第四〇話 お話ですわ!
陽光差し込む窓の傍、一人の女性が佇んでいる。
物憂げな表情で庭を覗くその様は、高名な画家が絵画に残したいと言い出してもおかしくないほどに、絵になっている。
ふと、扉が廊下から二度叩かれる。
使用人の合図である。
「奥様、昨日より屋敷に住まうことになったお方をお連れしました」
「どうぞ」
清らかで艶やかな声が、入室を許可する。
取っ手を捻った侍女が扉を押し、連れて来た一人を入室させ、自らは閉扉して割り当てられた職務へと戻った。
入った女性は恭しく一礼し、自らの身の上を語る。
「お初にお目にかかりますわ。私はオディール。昨日よりこの屋敷にてお世話になります。私の他にも二人いるのですが、代表として挨拶に参りました」
「えぇ、よろしくね、オディールさん。わたしはヘルツ。あなたよりも少しだけ先輩ね」
部屋の主と来客の二人の女性は、双方とも教養に溢れた立ち振る舞いを相手に見せつける。
──見せつけるというには、窓辺の麗人の笑みには屈託がなさすぎるが。
オディールは副城主として働くために軽く顔合わせをしろ、という命を受けてこの部屋に通されたため、もう退出しても問題はない。
しかし、美しいものをこよなく愛する彼女に、麗人を放って仕事に戻るという選択はあり得なかった。
「その、少しお話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「まあ、いいのかしら。すっごく嬉しいわ! そうと決まればお茶を用意しなくちゃ!」
「あ、いえ、お構いなくですわ。寧ろ他の使用人の方々にばれると拙いので、内緒でよろしいでしょうか」
「内緒話……ふふ、それも楽しそうね」
麗人は窓の傍から離れ、部屋の中央にある椅子に腰かけてオディールにも着席を促した。
ヘルツを間近で見られることに興奮を覚えながら、オディールもまた丁寧に腰を下ろす。
陽光を受けた眉や睫毛がきらきらと輝き、唇の美しさを際立たせ、優し気な目元を引き立たせる。
何方かと言えば快活で活動的な魅力を持つオディールは、自分とは違う美の到達点をヘルツに見出していた。
「あら、大丈夫かしらオディールさん? わたしの顔に何かついていますか」
「い、いえ。そういうわけではありませんの。ただ、お美しい方だと感動しただけですわ」
「ふふ、嬉しいわぁ。そう言うあなたもお綺麗よ、まるで……そうね、宝石箱の中でもひときわ綺麗な、宝石が散りばめられた首飾りのようだわ」
隠し事の出来ないオディールの誉め言葉を受けたヘルツもまた、オディールの気品を的確に表す言葉を贈る。
語彙力すらも理知的で女性的な美しさを放つヘルツに、オディールは心の底から感嘆した。
「見目だけでなく、御心も美しいのですわね。私が言うことではありませんが、城主様の奥様にも相応しいと思います」
「そんなに褒めても何も出せないわよ? でも、ふふ、気持ちは嬉しいわ。わたしたち似た者同士ね」
オディールの言葉通り、ヘルツはブルーネンの領主の男の妻である。
男性社会の帝国に於いて女性が表社会に顔を出す事例は少なく、それなりに事情に通じているオディールもまたヘルツの存在を知らなかった。
ただ、それも当然のことと言える。
「まぁ、妻と言っても所詮は内縁の妻に過ぎないのですけれどね」
「それは──」
自嘲気味に微笑を浮かべるヘルツの様に、オディールは言葉を失う。
悲痛さと美しさを同時に感じてしまい、自らの心情に整理が付けられなくなってしまったからだ。
ヘルツは妻という身分を得てはいるが、城主と共同生活を営んでいるわけではなく、対外的に存在を知られているわけでもない。
身内となったオディールがようやく知ることが出来る妻など、いくら男性社会の帝国の内側と言えど異質である。
「ねぇ、わたしのお話、聞いてくださる?」
「勿論ですわ」
「ありがとう──わたし、貴族の生まれなの。あぁでも、あなたほどの有名なところじゃないのよ?」
「気付いていらっしゃったのですね」
「とっても有名なひとだもの、一目でわかったわ」
口元に手を当ててほほ笑むヘルツの顔は穏やかで、絵画か彫像か何かのようにも見受けられる。
そうして、ヘルツは会ってから間もないオディールに自らの生い立ちについて語り出す。
吹けば飛ぶような弱小貴族の息女として生まれ落ちたヘルツは、帝国の南方にて生まれ育った。
しかし彼女が齢十五を越えたころ、南方にて大規模な魔王軍の襲撃があった。
「畑は荒らされ、家は焼かれ、多くの人が犠牲になりました」
「心中、お察しいたしますわ」
「ありがとう、お優しいのね。そういうあなただからこそ、この街を守れたのかしら」
「いえ、そんな。私はただ、冒険者の皆様方に頼ってばかりで」
