第二二話 防具着用ですわ!
異なる空間に繋がった感覚を全身で味わいながら、一同は迷境トレッペに足を踏み入れる。
目に入って来た光景は、一見するとただの洞窟に大差ない。
「わぁ……すっげぇ。これって洞窟ってやつかぁ?」
「応ともよ、その通りだ。それじゃあっちへ行くぜ。防具を纏って馬を繋いどかねぇとな」
目をきらきらと輝かせて至る所に物珍しそうに視線を向けるマギーラが走り出さないよう、片手で制しつつゲルドはもう片方の手で目的地を指さした。
前もって彼が言っていたように、迷境の入り口はある程度金属の板で舗装されており、端の方には板で区切られた部屋が設けられている。
至って簡素ではあるが、それは衣類を販売している店に備え付けられている試着用の部屋だと一目でわかるように作られていて、複数人での立ち入りを禁止する旨の看板が立てられていた。
「んじゃ俺とセバスの兄ちゃんはあっちの端、嬢ちゃん二人はあっちの端な。魔物は出ねぇと思うが、なんかあったらすぐ呼んでくれ」
「分かりましたわ」
ゲルドから事前に購入しておいた二人分の最低限の防具を受け取り、オディールはマギーラを連れて洞窟の壁に沿う形で設置された着替え用の部屋へと向かった。
執事であり常日頃から護衛をしているセバスも、着替えの時間まで傍にいるわけにはいかず、何の疑問も持たずにゲルドに着いて行く。
ゲルドは馬を専用の厩舎に預け、他に預けられた馬と無事に交流できているのを確認してから、女性陣と反対側にある部屋へと入った。
元より徒手空拳を得意とするセバスは、迷境侵入前に使用した殴打用の手袋に加え、関節の動きを阻害しない軽量の防具を着用する。
他方でゲルドが長年愛用し細かな傷のついた全身を覆う鎧は、関節の動作と視界を妨げない以外は防御偏重気味な設計となっている。
「よし……あ、ゲルド様」
「セバスの兄ちゃん、似合ってんじゃねぇの! 中々どうして様になるねェ!」
一通り装備を整えたセバスが部屋を出ると、やや遅れて出て来たゲルドが口笛を吹きながら彼をじろじろと眺める。
実際その言葉は的を得ていて、セバスは師匠の下で研鑽を積んでいた時代にはよくこのような恰好をしていたのだ。
背丈や筋肉量こそ当時と違えど、着こなしは自然と体に染みついている。
「……おせぇな」
「ですね。少々様子を見てまいります」
「応、頼むわ」
そんな彼らが待つこと十数分。
オディールの美的感覚に基づいた要望により、男性陣に比べて女性陣の防具は比較的軽装のものが多く、手慣れているとはいえゲルドが重装備を身に付ける時間からそう長くなるはずがない。
冒険者協会の設営した設備の周辺には魔物除けが施されているから、着替え中の文字通り無防備な姿を襲撃された可能性は考えにくい。
それならば他に何か理由があるのかも知れない、と思い立ったセバスが、オディールらが入っていった部屋の扉の前に立ち、板を軽く叩いた。
「お嬢様、セバスです。如何なさいましたか」
「せばすぅ……」
「おぉ、セバスさんかぁ?」
珍しく弱弱しいオディールの声が聞こえたかと思うと、隣の戸を開いてマギーラが出てきた。
彼女が着用しているのは身体全体をすっぽりと覆うような、魔術師がよく着用している外套の一種である。
外見は布一枚の軽装に見えるが、魔術的な防護が施されており、金属や魔力を介した攻撃を通さない設計になっている。
特に飾り気のない意匠ではあるが、魔術的防護を施せる人材が限られていることもあり、一行が調達した防具の中で最も値が張った。
「な、なぁ、あたしやっぱりこれ着てもいいのかぁ? あたしよりオディールさんの方がぁ」
故に、自らが高額な品物を纏うのに不慣れなマギーラは困った表情を浮かべてセバスに言った。
右手で裾を、左手で襟元をつまんで言うマギーラの肩に手を置いて、可能な限り視線を合わせるようにしてセバスは応える。
「いえ、よくお似合いですし何も問題がありません。何よりそのお嬢様本人が望んでいるのです」
「でもよぉ……」
「いいから、気にせずにその防具を着用して問題ありません。さぁ、此処も安全とは言え万全ではありませんから、早くゲルドに合流してください」
遠慮するマギーラだが、何を隠そう彼女の防具を選択したのは他でもないオディール自身なのだ。
身動きがとりやすく、彼女にとって親しみの深い恰好を、とオディールが考えた時に浮かんだのが、最初に自身を誘拐しようとした際に着用していた外套である。
マギーラに了承を取った後に値札を見たオディールは若干表情を曇らせたが、直ぐに頭を振って購入を店主に告げたのだった。
「うん……」
