7. 絶叫熱狂エスケープ
地獄のような教室から命からがら逃げだした絹人たちは、とにかく下を目指した。学校の外にさえ出れば、誰か助けを呼べるだろう。そう考えてのことだった。
2B教室を出て最初の階段を下れば1階に着く。そこから右にまっすぐ進めば玄関だ。2人は手をつないだまま、ひたすら階段を駆け下りた。靴底に生ぬるい血がべっとりついていて、途中で何度も躓きかける。絹人の右脇腹はシクシクと痛み、のどがざらついてまともに声が出せない。毎日使っているはずの階段がやけに長く感じ、もう一歩も足が動かせないような疲労感に襲われた。
恐怖から目をそらすため、梔倉のうなじあたりをひたすら見つめて階段を下りていた絹人があまりの疲れに天を仰いだ時、あることに気づいた。
血の付いた足跡が、これから下りる階段にべっとりとついている。
「梔倉…さん…」
「何!?」
「ちょっと止まって!!」
「止まったら追いつかれるわよ!?」
「いいから!!!」
振り返った梔倉は絹人の必死な表情をみて足を止め、そして彼の指さす方向を見て、その意図を理解した。
「何、これ。なんで下りる前の階段に私たちの足跡がついてるの!?」
あの教室から逃げてきたのは自分たちだけだ。足の裏に血がついている人間なんて、自分たち以外にいやしないのに。
「もしかしてこれって、同じところをぐるぐるしてるってことかな?」
自分でも恐ろしい思い付きを、絹人は恐る恐る口に出してみた。
「そんなことありえないわ!?追いつかれる前に行くわよ!」
語気は強めだが、その声はかすかに震えている。梔倉は絹人の手を振りほどくと、恐る恐る一歩踏み出した。そしてそのまま階段の踊り場まで一人で降り、絹人の視界から消えた。
「梔倉さん!?どこにいるの?」
しんとした空間に絹人の声が響く。化け物の声も聞こえない、完璧な静寂である。彼の背中を嫌な汗が伝う。心臓をわしづかみにされたような圧迫感に頭がくらくらする。その時だった。
「ここよ」
頭上から声がした。見上げると、青い顔をした梔倉が数段上の段に立っていた。
「残念だけど、予想は当たってるみたいね。確かに踊り場を通り過ぎたと思ったのに、気づいたらあなたの上にいた」
疲れた様子でそう呟いて、彼女はへたりと座り込んだ。
「何なの、これ。夢…にしては感触がリアルすぎた」
お気に入りのシャーペンで人の眼球を潰した感触を思い出しながら、梔倉は右手を撫でる。最近のマイブーム、「のんびりハリオくん」という子供向けアニメのシャーペン。先月買ったばかりだったのに。
「これまでずっと死にたいって思ってたのに、笑っちゃうわね。私まだ、絶対死にたくない。絶対に生きてここを出たい」
自分の中に隠れていた生への強い渇望を感じて、梔倉の心臓は波打った。恐怖で跳ねるようなリズムから、だんだんと激しく、全身に血を送り出すために力強く動き始めた。疲弊がにじんでいた彼女の声が、だんだんと生気を取り戻していく。
「世界にこんな不思議があるなんて!」
絹人は自分の耳を疑った。彼女の声には今確かに、喜びに似たなにかが混じっていた。
「私の人生、このまま大学に行って、就職して、なんにも特別になれなくて終わるのかと思ってた。馬鹿の見る退屈なドラマみたいに、恋愛くらいしか娯楽のないクソみたいな人生だって!だからずっと死にたかったの。だけどこれは違う!やっぱり私って特別なんだわ!主役になるべき人間なのよ!!」
梔倉は血まみれの手を見つめ、息を荒くしながら高笑いした。心の底から楽しそうなその表情に、絹人の背筋を冷たいものが走る。普段物憂げに伏せられている暗い瞳は、興奮でギラギラと輝いていた。
『『聞こえた…今!階段の方から!!』』
化け物たちの声が聞こえた。案の定、彼女の大声に気づかれてしまった。梔倉天、この女、痛い子なんてもんじゃない。ガチでいっちゃってる。絹人はもはや、化け物よりも梔倉が恐ろしかった。その表情を見て勘違いしたのか、彼女は満面の笑みを湛えて言った。
「風綿さん、安心して。私ならなんとかできるはず。私なら!」




