第五話 焼きもちですわ!
「おう、そろそろ着くぜお嬢ちゃんら」
「ホントですの!?」
「あっちょっ、お嬢様危ないですから!」
車輪の軋みが徐々に一定のリズムに落ち着いていき、石畳の上に馬車が乗り上げたことを示す。
ガタン、ガタンと揺れる幌をまくり上げ、オディールが身を乗り出した。
平手をおでこに付けて周囲を見回す彼女は一歩間違えれば硬い石畳の上に落下しそうになっていて、セバスが慌てて腰を掴んで支えた。
「どれどれ……あら、随分立派ですのね!」
「お嬢様、危ないですから! 馬車が止まってからよく観察しましょう! ね!?」
「っはっは、焦んじゃねぇよお嬢ちゃん、今のうちに兄ちゃんと今後の身の振り方、考えといたほうがいいんじゃねぇの?」
「──ま、それもそうですわね。貴方たちの面子に免じてここは大人しく引き下がりましょう」
口をへの字に曲げながらも、男衆の言い分がどう考えても正しいという結論を覆せなかったオディールは渋々幌の中へ引っ込んだ。
内心自らの主の見栄の張り様に呆れるセバスとともに、彼の持ち物から取り出した地図を広げて眺める。
「──私たちが向かっている町の話は……出発前にしましたが、もう一回しますか?」
「そうですわね、聞いてましたわ、勿論聞いてましたけど、もう一度お願いできます?」
「……わかりました」
黒服の執事は、はぁ、と大きなため息を漏らす。
この言い方をする彼女は絶対に聞いていない。
「では最後ですよ、いいですね? ……これから向かうのはブルーネン。北方海商人組合、通称キルオ同盟の同盟都市の一つです」
「あー、はいはい確かそうでしたわね。ルーフェ領の何処かにも同盟都市を増やせないか、ってクソ親父に打診が来てた覚えがありますわ」
「ですね。帝国領北端の流通を殆ど一手に担っていると言っても過言ではありません。その南端がブルーネンなのです」
オディールが皇后の座を狙う帝国は、大陸から西に大きく飛び出した半島を丸ごと支配しており、その北部の物産・流通を担うのがキルオ同盟である。
帝都は半島の中央からやや南西方向にあり、そこにほど近いルーフェ領の何処かに同盟都市を増やすのは、キルオ同盟からしても有難いのだ。
けれども同盟を招き入れるのは領内での独占を認めるのと同義であり、”健全”を信条とするヘルムート・ルーフェは保留を貫いている。
帝国議会に盟主を送り込んでいるキルオ同盟が度々独占権の贈与を望んでいることからも、ヘルムートの判断は当座の間は正しかった。
「ブルーネンは同盟都市の最南端ですから、かなりの経済力を誇ります。勿論それに応じて冒険者のレベルも高いと聞きますね」
「ふぅん……ちょっと、貴方ってブルーネンではどのくらいですの?」
「んん? オレかぁ? そうだな……大体真ん中くらいじゃねぇか?」
大嘘である。
昨晩の野盗との戦いを間近で見ており、更に帝室直属軍に所属していた経歴を知っているセバスだけはその虚言に気が付いた。
けれどもオディールは朝になっても昨晩の出来事には気が付いていないどころか、何時の間にか積み込まれていた二つの麻袋を見て「こんなものありました?」と言う始末。
懸賞金が付いている可能性があると判断したゲルドが積み込んだもので、収入はセバスとゲルドで山分けする、と取り決めたのだ。
残念だが、馬はもう助からないと見られて埋葬された。
死後魔物にならないようにゲルドが祈りを捧げた上で、罪のない馬を葬送するやるせなさを抱えながらセバスが土を被せたのだった。
「そうなんですのねー。ま、でも貴方を気に入りました、私が出世した暁には貴方を護衛に雇ってあげますわ!」
「おぉ、そりゃありがてぇ。気長に待つとするぜぇ」
「お嬢様、その為にもブルーネンで栄達を遂げなければ」
「わかってますわ……んじゃ取り敢えず、そのキルオ同盟とやら? を手に入れましょうか」
「──は?」
意図を理解しきれず、セバスが間抜けな声を漏らした。
だが、寧ろオディールはそんな彼の様子こそ理解できない、と眉根を寄せる。
