬢ちゃんと正面切って争う、ってことになるんじゃねぇの?」


 何時の間にオディールへの執着を見抜かれていたのか、と驚くピエールだが、政治には疎いゲルドでも人間関係の機微は察せられる。

 互いに領主となり、帝国内で一番の場所にすると決めたのなら、政治・経済・文化的に争うことは必至。

 未だ何物でもなかったこれまでとは違い、両者は明確に背負うものを背後に携えるようになってしまった。

 そんな心配を笑い飛ばし、ピエールが言う。


「はは、そのことか。それなら問題ないよ、心の整理は付けてある」

「整理、か」

「ああ。これまで彼女(オディール)はボクの物語の立て役(ヒロイン)だったとも。けれど、これからはそうもいかない。これから彼女は、ボクにとっての最大の……悪役(ライバル)さ」

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