第六話 墜ちたその先に見えるもの
帝国魔術大学:構内
周囲を見回しながら走り回り、マギーラは人を探す。
もう暗くなり始めた帝国魔術大学の構内のどこかにいるだろうエーデルシュタインを探して、マギーラは彷徨っている。
ここ帝国魔術大学は東洋に源流があるとされる結界術によって外周を囲まれており、事前に登録された魔力を持つ学生を通さない。
従って、よほどの抜け穴を使わない限りは、学生であるエーデルシュタインは帝国魔術大学から出ることはできない。
「エーちゃん、どこ……?」
陽が落ちた帝国魔術大学の構内で、あてもなくエーデルシュタインを探す。
上級生になれば魔力の痕跡を探したり、任意の相手を捜索するための魔道具を自作することもできるだろうが、入学して間もないマギーラにそれはできない。
だから、いなくなったエーデルシュタインの心境を考えて、なるべく人通りが多くない隅を中心にマギーラは巡っていた。
「たぶん、傷付いてるよなぁ、エーちゃん……会ったら、謝らないと」
自分が無自覚のうちに傷つけていたのだろうと考えるマギーラは、純粋なエーデルシュタインへの心配を口にする。
魔術工房棟の裏、魔法植物栽培地区の端、箒訓練場の隅。
どこを探しても、エーデルシュタインの特徴的な紺と白の二つ髪は見当たらない。
「どこ……ん?」
探し回るマギーラの目に留まったのは、とある森。
現在位置は学生寮棟の反対側、魔法生物や暴力性を抜いた魔物などが暮らす区域の入り口にある『お化け樹林』。
自然区域から各生物が校舎方面へ逃げるのを防ぎ、一定以下の実力の魔術師を弾く役割を負っている『お化け樹林』の前で、マギーラは立ち止まる。
「……なんか、こっちにいる気が」
言葉ではうまく言えない直感が、マギーラの脚をゆっくりと動かす。
一歩一歩踏みしめるマギーラを、『お化け樹林』が正面化から押し返すために圧を放つ。
原理で言えば魔力波なのだが、今のマギーラにそこまでを見抜くほどの知識と経験はないのだった。
「行こう」
自分に言い聞かせるように、マギーラは呟いた。
今のマギーラは、自分にはエーデルシュタインを探して謝る責任があると考えている。
腐葉土をゆっくりと踏みしめながら、マギーラは『お化け樹林』の中を歩く。
夜目がよく利くマギーラの視界に、魔力の塊がいくつも浮かび上がった。
「なんだこれぇ……魔物ぉ?」
その通り、『お化け樹林』の先は、どいつもこいつも魔力を有する生物ばかり。
魔術の心得を覚えたばかりの新参魔術師でも、油断していれば命を落とす。
さきほどからマギーラが踏んでいる腐葉土の下には、いくつか骨が埋まっている──と、学生たちの間ではまことしやかに囁かれているのだった。
「くそぉ、木が、多い」
歩きながら、マギーラはブルーネンで主たちに出会ってから行った冒険を思い出していた。
あのときは自分一人ではなかったし、何なら実力ある冒険者としてのゲルドがついていた。
けれど今は違う、自分の力だけで、エーデルシュタインのところへ向かわなければならない。
「じゃあ、こうしようかなぁ」
マギーラは少しだけ息を整え、自分の周りの世界を魔力で視る。
普段からやっていることに意識を改めて向ける、という東洋のヨーガのような精神集中法を、マギーラは何の助けもなく会得しているのだった。
こうなったマギーラは、もはや『お化け樹林』と一体化したも同然。
あとは、自分の血管の巡り方を悟るようにして、『お化け樹林』内の魔物たちの居所を察知すればよいだけ。
「よっ、ほっ、と」
足元から這い出るものがあれば頭上の枝を掴んで飛び上がり、頭上から飛来するものがあれば屈んで潜り抜ける。
長い何かが飛び出るのならば掴んで後方へ投げ飛ばし、場合によってはするりと浮遊させて受け流す。
水の中を泳ぐように平原を駆けるように、何ともないコトのようにマギーラは自然と最奥へ辿り着く。
