2.残念な美人ってことですか!?
薄暗い学習席から、梔倉がゆらりと立ち上がってこちらに歩いてきた。近づくにつれ闇に溶けた輪郭がゆっくりと浮かび上がる。蛍光灯に照らされた彼女の肌はぞっとするような白さであった。
「ねえ」
まばたきを三回してから、彼女は口を開いた。怠惰と鬱屈をないまぜにした、平坦な声。
「は、はいっ!?」
いつもと変わらない朝に訪れた突然の展開に、絹人の心臓が跳ね上がる。これって夢…じゃないよな!?
「いつも私のこと見てるでしょ。何か用なの?」
まさか気づかれていたなんて。見てるだけだから、という免罪符が一気にはがれおちる。一年近くもストーカー行為を続けていた自分が急に卑しいものに思えて、絹人の顔は真っ赤に火照った。
「ご、ごめんなさい…!」
「別に謝ることじゃないわ。何か用?って聞いてるの」
絹人の目をじいっと見つめ、ゆるやかにまばたきをしながら彼女は答えた。絹人の顔が映るくらい大きい漆黒の瞳を囲み、長いまつげが蝶の羽のように動く。美しいから、だけでは説明できない蠱惑的な魅力で、絹人はさっきからやけにまばたきが気になってしまう。
「いや…その…えっと。なんでいつもそこにいるのかなーって…ほら、あそことかそことか、もっと日当たりいいじゃん!?ていうかこの前新米蝶々絶望記読んでたよね!?僕も好きでさ…」
まるでポイに掬われた金魚のようにあたふたした絹人は、頭に浮かんだ言葉を一息で言い切ってしまった。酸欠でくらくらぼーっとする頭で、完全にやらかした、オタク特有の早口をやってしまったと後悔する。違うんだ梔倉さん、これは照れて赤くなってるんじゃなくて、いやそれもあるけど、このよく回りすぎる自分の口を恥じているんだ…リアルタイムに脳内反省会を繰り広げながら目を上げると、案の定彼女は怪訝そうな顔でこちらを見ていた。ああ、眉根を寄せた顔も美しいですね!
明らかにパニックになっている茹でダコのような絹人をみて、梔倉は表情をふっと緩める。そして芝居がかった動作で髪をゆっくりとかきあげ、たっぷりと間をとって呟いた。
「早死にしたいから」
「え?」
「この席にいれば効率的にハウスダストを摂取できる。私はこの人生に倦んでいるから早く死にたいの。これは緩やかな自殺」
囁くような声で独り言のように言葉を放つと、何事もなかったように席に戻って、本を読み始めた。
理解不能な言動にしばし圧倒された絹人は、腕を組んで少々考え込むと……かねてから彼の胸中にあった、あえて目を向けないようにしていた疑惑が確信に変わった。
こいつ、オタクじゃね?
そう考えれば今までの全てに納得がいく。妙な間の取り方、いつも空を見上げて表情を作っていること、芝居がかったしゃべり方。いや絶対そうだよ。自分のことCV能○○美子の黒髪美少女キャラだと思ってるって!!いや実際美少女なんですけど!ほら今頬杖ついて虚空を見つめ、シャーペンで髪の毛くるくるしてるのも絶対アンニュイキャラの演出だろ??高校生なのに厨二病なんですか??そもそも、サブカルかぶれのオタクじゃないと新米蝶々絶望記なんて絶対手に取りませんよね…
なんてことだ。憧れのミューズが、自分を闇のある美少女キャラだと思い込んでる痛いオタクだったとは。幻想がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。この人って、ただ頭と顔がめちゃくちゃいいだけのイタいオタクだったんだ…。
そんな絹人の思いなどつゆ知らず、梔倉は荷物をまとめてすっくと立ち上がると、意味ありげに本の背表紙をなぞりながら教室に帰っていった。




