第三四話 縁者ですわ!
凍れる雑草を踏みつけながら、暗闇を走り抜ける影が点々と。
「うおっ、何」
「ぎゃあっ!?」
「ひぃっ!?」
森で待機していた魔王軍の第二陣が、為すすべなく拘束されていく。
その筆頭を走るのは誰あろう、セバスである。
彼の服装は夜の森を駆け抜けるには適さない、普段通りの燕尾服であるが、その理由は大きく分けて二つ。
一つは、単純にオディールの元から最前線の奇襲部隊に合流するまでに時間がなく、着替える余裕がなかったから。
そしてもう一つは、恋敵(と一方的に見為す)ピエールに、「オディールの最も傍に居られるのは自分である」と強く示すためである。
(……我ながら、子供のようですね)
自覚しながらも止められないあたり、本当に自分はどうしようもないな、と彼は自罰的にほほ笑む。
そもそも身分が違う以上、自分が令嬢と恋愛的な意味で結ばれるのは不可能だ。
だから、せめて最も近い位置にいるために、彼は執事として自らを規定する。
けれどもどうだろう、令嬢と身分が等しく、それでいて付き合いも浅くない子息が現れたなら。
「──ふぅっ」
令嬢がその男性と結ばれるのは嫌だが、何処まで行っても徹底して彼は執事であり、令嬢自身の人生に異を唱える資格はない。
少なくとも、彼自身はそう信じている。
……故に彼は今、意味のない自己主張を精いっぱい行う、という如何にも非合理的で彼らしくない振る舞いをしているのだった。
(お嬢様の先生の魔術走査によれば、敵の本陣まであと少し)
袖の下に巻いて隠しておいた地図を取り出して、セバスが手早く現在位置と目的地とのすり合わせを行う。
森の両側から挟み撃ちにする作戦であり、手筈通りに行っているのならば反対側からも奇襲部隊が敵陣の中心部へ向かっている。
だから、彼もまた勢いを落とさずに夜の闇に包まれた鬱蒼と生い茂る森をひた走る。
「──見えた」
基本的に、戦争の最中の本陣は、特定の魔術鉱石を身に付けていない相手への撹乱効果を持つ結界を張る。
とはいえ近付かれた敵にまで万全の効果を発揮するのは難しい上に、老爺によればこの結界を張った相手は相当の手練れとのこと。
ごく近距離まで近づいてようやく察知できる程度の隠蔽能力を付与した結界を張れるのは、それこそ老爺と同等かそれ以上の使い手だという。
一層気を引き締めたセバスが、結界の内部へと足を踏み入れると。
「あらぁ、ようこそいらっしゃい」
「ッ!?」
その瞬間、背中に指が押し当てられた。
不思議なことに、身動きが全く取れない。
意志の話でも、筋力の話でもなく、まるで縫い付けられたかのようにセバスは駆け出した姿勢のままぴたりと固定してしまった。
背中から一方的に声が掛かる。
「うふふ、こんなところまで入り込んでくるのねぇ、なかなかお強いみたいだわ」
「……何者ですか」
辛うじて喉が動くセバスが、指の主へと問いかける。
問われた人物は、少しの間きょとんとして、我に返ったかのように微笑みを再開した。
「ふふふふふふふ! 嫌ねぇ、こんなときに口説こうだなんて!」
「は?」
「う~ん、でもごめんなさいねぇ。貴方、昔よく見た男の子の面影が……」
そこで、声の主は言葉を失った。
「ん? んん? んんん~?」
姿を晒すことも恐れず、セバスの周りをぐるぐると回って彼をまじまじと見る。
一瞬彼の目の前を横切った女は、容姿が異常に整っていた。
癖がなく艶やかな金色の髪、鋭く尖った長い耳、透き通るような翡翠の眼。
何処か見覚えのあるエルフの特徴を一段階押し上げたかのようなその姿は、セバスの網膜に強烈に焼き付く。
「あら。あらあらあらあら! やっぱりそうなのね!」
「何がです?」
「貴方がいるってことよ!」
今エルフの女はセバスの死角にいるが、手を合わせて喜んでいるのが手に取るように分かった。
「こうしちゃいられないわ、あの子を一目見て来なきゃ」
「なっ、何処へ行く!?」
「私のお姫様♡」
言いたいだけ言い放って、エルフの女は姿をくらました。
後に残されたのは異様な緊迫感と、身動きが取れるようになったセバスだけ。
何が起きたのか分からないセバスであったが、恐らく老爺が観測しているだろうと踏んで、自らの義務を全うするために足取りを再開した。
<***>
「──む」
「先生、どうしたぁ?」
「嫌何。出方を窺っていた台風が河岸を変えただけのこと」
「台風? かしぃ?」
「……今は忘れろ」
<***>
会戦も大詰めだろう、と一層気を引き締めているピエールが、ずっと力んでいた身体を休ませるために椅子に腰かけた。
隣に立つオディールが、そんな彼に不審な目を向ける。
「ちょっと。何休んでるんですの」
