第五二話 お説教ですわ!
「いいですか、今から私が言うこと、しっかり聞きなさい!」
「え、えぇ」
まだ背中に残る衝撃と、何時になく真剣なオディールの言葉遣いを受けて、ヘルツは頷いた。
ぎこちないその様子を見下ろしながら、オディールは相手の目を真っ直ぐに見据える。
「貴女、少しは我儘になりなさい!」
「──え?」
予想していた内容とずれた彼女の発言に、ヘルツは首を傾げた。
何を言われるものかと戦々恐々していたヘルツの呆けた顔を両手で包み込み、オディールは諭す。
「その優しいところは貴女の美点ですわ。心の美しさが外見にも顕れるとはこのこと、と言えるくらいです」
「あ、ありがとう」
「でも、貴女は根本的に優先順位を間違えていますわ!」
本気で何のことかわからないヘルツが疑問符を浮かべる。
事態の深刻さを見て取ったオディールが、一呼吸おいて話を続けた。
「貴女、死ぬのが怖いと言いましたわよね?」
「……そうね。死ぬのは怖いわ。でも、それ以上に」
「私が傷付く方が怖い。でしたわよね。その順番が間違っているのです」
自分の人生哲学に基づいて、オディールは言葉を紡ぐ。
「命以上に大切なものは無い、という前提は大丈夫ですわよね」
「もちろんよ。それくらいはわかってるわ」
「なら、誰の命が一番大切かは分かります?」
ヘルツが言葉に詰まる。
酷な質問をしている自覚はオディールにもあった。
けれど、それをはっきりしておかねばヘルツのこの先にも関わると考え、断腸の思いで問いかけている。
考え込むヘルツに答えを出してもらいたかったオディールだが、時間を取れない状況故、予め選んでいた言葉を伝えた。
「貴女にとって一番大切なのは、貴女の命ですわ。それだけは私、譲れません」
「わたしにとって……?」
「えぇ。貴女には、自分の命を一番に思って欲しいのですわ」
偽らざる本音をぶつけ、オディールは相手の様子を伺った。
誰にとっても、自分の命が一番大切という最低限の条件がある。
「──少し、意地悪なことを聞いてもいいかしら」
「なに? 聞きますわよ」
「あなたはあなたが一番大切なのに、どうして来てくれたの?」
「天秤にかけたうえで、貴女を取った。それだけのことですわ」
鋭い質問に、オディールは毅然とした態度で言葉を返す。
その上でそれを放棄しなければならないときは来るものだが、その機会は少なくなければ人として不健全だ。
自らの信じるところを理解してもらえるかは分からないが、オディールは言わずにはいられなかったのだ。
少しだけ顎に手を当てて考えたヘルツだったが、すぐにふっと笑みを零した。
「──ありがとう。でも、なんだかまだよくわからないわ」
「ですわよね。私も最初からぜんぶ分かってほしいとまでは言いませんわ。人には人の『常識』があるものです」
貴族生活から、緩衝材のない馬車に揺られたり、芳香剤のない宿に泊まったり、己の世界が大きく変わった経験から、オディールは他人に寛容になっていた。
老爺と再会し、昔講義をさっぱり理解できなかった経験を思い出したこともまた、彼女の人間的成長に一役買っている、のかもしれない。
「では、早速ですが、実例を一つ見せますわ」
「実例、となると何かしら?」
「物事の優先順位の決め方と、他人を頼ることの授業ですわ」
<***>
これは、セバスが大広間へと駆け付ける少し前の会話。
若干目を腫らした執事の青年が、周囲をきょろきょろ見回すマギーラを見つけた。
「あ、セバスさぁん!」
「マギーラ様?」
聞いてくれよぉ、と前置きして、マギーラは自分が知覚した事態を伝えた。
変な魔力反応が大広間の外にあること、その反応はこれまで住み込みで働いてきて見た経験がなかったこと等々。
慌てて要領を得ない説明だったが、セバスはじっくり聞いて情報を一つ一つ紐解き、的確に指示を出す。
「であればまずは私が向かいましょう。マギーラ様は大広間外で待機してください」
「あ、あたしも行った方がいいかなぁ!?」
「マギーラ様は外側から全体を観察してください。何か異変があれば私に連絡をくださればと思います」
「わ、わかった……!」
これまでマギーラが遭遇してきた危機では、いずれも解決するために自分が出来ることが限られていた。
迷境では全く探知の届かないところにオディールが迷い込み、魔王軍襲来ではあくまで一つの未熟な駒として働いた。
そして今は、自分の持ち得る能力で主を助けなければならない。
高揚と同時に緊張している彼女を見て、セバスは意図して落ち着いた声色で語り掛けた。
「いいですかマギーラ様、一つお願いがあります」
「な、なんだぁ?」
「お嬢様を頼みます」
言葉こそ重圧をかけるような選び方だが、これまで彼女に聞かせてきた声色より何倍も柔らかな声音がそれを認識させない。