「だとしたら、ここまで噂にはなりません。伝わっていないかもしれないけれど、わたし、あなたのこと気になっていたのよ」
救済の乙女として持ち上げられつつあるオディールに、確かに救いを受け取ったヘルツが温かな眼差しを向ける。
そうして、続きを語り始めた。
実家が燃えたヘルツは、大した財産も伝手もないままひたすら北方へと逃げ延びていく。
道中で一家は離散、少ないとはいえ確かに居た使用人も離れていった。
這う這うの体で辿り着いたブルーネンで野垂れ死にそうなところを、城主に拾われて現在に至る。
「財も尽き、裾は擦り切れ髪も乱れに乱れてしまったわたしを拾ってくださった城主様には感謝しております」
「だからって、貴女ほどのお方がこんなところで籠に閉じ込められていいなんて」
「そう言って頂けるのは嬉しいわ。けれど、どうすることもできないの」
脱走しようにも、城主から完全に逃げ切るには屋敷はおろかブルーネンの外まで出なければならず、ひ弱なヘルツがそれを成し遂げられるとは考えにくい。
この世界は城壁の外に出た瞬間に何に襲われるか分かったものではなく、仮にブルーネン外へ出たところでヘルツでは到底生き残れない。
そうなれば誰かに助けを求めるか自らが強くなるか、という道しかないが、前者は深窓の令嬢であることから殆ど不可能に近い。
後者の選択も、得物を振るい鍛錬するには時間も場所も見本も足りず、魔術にて戦闘するには生まれ持った才能がモノを言う。
「それは──そうかもしれませんが……」
「分かるのねぇ。やっぱり、わたしとあなたは似た者同士だわ」
オディールもまた、自らのひ弱さを自覚する者の一人である。
家に守られて暮らしていた昔ならいざ知らず、一介の女性へと身をやつした現在、彼女が自分自身の力で成し遂げたことは殆どない。
セバスやゲルドの助力があり、マギーラやディアとの出会いがあり、その他の人々の助けがあってなんとかやってこれている。
そんな彼女が、それらすべてを失った世界線の自分であるかのようなヘルツに対して、無遠慮に口を突っ込むことは憚られた。
「ねぇ、似た者同士のよしみ、と言ってはおかしいけれど、あなたの話も聞かせて下さらない?」
「私の、ですか」
「えぇ。救済の聖女と噂されるあなたが、どのような人生を送ってきたのか、気になるの」
「つまらない話ですが……ええと」
そうして彼女は、自らが実家から追放されてから、皇后になり父親といけ好かない優男を見返すために歩んできた道のりをかいつまんで話し出す。
展開の一つ一つに対してヘルツが新鮮な反応を寄越し、オディールも興が乗ってついつい喋りすぎてしまう。
話が現在に追い付いた頃には、既にかなり時間が経ってしまっていた。
「……とまあ、こんなところですわね。実のところ、私が副城主なんて大層な役に抜擢された理由も分かっていないのです」
「とっても面白かったわ。あなたの根っこが見えたような気がするの」
「根っこですか」
「えぇ。わたしが今見ているあなた、きっと凄く強いひとだもの──本当、眩しい。似た者同士なんて、あなたに悪いわね」
オディールは何も言えなかった。
ヘルツに見えてから、オディールは自分の語彙力のなさがもどかしい。
「さて、そろそろいい時間だわ。わたしはともかく、あなたが此処に長居しているのは拙いわね」
「え、えぇ。そうですね……まだまだお話ししたいですが、ここはお暇致しますわ。これから何度もお話しする機会はあるでしょうし」
「もちろん! いつでもお話ししましょうね」
立ち上がったオディールが再び恭しく一礼すると、ヘルツはそんな彼女を微笑みながら手を振って見送った。
重厚に軋みながら扉が閉まり、乾いた音が扉から遠ざかっていく。
振る手の速度を徐々に緩ませ、やがて手を下ろしたヘルツは窓へと向かう。
中庭に向けられたその窓からは、森や山や海は言うまでもなく、市井の人々の生きる姿すら見えはしない。
「いつでも、お話し、か」
深窓の令嬢は、独り言ちて溜息を吐く。
城主が自分に向ける感情が次第に鬱屈していることに、彼女は気付いていた。
自分の部屋を与えられているこの状況すらも崩れ去ってしまうだろうことは、想像に難くない。
恐らくは、次の舞踏会が山場になる。
オディールが現れたのも、その予感を裏付けているような気がしてならない彼女だが、正真正銘オディール本人に対して悪感情は抱いていない。
所詮拾った命、どうとでもなれと本気で思っている彼女。
「──空が、橙に」
日が沈んでいるのを、太陽そのものではなく空の色で感じ取る。
もうしばらくすれば夕餉の時間であると察した彼女は、閉めた窓に背を向けるのだった。
ヘルツさんはマジでいい人なので……幸せになってくれ……




