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 デビュタントの謁見が終わると、次は場所を大ホールへ移して舞踏会が始まる。一曲目はデビュタントとそのエスコート役によるワルツが一斉に踊られる。白いドレスが舞う様は実に優美で、デビュタントボールならではの光景だ。

 二曲目からはデビュタント以外の参列者も加わり、パートナーを変えて踊ったり、フロアを外れて会話に興じたり、別室で軽食を摂ったり……と各々自由に社交活動をしている。


 その様子を壇上の玉座から見下ろすジョエルの元には絶えず人が訪れていた。

 そのほとんどは普段宮廷に上がれない下位貴族や、皇室とのコネを作りたい金で爵位を買った者たちだ。彼ら——特に後者——はここぞとばかりに顔を売ろうとするが、当の本人は朝早くから全身を磨かれた疲れと空腹に加えて意義のない話を繰り返され、次第にそう多くない口数が明らかに減ってきた。

 それを察してかたまたまか、ようやく人の列が途絶えると、側に控えていたリュシアンがよく我慢なさいましたねと囁いた。

 

「我慢しているのが分かったならどうにかしろ」

「これも陛下の大事なお勤めの一つですので。さ、お腹も空いてるでしょう。丁度持ってきましたよ」

 

 見れば、セルジュがトレーに軽食を持って来たところだった。サンドイッチやローストビーフ、チーズなどの他、種々のケーキにゼリー、フルーツ。そして酒の入ったグラスも各種ある。

 

「お前に足りないのはこういう気遣いだぞ」

 

 ジョエルに睨まれたリュシアンは、善処しますとだけ言ってすっと身を引いた。

 入れ替わるように近づいたセルジュがサイドテーブルにトレーを置いた。

 

「お召し上がりたいものはございますか?」

「ババといちご」

「かしこまりました」

 

 円筒形をしたブリオッシュのようなケーキといちご、そしてシャンティクリームが品よく盛り付けられる。

 差し出された皿を受け取ると、さっそくババにフォークを入れた。

 

 柔らかなブリオッシュ生地にたっぷりとラム酒が染み込み、口に含むと一気にその香りが広がる。少し酸味のあるいちごや甘いクリームとの相性も抜群で、ジョエルはあっという間に平らげると次はさくらんぼのタルトを要求した。

 

 

 一通り食べてお腹も満たされひと心地ついたジョエルは、ワイングラスを揺らして手慰みにしながら、フロアを見下ろした。

 最初に比べればだいぶ少なくなったが、入れ替わり立ち替わり踊る参列者たちが途絶えることはない。

 退屈そうな様子を見て、セルジュが声をかけた。

 

「陛下は踊らないのですか?」

「誰と踊れというのだ?」

「ジスカール卿、でしょうか……」

「あいつは踊れん」

「えっ」

「失礼な」

 

 聞き捨てならないと言わんばかりにリュシアンが眉を顰めて反論する。

 

「いつの話をしているのです」

「練習相手だった頃散々私の足を踏んだだろう」

「それは陛下が無理やりリードしてきたからでしょう」

「お前の鈍いステップに合わせてたら日が暮れるからだ」

「言うに事欠いて十年以上前の、それも習い始めたばかりのことを持ち出すとは」

「あれから成長していないだろう。お前が踊っているところなど見たことがないぞ」

「いつも陛下の傍に居るんですから当たり前でしょう」

「ならばやはり踊れんだろう」

「ですから——」

「では……お二人で踊っていらしたらいかがでしょうか」


 押し問答を見かねておずおずと割って入り、セルジュが提案した。

 二人はぴたりと口を閉ざすとセルジュを見て、


「嫌だ」

「嫌です」

 

 ——と口を揃えた。

 仲がいいのか悪いのか……いや、主従関係でありながら軽口を叩き合えるほど信頼関係を築いているのだから、リュシアンの不敬と取られかねない言葉も咎められないのだ。

 再び暇そうにし始めたジョエルを見、それからセルジュを見たリュシアンは君がパートナーになったらいいと言った。


「な、何を仰るのですかジスカール卿」

 

 セルジュはぎょっとして声を上擦らせた。

 

