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呂色高校対ゾン部!  作者: 益巣ハリ
2/22

1. 風綿絹人、16歳。趣味はポエムを読むことです

昨日、隣町の高校で爆発があったらしい。幸運なことに死者はいなかったそうだ。爆発は怖いけど、燃え盛る炎は一度見てみたかったな。炎ってかっこいいし、情熱的で…僕のポエムの参考になりそう。

 

 朝っぱらから感傷にふけっているのは、風綿 絹人(かぜわた きぬと)、16歳。県立呂色高校2年生の彼には、心の中でポエムを読むという秘密の癖がある。それを除けば、彼はどこにでもいる普通の冴えない男子高校生だ。


(火…炎…炎といえばルビー…あの子の赤い、唇…うわっ!?)


「ぼーっとしてんじゃねーよ、オタク!」

「す、すみませっ…」


 上の空で詩作に耽っていると、後ろから歩いてきたやんちゃそうな集団の1人が絹人の肩にぶつかってきた。明らかに向こうに非があるのだが、絹人は小動物のように身を縮め、反射的に謝ってしまった。しかし不良どもは謝罪を聞く前にもう歩き出し、自分たちの会話に夢中になっている。


 ちくしょう、謝れよ。遠ざかっていく不良たちの背中を見ながら、絹人は心の中で舌を出した。あれ以上絡まれなかったことにホッとする一方、反射で謝ってしまった自分の情けなさが悔しい。肩からずり落ちたリュックの紐を掛け直しながら、ああ、あいつらの上にミサイル落ちてこないかな、と思った。普段脳内では詩的な表現を心掛けている彼とはいえ、さすがに悪態をつくときまでポエミーではいられない。詩的な気分もどこへやら、朝から不愉快になった彼は脳内を空っぽにして、ただ足を前後に動かすことだけに集中することにした。


 駅からは微妙な距離にある、県立呂色高校。ここは県内の公立高校の中ではトップの進学校であり、昨夜爆発があった私立レフコース学園とは毎年難関大の合格者数を競っている。黒の一種である「呂色」の名の通り、制服はセーラー服、学ラン共に漆黒だ。

 公立故の学費の安さ、比較的自由な校風、高い授業レベルなどなど、呂色高校には様々な魅力があったが、絹人がこの高校を選んだ理由はそのどれでも無かった。


 黙々と歩いてようやく高校に到着した彼は、そのまま教室に向かう…のではなく、彼がここに進学した理由、そこへ向かった。


 北棟の外れにある、ガラス張りの正方形の建物。ここは県下の高校一の蔵書数を誇る、呂色高校図書館である。高校図書館にはめずらしく凝った意匠が施されたその図書館は、物好きな金持ちの寄付を受けて卒業生の建築家が設計したものらしい。ガラス張りの1階は、太陽の光が差し込む暖かな空間である。本棚や貸出カウンターは濃い茶色の木製家具で統一されていて、柔らかいオレンジの照明と相まってログハウスのような雰囲気が漂っている。


 絹人はガラスの自動ドアを抜け、司書さんに軽く頭を下げると、その1階を通り抜けて地下へと向かった。地下は主に学習席となっていて、窓もなく静かな落ち着いた作りである。日の当たらない壁に沿って、利用頻度の低い古い本が大量に並べられている。


 ああ、この美しい空間といったら!絹人は大きく息を吸い、紙とインクの独特のにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。中学生の時に授業の一環で無理やり連れてこられた学校見学で、彼はこの図書館に衝撃を受けたのだ。それまでの彼の成績はお世辞にも呂色高校を狙えるレベルではなかったが、この図書館で本を読む自分を妄想し、数カ月の猛勉強の末見事合格を果たしたのだった。そうして彼は、毎朝図書館の地下にこもり、こうして人の少ない空間を堪能しているのだ。


 絹人は隅っこの席に座り、自分と同じような読書愛好家たちがめくるページの音に耳を澄ませた。世間に迎合した売れ線の小説や、陳腐な恋愛小説が配架された地上とは違い、古典的で、高尚で、過去の息遣いが聞こえるような静寂な空間。古くなってざらついた紙をめくると、自分の頭がよくなった気さえしてくる。