包み込む温かさがマギーラの全身を満たし、不要な緊張をほぐしていく。
「私は貴女を信頼しています。お嬢様のことを第一に、そして貴女自身も無事に帰って来てくれると」
「おぉ! 任せてくれぇ!」
「えぇ。頼みましたよ。無論必要とあらばいつでも駆け付けます」
エルフの視界によって自分への信頼が見えるマギーラにとって、言葉で伝えるよりも感情で意思を伝える方が効果的、というセバスの判断は正しかったようだ。
漏れ出す笑みをそのままに、セバスは一時離脱を一言だけ伝え、大広間へ駆けて行ったのだった。
<***>
「はっ、はっ」
彼女の感じた温もりは何時の間にかいなくなり、解れていた緊張は再び最高潮に達していた。
流れ出る水の音はそれほど大きいわけでもないが、それ以外の環境音が全くと言っていいほど存在しない部屋で、マギーラの聴覚は水音に支配されていた。
そこかしこから飛沫が立っているだけでなく、次第に足元から上昇する水も、彼女から平静を欠かせている。
気の所為か、彼女は呼吸まで苦しくなる感覚に襲われていた。
「はぁ、はぁっ」
自分が、手を伸ばせば届く距離にいる主を、助けなければ。
生きて帰るという青年の信頼に、応えなければ。
此処を切り抜ける方法を考えなければ。
ちょうど水が部屋を満たしていくように、彼女の頭の中は脅迫めいた文言で埋め尽くされていく。
「──。──!」
「はぁ、はぁ」
主の呼び掛けも届かず、壁や机など、手がかりがありそうな箇所を手当たり次第に探っていく。
当然そのような精神状況では、見つけられる情報も見つけられるはずがなく、無為に時間だけが過ぎていく。
そのくらいはマギーラとて分かっているが、かといって頭の熱を冷ます時間を取る余裕もない。
どうしようもないまま、刻一刻と水浸しになる時が迫り。
「マギーラ!」
「ひゃうぅっ!?」
敢えて水に漬けた手で、オディールがマギーラの首元を触る。
想定外の感触に肩を跳び上がらせるマギーラの頬を間髪入れずに掴み、オディールは言った。
「気負い過ぎですわ、貴女!」
「えっ、き、きお」
「どうせ貴女、セバスに『頼む』とかなんとか言われてるんでしょう?」
なぜ分かった、と目を丸くして驚くマギーラだが、オディールは勘の精度について説明する必要はない、と無意識に判断する。
積み重ねた年月が違う上に、つい先ほど互いの在り方を肯定し合ったばかりだ。
「言いそうなことですわ。まったくセバスは、貴女の気持ちも考えないで……」
「ち、ちが、セバスさんは、そんなつもりじゃ」
「私が言いたいのは、セバスの口数の少なさのことですわよ。伝えたいことの半分しか伝わってないじゃないですの……」
オディールは不満げに唇を尖らせる。
さっぱり意味が分からないマギーラが首を傾げようとしたとき、再びオディールが口を開いた。
「セバスが言いたいのは一緒に帰ってこいってことですわ。そしてそのために自分を呼びつけろ、と言ってませんでした?」
「──ぁ」
そこでようやく思い至った。
駆け出す直前、いつでも駆け付ける、と言い残していたセバスの後ろ姿が、マギーラの脳裏に浮かんできた。
「いい機会ですから、貴女にも優先順位の話をしますわ。尤も、これは先生にもう教わっていると思いますけれど」
「優先順位……見失っちゃ駄目なもの、の話かぁ?」
「わかってますわね。それでいいのですわ。さぁ、先生は何と仰っていたか、思い出してごらんなさい」
優しい笑みで記憶を呼び起こさせるオディールの胸に抱かれ、マギーラは自分の思考に沈んでいく。
数日前、老爺からの指導が始まった際に言われた台詞。
『心せよ。貴様にはこれより魔術を一から叩き込む。神髄まで到達せねば解放せぬ』
『立ちはだかる困難もあろう。然しその時こそ、自らの根源を思い起こせ』
『民草は独りでは生きられぬ。貴様の道程は必ず、誰かの人生と結ばれている』
聞いた当初は話半分にしか耳に入れていなかった文言だが、今になればようやく意味が分かったような気がする。
恐る恐るマギーラは口を開いた。
「……た。たすけて、って言ってもいいのかぁ──?」
「えぇ。勿論。私もセバスも、貴女のその言葉をいつだって待っていますの」
ぎゅ、とマギーラを抱きしめるオディールの姿は、見方によっては慈愛の聖母のよう。
マギーラの視界にも、温かな色合いが広がる。
間違った方へ進んでいた自分の手を優しく取ってくれたオディールへの忠誠心を一層高めながら、マギーラは落ちそうになる涙を袖で拭う。
「ぐ、ぅえへ……じゃ、あたし、ちょっと話聞いてみるなぁ」
<***>
「! 今どちらですか!」
『地下! 助けてくれぇ、セバスさぁん!』
ちなみにこの後、老爺にも連絡を取ります
2024/4/19/14:30追記
次回更新遅れます!
日付変わるまでには更新しますので、お待ちください!