「一介の侍従である私に、陛下のお相手は務まりません」

「陛下と踊りたくないのか?」

「おいリュリュ。困らせてやるな」

「そうではありません!」

 

 思わず大きな声が出て、セルジュ自身驚いたようだった。セルジュは恥ずかしそうに小声でそうではないのですと繰り返した。

 

「私は——踊れないのです」

「問題ない。ですよね?陛下」

 

 ジョエルはグラスをリュシアンに押し付けると立ち上がった。それが答えのようなものだった。

 

「来いセルジュ」

「し、しかし」

「嫌か?」

 

 そう尋ねながら手を差し出す。

 ジョエルの誘い——あるいは命令——を拒めるわけもなく、セルジュは上を向いていた手のひらを下にすると、そこへそっと己の手を添えた。

 

「謹んでお受けいたします」

 

 口の端を上げたジョエルをエスコートしてフロアに降りると、丁度音楽が終わった。指揮者がジョエルの動きを見ていたのだろうか。

 降り立つと全員と言っていいほどの視線が集まった。

 

「陛下だわ」

「本当だ」

「エスコートしているのは誰だ?」

「お美しい方ね」

「侍従の方じゃないかしら?」

 

 囁き声も重なるとざわめきになる。

 自然と空いた人々の間を通りダンスフロアの真ん中へ。すると再び音楽が奏でられ始める。

 ジョエルは左手を前に出した。

 それは男性側のポジションだが……。

 

「セルジュ」

「——はい陛下」

 

 セルジュは右手を重ねた。左手はジョエルの右肩の下へ。そしてジョエルの右手はセルジュの左肩甲骨へ。

 

「ホールドは完璧だな」

「恐れ入ります」

「私に身を任せろ。初めはお前の左へ動くぞ」

「はい」

 

 生真面目に頷いたセルジュにふっと笑う。

 

「まあ、楽にやれ」

 

 流れるような足運び。

 

「私は楽しむ」

 

 そう言って軽く顎を反らし、口の端を上げた。

 

「まあ……!」

「陛下がリードするのか?」

「でも素敵だわ……」

「お相手の方が羨ましい」

 

 そんな声も、やがてセルジュの耳には届かなくなる。

 足元にばかり注意がいきがちになり、自然と視線が下を向く。

 

「視線を下げるな。私を見ろ」

「は、はい」

 

 顔を上げた途端に金眼とかち合う。常に見上げる存在であるが、実際のジョエルとの身長差はほとんどない。間近にある玉顔に動揺して足運びを誤った。

 

「‼︎」

 

 鋭く息を呑む。

 セルジュの革靴がピカピカに磨かれたドレスシューズを踏んだのだ。

 セルジュと共に、それを見た周囲の人間も青ざめる。

 

「申しわ——」

「ははっ!構わん。言っただろう?楽にやれと」

 

 そう言って離れていきそうになった体を引き寄せる。周囲の心配に反してジョエルは機嫌良さそうに笑う。

 幸い不興を買う結果にならずにすんだが、指揮者の配慮か誰かの指示か、心なしかワルツのテンポがゆっくりになった。

 無理に合わせようとするのではなく、ジョエルが言っていたように、彼女のリードに任せた方が楽であることに気づいてから、セルジュの動きもだいぶ滑らかになり、会話をする余裕も出てきた。

 

「踊れないと言っていたわりには基礎は知っているようだが」

「昔……少しだけかじったことがある程度で」

「ふうん」

「陛下は男女両方のパートが踊れるのですね」

「妹の練習に散々付き合わされたからな」

「殿下はお戻りにならないのでしょうか」

「さあな。あの放蕩娘のことだから国内にいるかすら怪しいぞ」

 

 まさかと言ったものの、ジョエルの妹ミシュリーヌはかなりの行動派である。あながち違うとも言い切れない。

 微苦笑するセルジュに、ターンをしながら、ジョエルが耳元に唇を寄せた。この日のために侍女たちが念入りに手入れした艶やかな黒髪が頬を掠めどきりとする。次の言葉に心臓は更に跳ね上がった。

 

「今夜、私の部屋へ来い」

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