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落華道中

作者: 永ヰちろる

 仲町は桜のさかり。

 ひとつふたつと見世見世みせみせに灯が燈ってゆく時分。されど、待合の辻に、男がひとりあるばかり。縞の着流し、藍染めの手拭を襟に巻く。

 見世の灯すら熱を持たぬようなしずけさのなかで、はなびらばかりが降りしきる。彼方より、外八文字で歩む高下駄の音。まだ歩き慣れぬのか脚弱か、時折調子が乱れ、音の来る方へ、男が首をめぐらせようとしたとき、ひとむれの桜吹雪が、その視界をさまたげた。

 男がふたたび目を開けば、ゆるゆるとした歩みでいつの間に追い抜いたか、ひとりきりの花魁道中の後姿が過ぎてゆく。

 男の急いた足取りにつられて桜が舞いあがった。追いついて片腕をつかむ。力ずくで体ごと振り向かせた、その遠心力で遊女の簪がひとつ、はかなく地に落ちた。

 己の腕の中の、遊女の顔を見定めた男の表情が揺らぐ。

「どこへ」

 足元さえ危うく、倒れかねぬのを男に支えられた格好で、遊女が彼を不思議そうに見た。

 紅唇がわななくように、なにか言いさすが音をなさない。男のまなざしから逃れ、男の無体にいま己のまげから抜け落ちたかんざしを見遣る。

「簪が。拾って下さんせ」

 気を削がれたように男はのろのろと遊女から手を離し、はなびらにうもれた簪を拾う。己の袖で土埃を丹念に拭い、遊女の髷の根に挿しなおす。 男の手が離れたあと、自ら触れて確かめ、遊女は安堵のように小さく息を吐いた。

「ありがとうござりいす」

「こちらは、春なのかい」

 桜の並木を見上げて、男が言う。

「俺はここへ来る前に雪を見た。灰の空から降る雪だ」

「雪でも花でも蛍でも」

 ふくり、と遊女がうすく笑う。吉原の桜は所詮うそごと。

「花のさかりのその後に、大門をくぐっても、夏の若葉も秋の落ち葉も冬の枯れ木もない。盛りの間だけここへ植えられえる、人さまの都合が咲かす徒花あだばなでありんす」

 艶然と首を傾いだ。

「雪と願わば、たちまち雪になりましょう」

「そんならおめェの、」

 色褪せてゆくあわいいろの花から、眼をそむけて男が問う。うすくれないの花弁が、頬に月代さかやきにふれてかさりとしろく崩れた。

「思うとおりがこの、様だっていうのか」

 すぐには答えず、黒塗りの高下駄がかさかさと雪を踏む。

「易う言うて下さんすな」

「そりゃあ、俺の言えた筋じゃあ、ねえ」

「しおらしいやねえ」

 遊女が振り向いて横顔を見せた。

「お前が、おれに逢いに来る筈なんぞ、無いもの。たとえ嘘事にしたって、」

 言いながら、遊女は、確かに男を知己と認めるまなざしを向け、うすく笑んだ。

「早すぎるよ」

「普請の、足場から、落ッこっちまった」

 遊女の言葉にかぶせるように、男が嘲う。遊女がきつくめをとじた。

「火事の多い冬で、仕事は次から次だった。己の不注意か足場が悪かったか。兎に角、落ちて打ち所が悪くて、そのまま」

「嘘だろう。間抜けだねぇ」 

「おめェみてえな女は、こっちじゃもっと、コウ、仕合わせにしてるのかと、思った」

真逆まさか。わちきは廓育ちでここぎり知らないもの。それにさ」

 遊女は思い切ったように爪紅の手をのばし、男の首の手拭をとく。首の付け根のあたりから一直線に走る細い傷跡を見て、ああといきをはく。

「痛かったろうね」

 恐る恐る、触れた。

「どうだったかな。おめェの方が、おッ死ぬくれえの傷だ、さぞかし痛かったろう」

「それぎり我慢すりゃあ、もう冥府へ逝けるのだもの、易いもんさ」

 もっとも、一人きりの道行きだったけどと、すべらかな喉元で遊女は嘯き、そろりと指をすべらせた。

「そもそもがわちきの無体だから、そう身構えなくったって、恨み言は言わないさ。だけどお前のこの傷を、今日この日まで拝めなかったのは、口惜しくってならないよ」

 いとしげに、かつて己の刃が切り裂いたあとをたどり、男の衣紋をくつろげて傷の端に頬を寄せた。

 俺もあの時、とされるにまかせて男は言を継ぐ。

「おめェと一緒に死んでりゃ良かったのに、敵娼あいかたに無理心中の刃傷の罪名を着せたまんま、一人逝かせるなんざァ、」

「そんなこと。生きてた時分は線香の一本も手向けてくれなかったじゃあないか。もう生身の女は抱けなくなっちまってからなら、どうとでも言えるよぅ」

 身を離して斜を向いた。

「でもたしかにあの時、おめェは俺の魂の片割れを持ったまんまあの世へ逝っちまったんだと思った。ずっとそんな、どっかうすら寒いような、感じがしたよ」

 手持ち無沙汰に、遊女はたそや行灯の、熱を生まぬ火の芯を立てる。すでに死人の身で熱さ寒さの不自由はないが、こちらで灼熱は罪身を焼く業火ばかり。

「お内儀さんは。貰ったの」

「棟梁の世話で、俺が落っこちた次の月が結納さ」

「後家にはせずに済んだんだねえ。あたしより美人かい」

「二回会ったッきりで、棟梁夫婦だのあっちとこっちの親だの、妙に人も多かったし、ろくに近くで顔も見なかった」

「じゃあきっと美人だ」

 遊女が笑う。

「不器量なら一目見た顔を忘れるはずないもの」

「そうかい」

「そうだよ」

「なァ、花鶏あとり

 煙草入れの根付をなぶりながら、男が遊女の源氏名を呼ぶ。

「なにさ、改まって」

 うながされて、なおも男は言い淀む。

「俺と地獄へ、落ちて呉れねェか」

「ひとりで落ちるが恐いかい」

 遊女が笑みを含む。

「そうさね、」

 男が答える前に笑みを削いで、いいよと遊女は首肯した。伏し目がちのまつげがふるえた。

 こんなところで冷たいばかりのからだを抱くのも、飽きたのさ。

(400字詰め原稿用紙換算7枚)

copyrigh.Lapis Work.Tilol Nagawi.2009

*禁無断転載・複写


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― 新着の感想 ―
[良い点] オチと舞台の相性もさることながら、雅な文体自体も伏線になっているようですね。さりげなく行灯の熱さを利用したりと、丁寧に書いていらっしゃるのが伝わりました。 [気になる点] リズムが、なんか…
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