 そして、ここからが重要である。一番黴臭く陰気な学習席に目を向けると…やはり、今日も彼女がいた。


 影に同化するように艶やかな黒髪。蛍光灯の下でぼやけたように輝くミルク色の肌。何より特徴的なのは、切れ長の釣り目の両端と、厚い薔薇色の唇の右わきにたたずむ、直角をなした3つのほくろである。彼女の名前は梔倉 天(しくら てん)。進学校の呂色高校において、入学してから常に学年トップを独占している才女である。透き通るような聡明さ、そして輝くようなその美貌。まさに才色兼備を体現しているような彼女は、絹人の心のミューズだった。


 絹人が彼女を初めて見たのは、高校の入学式である。呂色高校は進学校のため、新入生たちは中学時代の青春にわき目もふらず勉強に捧げてきた生徒ばかりだ。希望の高校に入学できた喜びと、これから始まる新生活に目を輝かせてはいたが、皆やはりどこか芋臭く垢ぬけない生徒ばかりだった。しかしその中に一人、明らかに別格の人間がいた。


 1年1組から順番に入場していく中、その女、梔倉天は5組であった。彼女の白い足が体育館のドアを越え、床に敷かれた緑のフロアシートを踏みしめた時、誰かがはっと息を呑む音が聞こえた。自己紹介だのどこ中出身だの、せいぜい席の前後で交わされていた雑多なざわつきがだんだんと、突如現れた圧倒的な存在に収束していく。


 それは「5組の可愛い子」という言葉で括るのはあまりにも圧倒的であった。生徒たちは彼女が列に並んでまっすぐと進み、簡素なパイプ椅子に腰掛ける優雅な動作に釘付けになっていた。すでに席に座っていた絹人の後ろを彼女が通り過ぎたとき、甘い花の香りが彼の心に突き刺さり、それから2年生の今日までずっと心を包んでいるのだ。


 入学式で鮮烈な印象を与えた梔倉は、その後の入学テストでもずば抜けた成績を残した。もはや彼女は完全に別格扱いとなり、同じ中学だった生徒たちは得意げに彼女の中学時代の様子を吹聴して回った。


「梔倉さんって、異次元だよね」


 いつ誰が言い出したのかは知らないが、いつの間にか彼女の話をするときはその一言でくくられるようになった。


「今度のテスト、また梔倉さんが1番なんだって」

「まあ異次元だしね」


「駅前で梔倉さんがスカウトされてた!」

「さすが異次元」


「食堂で梔倉さんがラーメン5杯食べてた」

「胃袋も異次元かよ」


 しかし当の本人は周囲の雑音が聞こえてるんだか聞こえてないんだかよくわからない様子で、いつもぼんやり空を眺めていた。


 決して高圧的だとか、イケてる彼氏がいて近寄りづらいとかそういうことではなかったが、しかしその存在感ゆえ、絹人のようなオタクが近寄れるような隙は一分もなかった。いや、彼だけではない。彼女の周りだけ空気が屈折しているかのような、その完璧な美しさのせいで、彼女に話しかける男は1人もいなかった。


 そんなこんなで彼女とお近づきになるのは無理だと諦めていたから、彼女が図書館であの伝説の[新米蝶々絶望記](謎の作家、鬼門ゆうのデビュー作。新米の花魁である蝶々が水責め火責め、ありとあらゆる残虐な虐待を受け、絶望の果てに自分は文字通りの新米、炊き立てのお米であることに気づく…というエログロナンセンス小説。一部でカルト的な人気を誇る)を読んでいた時は胸が震え、自分の幸運に感謝した。


 図書館に行くたび毎回、今日こそは、今日こそは話しかけよう、そう思って…なんと一年が過ぎたのだった。少年老い易く学成り難しとはこのことである。


 もはや、文字と思想の海に溺れるために図書館に来ているのか、梔倉に会いたくて図書館に来ているのか絹人本人にもよくわからない。しかし高尚な精神と思春期特有の俗っぽさが彼の心の中で戦い、いや、自分は甘美な思想の迷路を生きる男だ、と自らに言い聞かせ、結局声はかけられないまま毎回重たい哲学書を借りて帰る羽目になるのだった。好きな子に会いたくて何が悪い、と割り切れるほど、彼は子供でもないし、大人でもない。


 そんなわけで今日もハイデガーの著作越しに、彼女のつややかな唇と哲学論を交互する朝を過ごしていたが、次に目を上げた瞬間、彼女が立ち上がってこちらに歩いてきた。



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