第二九話 お誘いですわ!
「は?」
それが先生と呼ばれる老師の第一声であった。
帰還したオディールら一行はその日のうちに先生とピエールが宿泊する宿に向かい、面会の予定を取り付けた。
そして迷境トレッペにて採取してきた竜の牙の袋詰めの口紐を、オディールが意気揚々と解いて、現在に至る。
老爺は眉根を寄せ、口を半端に開き、顔の部品すべてに困惑を滲ませる。
「──経緯を。聞かせてもらおうか」
「えぇ、分かりましたわ」
それなり以上に豪奢な部屋に会した一同の内、オディールが語り出す。
というか事情を全て知っているのはオディールしかいないのだから、当然である。
迷境へ向かったことから地下への転落、不思議な存在との邂逅に加えて竜の牙の入手を粗方話し終えた時には、老爺の表情は増々険しくなっていた。
「そうか、今はトレッペか。此処よりそう遠くはない。その可能性は考慮すべきであったな」
「あれ~。先生今の話まるっきり信じちゃうんです? 僕からすると、言葉を選ばずに言うとふざけてるようにしか聞こえなかったんですけど」
「ちょっと貴方、私が嘘を吐いているとでも!?」
「ピエール様、そのお気持ちは尤もです」
「ちょっとセバ──」
「その上で、お言葉ですが。お嬢様がこれまで貴方に嘘を吐いた事実が、ただの一度でもありましたでしょうか?」
毅然とした態度で、主の制止を敢えて聞き流してセバスが言い放った。
それは、とピエールが押し黙る。
期間としては短くとも、この老爺の下でオディールとピエールは共に学んだ仲であり、それ以降も領主同士の会談などで関わる機会があった。
その経験を通じて、彼も理解している。
オディールは虚言は吐かず、大口を叩くことはあっても、それを必ず事実にするだけの胆力と行動力を持つ人物であると。
「分かった、悪かったよ。僕としたことが世間に擦れてしまったのかな」
「ふん、世間に擦れたんならその性格も直りそうなものですけどね」
「お嬢様、そういうところです」
「貴方は誰の味方なのかしら!?」
ピエールに悪態を吐くオディールを窘めるように声を掛けるセバスだったが、その態度が気に食わない令嬢に逆に厳しい声を掛けられてしまう。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる三人の横、ソファに座りながらマギーラが老爺の方へ向き直り言った。
「あの。は、初めまして」
「うん? あぁ、貴様はオディールの新たな従者か?」
「はい。あ、あたしマギーラって言います」
「ほう。マギーラ、マギーラか」
名前を反芻して、老爺がマギーラの顔をまじまじと見つめる。
水晶とも湖ともつかない老爺の両眼は、マギーラの外見をなぞるだけでなく内面、そこから引き延ばして過去から現在、未来までを見通していく。
老爺の先生としての名声の源泉は、その両眼に宿る見透かす力であった。
尤も、その力を以てしてもオディールとストラディアの接触は見通せなかったのだが。
「数奇」
「え?」
「否、気にするな。それよりもどうだ、貴様、儂の下で学ぶ気はないか」
「え」
詰め寄るオディールと無実を証明するセバス、二人を面白がって一定の距離を保ちつつ揶揄うピエールは、一斉に老爺とマギーラの方へ振り向いた。
事の重大さを理解していないマギーラに、老爺が続けて言った。
「無論、オディールの元に付きたいという好事家ならば儂に着いてこいとは言わぬ。遠隔であれど教授は可能だ」
「え、え」
「どうだ。今なら特別に授業料は取らぬ」
破格に次ぐ破格の条件を提示する老爺と、まだ理解が追い付いていないマギーラのそれぞれに、ピエールとオディールが耳打ちする。
「先生? あの子を可愛がるのは分かりますけど、そんなになんですか?」
「ピエール貴様、意見があるのか」
「いえ、意見と言う程ではないんですけど。そこまで光るものがあったのかな、と」
「ふむ……」
どう伝えればよいか、と老爺が自分の顎髭を弄って考える。
未来を見通す力によって得た知見を他人に無闇に伝えてはならない、と積み重ねた経験から理解している老爺は、脳内で言葉を組み立てていった。
「ゴドレーシの領地には、学院があったな」
「いや、あったな、て。一応先生が主席と言う肩書でしょう」
「肩書などどうでもよかろう。それよりあの娘、ゴドレーシの学院の学徒共の研鑽、その粋を吸収するだけの土壌を宿しておる」
声量を落として会話していた彼等だが、そこでピエールの紡ぐ言葉がぴたりと止んだ。
ゴドレーシの学院は魔術の中でも自然派に特化したものでそれなりに歴史を有し、老爺が籍を移してきて以来帝国から名だたる学者や聖職者が身分や待遇を擲って飛び込んできたのだ。