「あれ、これ……」
虫の羽音を掻き分けて進むマギーラが立ち止まったのは『お化け樹林』の端、生き物たちの楽園の少し手前。
マギーラの目の前にあるのは、月光が差し込む泉だった。
奥の小川からちょろちょろと水が流れ込む湖だが、その表面は何故か中央に向かって渦巻いている。
「……なんか、見たことあるなぁ」
たぶん本来の湖は澄んだ綺麗な色をしているのだろうが、今の湖は中央に向かって緑と紫の渦が色濃く巻いている。
月光に照らされるその色は、宝石か何かのようにも見えた。
だが、マギーラの記憶の中には、全く違うモノが残っていた。
「──行かなきゃ」
意を決する工程を挟むこともなく、マギーラは陸地の縁を蹴って跳ぶ。
学生服に身を包み学生鞄を肩から掛けたまま、彼女は湖の渦──迷境へと飛び込んでいく。
この世界から少しだけ離れた不思議な世界、法則すら歪みうる箱庭へ、深く深く墜ちていく。
<***>
帝国魔術大学:迷境
光源がなく暗い迷境の中、学生服の少女が倒れ込む。
土属性魔法で作った即席の部屋に、全身が土で汚れることも厭わずに滑り込んだ。
「はぁ、はぁ……」
体力はもうほとんどなく、手持ちの魔道具も尽きた。
エーデルシュタイン・ロットはこの迷境にて、命を落とすのだろう。
今の彼女は、もはやそれでもいい、とまで考えていた。
「無様、ね」
壁に背を預け、自嘲気味な笑みを浮かべてエーデルシュタインは呟いた。
消音の結界を張っているこの小部屋だが、仮に結界がなかったとしても魔物に襲われることはなかったと思われるほど、小さな声で。
自分の土台を失って、呆然としつつも存在証明のために無謀な場所に身を置いて、そうして今、虫の息。
構内を彷徨って傷を負いながら『お化け樹林』を突き進み、何故か発生していた迷境に転がり込んで、中の魔物に襲われて。
これを無様と言わずして、何と言うのか。
「──家には、なんと伝わるのでしょう」
死の間際になって冷静さが出てきたのか、エーデルシュタインは外聞と家の体裁のことを思い出した。
今朝の噴水の一件からこの方、ずっと家のことではなく自分のことばかり頭にあった。
自分の存在を自分で確かなものにしなければ、自分は消えてしまうという不安に駆られていた。
今になって、家のことではなく自分のことだけを考えて動いていた、この半日は。
「羽が生えたような、気分だったわね」
魔力も体力も使い切って、頭も空っぽにして残る、この感覚。
東洋であれば我武者羅と形容されるその在り方に身を窶したことで、エーデルシュタインは初めてマギーラのことが分かった気がした。
もっと素直になって、もっと率直になって、もっと自由になればよい。
丸とか四角とか三角とか、そういうのに囚われる必要なんて、どこにもない。
家の決まりに従うのもいいが、『従う』という決断は自分でしなければならない。
「今更気付いても、意味はないというのにね」
その呟きを最後に、エーデルシュタインは瞼を降ろした。
最期を誰にも見られることはないし、なにも成し遂げられなかった人生だったけれど。
最後の最後に答えを掴んだのだから、彼女は穏やかな笑みを浮かべていた。
「あぁ、でも、次に会ったら──」
静かに覚悟を決めて眠りにつこうとしたエーデルシュタインの魔力感知網に、何かが引っかかった。
「……ん?」
魔術師としての鍛錬の結果、自然と働かせるようになってしまった魔力網。
その隅の方に、見慣れた気配が現れた。
自分の存在を隠蔽しようともしない、その発想がないとでも言わんばかりに堂々と、悠々と近付いて来る。
絶対に間違いない、ここ数週間囚われ続けた相手が、やってくる。
「──見つけた、エーちゃん!」
エーデルシュタインお手製の小部屋の壁を捻じ曲げて、茶色の捻れ髪の少女が姿を見せた。




