第三話 運命の出会いですわ!
オディールとセバスの二人は噴水広場から去り、冒険者協会まで赴いた。
右も左も分からないオディールに、懇切丁寧に説明をしながらセバスが必要書類の記入を進めていく。
支払う報酬、労働条件、勤務地、要求する資質など事細かな求人情報を、冒険者協会発行の書類に書き入れていくセバス。
世界各地に点在する冒険者協会は、大まかな規定はあれど各支部ごとに決まり事を追加する権利を持つ。
更に都市や国家に対して自治権を有している為、都市法は冒険者協会には及ばず無法地帯となっている場合も少なくない。
しかしルーフェ家の領地内にある冒険者協会は比較的都市法に則った運営をしているため、こうした詳細かつ明瞭な求人情報の記入を要求している。
追放されたのは残念としか言いようがないが、話の通じる人間が大多数なルーフェ領であったのは不幸中の幸いだ、とセバスは心の中で苦笑した。
「さて……記入が済んだのでお嬢様、此方を受付へ渡してきてください」
「あ、あの肉美味しそうですわね。何処で購入したのか尋ねてみま」
「お嬢様!」
「はい? ──あぁ分かりましたわ、あの女性に渡せばよいのですね?」
道端で串焼き肉を噛み千切っていた巨漢を眺め、口から涎を垂らしながら物欲しそうな顔をするオディールの肩を叩いて、セバスは書類を手渡した。
ふむふむ、と漏らしながら書類の上から下まで軽く目を通しているのを見るに、自分の今までの説明を聞いていたかどうか怪しい、と彼は頭が痛くなる思いがした。
そのままその場を立ち去ろうとする彼女をセバスが呼び止める。
「お嬢様、少々お待ちを。此方を持参してください」
「? なんですのこれ?」
「そいつぁ手数料だな。求人板に張ってもらう代わりの場所代みてぇなもんだ」
セバスが握りこぶしをオディールの掌の上で開き、金属音を鳴らして小さな円形の物品が彼女の掌の上に落ちると、横から声が掛かる。
セバスが書類を記入するのに使っていた壁から突き出している立ち飲み用のテーブルにもたれて肘をつき、男はオディールの方を向いていたセバスの背中側で飲んでいた。
唐突に話しかけてきた男にセバスは警戒を露わにするが、それを見た男は掌を見せて抗議した。
「あぁいやすまんな、場所変えて飲んでたら隣にまたお前さんらが来たもんだから、つい聞き耳立てちまった」
「ん? あぁ、昼間の」
「おう、お嬢ちゃん酔いは覚めたか?」
「え~っと……何方様ですの?」
「あぁすいません、妹は酔うと記憶をなくしてしまうのが常で」
「っはは」
気前よく笑う男からは敵意を感じない、とセバスは判断し兎にも角にも話を聞いてみることにした。
彼自身屋敷の外へ出た経験は乏しく、十年単位で市井の生活から離れていたために情報源としての男の価値を見出していた。
「えっと、失礼ながら貴方の名前は?」
「オレか? オレぁゲルドで通してる、しがない冒険者だよ……ぷは」
「酒臭いですわね……」
「えっ、酔い潰れかけてたおまえがそれ言います?」
「だまらっしゃい!」
酒の入ったジョッキを煽りながらゲルドと名乗る大男。
成人男性の平均より少し高いセバスの身長を優に超え、セバスのへその少し上あたりにある立ち飲みテーブルは男の腰あたりにあった。
筋肉質という言葉で例えるには少々ガタイが良すぎるゲルドは、笑いながらオディールと目を合わせた。
「っはは、悪ぃなお嬢ちゃん、オレぁ昼間っから飲む酒がいっちゃん好きでよぉ」
「大変分かりますわね」
「はいはい、おまえはもうしばらく飲まないようにな……」
「そうだ兄ちゃん、ちょいといい話がある、聞いてかねェか?」
「──いい話?」
訝しむセバスの耳元に、ゲルドが口を近付けた。
「そこに書いてある護衛依頼、このオレに受けさせてくんねぇか?」
「……確かに、依頼料は浮きますが……」
これから先まともな収入を得られるか分からないセバスとオディールにとって、冒険者協会への依頼料は馬鹿にならない。
それが浮くとなれば、道中に必要な食料や水の調達を済ませた後でも、手元に金が残るだろう。
とはいえ、信用も何もないゲルドにいきなり命を預ける判断は、自分だけでなくオディールの生殺与奪の権を預かっているセバスには出来なかった。
「──信用が出来ねぇのは分かる。でもま、コイツを見てくれや」