その学院の粋を全て吸収し切る素質を持つ、というのはとどのつまり、己の分野を究めた学者たち数百分の頭脳を全て己の者とする能力を誇る、ということだ。
「それなら納得ですね」
それだけ言って、ピエールは瞳を閉じて引き下がった。
元より事情が聞きたかっただけのこと、オディールが何やら凄まじい才覚の持ち主を発掘したというのを理解できただけで彼にとっては満足だった。
昔から見ていて飽きない人物だと思っていたが、まさか先生にそこまで言わせるとは、というのが率直な本音である。
他方、オディールはマギーラの肩を寄せて言っていた。
「ちょ、ちょっとマギーラ、貴女何かしまして!?」
「なにか、って……あたしはなんもしてないですよぉ」
何か粗相をしでかしてしまったかと思い込んだマギーラが、涙目で主人に訴えた。
即座に自分の失敗を悟ったオディールは肩を抱き寄せて、なるだけ声音を優しくする。
「申し訳ありませんわ、私としたことが気が高ぶっていたようです。決してマギーラを責めているわけではありませんことよ」
「そ、そうなんですかぁ?」
「えぇ。あの先生が無賃で何かするなんて考えられなくて」
子供時代、先生に師事していた頃には知らなかった事実だが、大人になって実家の経済事情に首を突っ込み始めたオディールは知っている。
彼女のエルフとしての能力を開花させるために最も効果的な教師は誰か、ということでルーフェ家の人間が喧々諤々の会議を行い、最終的にこの老爺に依頼する、といった経緯があった。
その結果として、ルーフェの経営にはそう大して影響しなかったものの、家庭教師個人への報酬としては破格の金額を支払ったという。
そんな先生が無賃で、しかも初学者に教えを授けるというのがどれほどのことか。
「何か仕事をするのに報酬を受け取らなくてもいいだなんて、私なら口が裂けても言えませんわね」
ただ、オディールが驚愕していたのは老爺という個人の持つ特性ではなく、報酬を投げ捨てるその態度そのものなのだった。
守銭奴として名高い彼女の言葉を密やかに聞いていたセバスが、主人にばれないようにこっそり溜息を吐いた。
「ふぅん、そーなのかぁ」
肝心のマギーラはいまいちピンと来ていない様子。
労働と報酬と言う循環の外側で生きて来た期間の長いマギーラにとって、無賃労働の意味を真に理解するのは難しい。
何やら重大なことが起きているようだ、ということだけを理解して、マギーラは老爺に言った。
「えーっと。なんか教えてくれるのは嬉しいけど、代わりに、ひとつお願いしてもいいかぁ?」
「何でも申してみよ。呑むか否かは此方に裁量があるのは忘れるな」
「オディール様のお願いを、聞いてほしいんだぁ」
まっすぐに、老爺の瞳を見つめてマギーラが言い切った。
しばし、空間に沈黙が流れる。
打ち破ったのは、老爺の鼻息であった。
「ふん。其れは交換条件として成立せんな。あれ程の品を見せられた手前、取り決めの棄却は理に反する」
「そ、それじゃ!」
「貴様への教育に加え、品々の鑑定とやら、引き受けた」
その言葉を待っていた、と言わんばかりに身を乗り出したオディールが、机を挟んで座る先生の手を取る。
「先生、感謝いたしますわ! 本当にありがとうございます!」
「仮にも儂と貴様は教師と生徒。生徒が力量を見せたのなら、退くわけにはいくまい」
ぶっきらぼうながらも手を振りほどこうとはしない老爺の目は、満面の笑みを浮かべるオディールを見ていた。
それからというもの、オディールら一行の行動は速かった。
宿屋の外で待機していたゲルドに冒険者協会との間の諸々の手続きを行ってくれたことを感謝し、地下街に眠る物品の数々を手に入れに行く。
衛生状態が良いとは言えない物の数々を、予め老爺に渡された、魔術の仕込まれた大きな布でくるむ。
力のあるゲルドがそれを背負う手伝いをし、彼と共に一行の長であるオディールが先生の宿屋へ移動し、残る二人は市への出店許可の取り方を調べに行った。
やがて物品の引き渡しが済んだオディールは、今度こそゲルドに別れを告げて二人と合流し、記入が必要だと判明した書類の準備に取り掛かる。
そして城主のいる宮殿染みた豪邸まで届け出て、取り敢えず必要な作業は全て終わらせた。
「あと、残ってるのは……」
「当日出品予定の品は後日届け出る必要があるとのことでした」
「あと、並べるための布も必要だよなぁ?」
「ふふ……楽しくなってきましたわね!」
市での荒稼ぎを目論む令嬢は頬を緩ませている。
来たる市は五日後に。