未だ納得がいなかい、と言わんばかりに唇を尖らせるが、取り敢えず古株のセバスに反対する気にもならないマギーラは生返事をして歩き出す。
聡明な彼女であれば、いずれはオディール様の伝えたいことを理解できるだろう、と踏んだセバスはそれ以上何も言わずに背中を見守った。
彼自身も、自分の価値を誤って評価しているとオディールに指摘された過去がある。
それから長い時間をかけて、尊敬や忠誠心を大前提とする対等な関係に落ち着いてきたのだから、一朝一夕でその域に達するよう強要するのは無理がある。
そこでふと、セバスは自分がマギーラの人となりについて知識が足りないのを自覚する。
今のやり取りでも、オディールならばもっと上手に、相手の心情に沿った言葉をかけられたのだろうか、と詮無いことを考えるセバスの背後から、再び弱弱しい声が聞こえて来た。
「せばすぅ……助けてくださいましぃ」
「──具体的には何をすればよろしいのでしょうか」
「着替えを手伝ってくださいませんか……?」
想定していた幾つかの返答の内、最も対応に窮するものが出て来た、と悟ったセバスが提案する。
「では、直ぐにマギーラをお呼びしましょう」
「それは駄目ですわ! あの子は、その」
セバスでなければならない理由をはっきり言えずに、オディールはごにょごにょと口ごもる。
不審がるセバスだが、令嬢が同性の従者に着替えを手伝わせるのを拒否する理由は酷く単純なものだ。
即ち、『相手の前では気品に溢れ様々な能力に優れた頼れる自分でありたい』という虚栄心。
とりわけ、境遇が近くて遠いオディールとマギーラとの間でその心情が生まれるのは、ある意味では当然なのかもしれない。
「駄目ですか。では中に入りますので戸をお開け下さい」
「えっ、は、入るんですの!?」
「誠に申し訳ありませんが、直接その様子を観察せずに手順などをお教えできる能力を、私は持ち合わせておりませんので」
「……まぁ、仕方ありませんわね」
内心で『仕方ない』という言葉の意図するところを小一時間かけて問い詰めたい衝動に駆られるセバスだが、そこはぐっと堪えて戸に手を置いた。
積み重ねた信頼関係は心当たりとして存在するが、それ以外に異性として見られていないのではないかという懸念が消え去る気配なくセバスの思考にのしかかる。
けれど、そんな思考はオディールが部屋に備え付けの鍵を開けたときに、泡となり消え去ってしまう。
「──」
「ちょっ、ちょっと何なんですの、早くお入りくださいませ!」
セバスは硬直する。
オディールはそんなセバスに対し、透き通るように白い肌を紅潮させて捲し立てた。
ふと我に返ったセバスが戸を手早く閉めて中へと入ると、元々一人用を想定されている着替え用の空間はかなり密になる。
肌と肌が擦れ合わんという距離で、オディールは薄布だけを身に纏い、確かなふくらみのある胸の前で腕を交差させた。
「……」
「……」
片方は手伝って欲しいことがあって、もう片方はそれに応えるために部屋の中に入っただけであり、其処に邪な心は欠片もなかった。
それなのに、いざその状況に直面すると、付き合いの長い彼と彼女でさえも相手の目を直視できなくなってしまった。
オディールは相手の胸元辺りを注視し続け、一方のセバスは肌色の部分が余りに多い相手に視線を向けられずに、自らの視線を右往左往させている。
けれど流石の精神力と言うべきか、あー、ともえー、とも取れる音を喉から漏らし、セバスが一つ咳払いをする。
「えっと、ではお嬢様、私は一体何をすれば?」
「そ、そうでしたわね。貴方にはこれを着るのを手伝って欲しいんですのよ」
「はぁ……ッ」
その場に屈んだオディールの頭部が、丁度セバスの股関節あたりに近付いた。
忠告しようか否か激しく逡巡するセバスをよそに、オディールは防具一式を持ちあげた。
「これですわ」
「本日購入した品ですね……」
金属製の小さな板が紐で繋がれた防具を手渡され、ぴくりと眉を動かしたセバスの顔を真っ直ぐに見られず、オディールは目線を泳がせた。
彼女は購入したときには自分の美的感覚に沿うものが見つかって喜んでいたのだが、今となってはその選択をした自分を殴り飛ばしたい気分である。
いくら相手がセバスとはいえ、下着に限りなく近い防具の着用を手伝ってもらう事実には羞恥心が暴れ出してしまう。
ルーフェの邸宅に暮らしていた時には女性のお手伝いを必ず呼びつけていたのを、今になって悔やむオディールである。
「とっ、とにかく! 紐が結べませんので頼みましたわ!」
そう言い放ち、オディールは振り返った。
互いに緊張が無くならないまま、迷境探索開始前に最大の山場が訪れる。
R18ではないです(ボソッ)