「いやだなぁ、頭は今だって全力回転さ」
「本当かしら」
「昔、先生が東方から学んだという教えがあっただろう? 人は立っているだけで意識をその行為に使うのだから、こうして座ればその分だけ頭に余力を割けるってものだよ。身体の疲れは頭脳の仕事にも影響するしね」
「それは知っているのだけど……」
複雑な顔をしてピエールの言い分を聞き届けたオディールだが、どうにも未だに腑に落ちない表情をしている。
目敏さを発揮したピエールが、その表情に気が付く。
「もしかして、ボクが単純に疲れたから座っただけ、みたいに見えてたり?」
「しますわ」
「あっはは……そりゃ参ったね」
こんな風に面と向かって減らず口を利かれるのは何時振りだろうか、とピエールはふと考える。
先生の教室を卒業してからというもの、お互いにルーフェとゴドレーシの肩書を気にしなければならず、本心をそのまま伝えるなどご法度だった。
片方がその肩書を失った今、彼等は思いのたけをそのままぶつけられている。
「まぁ、とはいえもうボクから出来ることが大してないのは事実でね。目に見えないものは指揮のしようがない」
「あら、珍しいですわね。普段の貴方なら、全て自分の掌の中、と言わんばかりに口を出すでしょうに」
「キミは一体ボクを何だと……確かにね? いつものボクならそうしたかもしれないけどさ」
何処か遠い目をして、ピエールが椅子の背もたれに体重を預ける。
その瞼の裏に焼き付いているのは、幼き日の令嬢の屈託ない笑顔。
「──キミの啖呵を聞いちゃったからには、万全を期さないと。信頼できる現場監督もいることだし、後は停戦協定を結」
「そうねぇ。あの子はとっても信頼できるわよねぇ」
満足げに感傷に浸っていたピエールの顔のすぐ傍で、屈んだ女性が耳打ちをした。
極めて、途方もなく自然にその場にいたものだから、一瞬彼はその女性の存在を気にも留めていなかった。
しかし、すぐ傍で耳打ちされては認知をせざるを得ない。
「っ!?」
「あぁ、そう硬くならないで頂戴? 私、お姫様に会いに来ただけなのよ」
「お姫様?」
侵入者を怪しんだオディールが、その女が言った言葉に引っかかりを覚える。
その言葉を、否、声色を耳にした女が、慈しみと愛玩動物に向ける愛情を混ぜ込んだ笑みを令嬢に向けた。
「うふふ。うふふふふふふ!」
「なっ……何なんですの。というか貴女のお顔、何処かで見たような」
「あら、あらあらあらあら」
にやにやと笑いながら、いつもの癖で観察対象の周囲をぐるぐると回るエルフの女。
ピエールはエルフの女が途方もない魔力を持っているのに気付いていたが、生憎魔術方面の才能が欠片もないオディールにはそのことが分からない。
だから、脂汗を掻き未だ立ち上がれないピエールと、ひたすら怪しいが危害を加えて来る様子はない女を訝しむオディールとの間には深刻な認識の齟齬がある。
例えるならば、一方は獅子、もう一方は子猫と認識している、くらいには隔絶があった。
「──ねぇ、貴女?」
「何かしら」
「私と一緒に来ない?」
エルフの女の中では至極当たり前の、それ以外の人物にとっては唐突に過ぎる提案が吹っかけられる。
片手を差し伸べて小首を傾げるエルフの女は、その艶やかな黄金色の長髪と透き通るような翡翠の瞳も合わせて、さながら絵画の一場面のよう。
オディールは困惑したまま、自身もまた首を傾げる。
「いや、行きませんわよ」
「あら、どうしてかしら」
「そもそも貴女が何者か分かりませんし、今私は夢を叶える道の途中ですのよ」
「──どうしても?」
「えぇ。どうしても。あ! も、もももしも私を怪我させようってんなら、そーぅは行きませんわよ! ほらピエール! 私を守りなさい!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ出した二人を、差し伸べた手を引っ込める時機を見失ったエルフの女が見つめる。
自分の提案が断られたのは聊か以上に悲しいが、彼女は自分の『お姫様』が元気に育っているのを見られて一先ず喜びを得た。
「ふふふふふふ。じゃあ、私は行くわね。もし私の所に来たくなったら何時でも言って頂戴ね」
「女性を守るのが紳士の──え?」
「五月蠅いな、今のボクとキミは対等──え」
またも言いたいだけ言い放って、エルフの女は消えていく。
魔法陣を描くのでもなく魔石を輝かせるのでもなく、ただ自分の姿を輪郭から透明にして、その場から消えていった。
何が起きたのかいまだに理解の追い付かない二人の元、老爺からの通信が繋がる。
(朗報だ。セバスによる敵大将の拘束を確認した)
タイトルでだいたい分かるかな〜?