「はぁ……っ!?」
シャツの中から、首にかけているアクセサリを取り出すゲルド。
冒険者がアクセサリを付けるのは、何らかの強化アイテムや加護が宿っている装備の可能性が高い。
それ自体は別段不思議なことではなく、セバスが驚愕した理由は別にある。
「これ、この紋章は」
「やっぱ見覚えあっか。思った通りだな」
豪快に笑う男はアクセサリを胸元にしまい込み、またしても酒を煽る。
ゲルドのアクセサリそのものは別段特筆すべきものでもなく、神の加護が多少付与されたありふれたものだったのだが。
そこに刻まれていた紋章は、帝室の家紋だ。
門外不出、帝室関係者以外は身に付けることも真似した意匠を刻むことも禁じられている、獅子と剣、そして杖の配置された見事なものである。
セバスはルーフェ家代表が帝国審議会に出席したとき、随伴して帝国首都内部で見た経験があるため、確信を持てたのだ。
仮にオディールが見ていたら、「綺麗なアクセサリですわね。いくらで譲ってくださる?」となっていたことだろう。
「ま、そんなことだからよ。ここはひとつ、オレを信頼して任せちゃくれねぇか? オレぁこう見えて馬車も持ってるし馬も飼ってる、その辺の手数料も浮くわけだ」
「それは確かに、悪い話じゃないが」
「──盗んだとか勝手に複製した、とか言われてもしゃあねぇけどな。これも何かの縁、オレぁ兄ちゃんらの助けになってやりてぇのよ」
「……それは」
現か元かは別として、帝室関係者であり自分たちに手を貸そうとしてくれているゲルドの誘いを断るだけの余裕は、今のセバスにはなかった。
「……おまえ、その紙をゲルドさんに渡してくれ」
「──どうぞ」
「おう、あんがとな」
身分を隠すために仕方ないとはいえど、おまえと呼ばれるのが不快なオディールはソレを表情に露わにしつつも手元の書類をゲルドに渡した。
パラパラと書類をめくり眺めるゲルドを横目で見ながら、オディールはセバスに語り掛けた。
「ねぇちょっと。この男に任せてしまっていいんですの?」
「いいと思いますよ。お嬢様がどうしても嫌と言うならこの話はナシにしますが」
「いえ、そういうわけではありませんの。ただ、こう、何と言うか」
「胡散臭い、ですか?」
「それ! それですのよ! こんな人間見たことないですわよ!」
拳を握った腕をぶんぶんと振りながら、オディールは自分の感触をなんとかセバスと共有しようとする。
正直な話、セバスもそれはよくわかる。
「しかしお嬢様、私にはゲルドが悪人には思えないのです。先程証拠も見せてもらいましたし、それに……」
「それに、なんですの?」
「笑わないで聞いてくれると嬉しいんですが……直感です」
「──」
ひそひそと顔を突き合わせて話していた彼女等だが、セバスの言葉にオディールの表情が固まった。
彼女の頭の中に浮かんでいたのは、直感ってなんだよ、とかそっちは私を笑うのに私には笑うなってどういうこと、とか幾つかの不平の言葉。
けれどそれらを全て捻じ伏せるだけの信頼がある。
「分かりましたわ、貴方の直感を信じましょう。信用ならないのは撤回しませんけど、私も何だか大丈夫な予感がしますの」
「お嬢様はやはり器が大きくていらっしゃる」
「でしょう!? もっと、もっと褒め称え崇め奉っても構いませんのよ!?」
「いえそこまでではないです」
「なんでよ! もう!」
「おぅい兄ちゃんら、話してるとこ悪ィが、確認終わったぜ。オレの方から注文は特にナシだ、よくできた以来だぜ兄ちゃん」
オディールが声を大にし始めたころ、紙の束をひらひらとさせてゲルドが割って入った。
「ありがとう。じゃあ、契約成立、ってことで大丈夫か?」
「おう。じゃあよろしくな」
「あ、握手は自分じゃなくて妹に。一応依頼主は妹名義なので」
「あらそうだったの?」
「おまえはもうちょっと話を真面目に聞いておいてくれ……」
頭を抱えるセバスを横目に、一歩進んだオディールが差し出されたゲルドの掌に自らの手を重ねた。
分厚く硬いゲルドの手と、細く柔らかなオディールの掌が交差し、両者ともにがっちりと相手の手を掴む。
彼女等はまだ知らなかった。
この出会いが、後に彼女たちの命運を大きく変えることを。
割とマジでターニングポイントだったり……