「当り前ですわよ。今私は何の後ろ盾もないのよ? であれば、まず庶民として成り上れるだけ成り上がる必要があります。そうなると必然、選択肢は絞られるでしょう」
「それは確かに、そうですね。皇帝を守護する騎士になるか冒険者として絶大な手柄を上げるか、聖職者になりこの世に救済を齎すか。そのどれにも才能が無ければ、あとお嬢様に可能なのは経済力くらいですね」
「でしょう? あのいけ好かない男の言う通りになるのはシャクですが、この際手段を選んではいられませんわよ」
その内容に矛盾はない。
体術にも魔術にも通じていないオディールが栄光を掴み取るには、金の力を手に入れるのが一番だ。
であれば近場にあるキルオ同盟に入り、同盟都市を束ねる盟主都市の頂点に上り詰めるべき。
そうなれば帝国議会への参政権も得られ、皇帝へ接触する機会も絶無ではなくなる。
「お嬢様にしては珍しく理にかなっていますね」
「普段から、通常通りですわよ、私が冴えわたっているのは!」
「頼もしいこったな兄ちゃん!」
「ゲルドまでそんな……」
持ち前のノリの良さでオディールを持ち上げるゲルドだが、視線は一向に正面に向けたまま。
手綱を握る手に一層力が籠る。
短い旅路ではあったが、彼はこの二人を心底気に入っていた。
こんな馬鹿たちはそうそういない。
「──あれ、そういえばセバス、私のことを妹と呼ぶのはもうよろしいのかしら?」
「あぁ、実は昨晩話しました」
「────はぁ!?」
さらりと何でもないことのように、それこそ昨晩食べた献立を思い出すかのように、ゲルドに告白した旨を話すセバスを見据え、オディールは思わず声を荒げた。
地図を挟んで反対側に腰を下ろすセバスの襟元を掴んで、彼女は女性にしては力強く前後に揺する。
「ちょっ、セバス貴方! そういう重要事項は私に相談の上決行しなさい!」
「それは誠にごめんなさいですね」
「舐めてますね貴方! 舐めるなら私の靴だけにしなさいな! 舐めさせたことなんてありませんけど!」
思い付いた意味のない言葉を、垂れ流すまま口からセバスに浴びせかけるオディールは、別段怒っている訳ではない。
寧ろ自分への信用がないのではないか、という疑心暗鬼から目を逸らすため、わざと大仰な振る舞いをしている節がある。
……それくらいは、付き合いの長いセバスには分かる。
だから、差し伸べるべき手の場所はもう決まっていた。
「ごめんなさい、昨晩は色々と物騒でして。貴女の身の安全を考えると、どうしても起こせませんでした」
ゆっくりと丁寧に、オディールは長いブロンドの髪を撫でられ。
着衣に汚れを軽減する魔術が掛けられているとはいえ碌に汗を流していない筈なのに、彼女自身の発する香りがセバスにはまるで魅了の魔法のように感じらていた。
不機嫌そうに口角を下げて俯き、目頭を熱くするオディールの頭を撫で、セバスは真っ直ぐに自分を見つめさせる。
「……っ」
「だから、そう怒らないでください。自分は貴女の入る墓に骨をうずめる覚悟が出来ているのです」
「──ふっ、ふふ」
想像の範疇を越えた角度で飛来したセバスの言葉に、オディールは無意識に微笑を漏らした。
一世一代の覚悟、魔王城のバルコニーから跳び下りる決意で歯の浮くような台詞を放ったセバスは、その微笑みの意図を測りかねた。
「ふふ……ふふ、ははっ! 確かにそうですわね、私貴方を見くびっていたようね!」
「え」
「全くできた執事だこと、主人の人生に命までかけるなんてね!」
「いや、あの」
「よろしいですわ、皇后になろうというんですもの、貴方一人の人生くらい、かるぅく支え切って見せますわよ!」
セバスの口がぱくぱくと動き、懸命に誤解を解くための論理を組み立てようとしたものの、結局彼には何も言えなかった。
第一に、彼自身普段の言葉遣いに問題があると理解していたから。
第二に、一度こうと決めたら梃子でも動かないとどうしようもなくわかってしまっていたから。
それがオディール・ルーフェという女傑なのだ。
一応それなりに考証してます
異世界恋愛してる……!