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幕間~とあるデビュタントの話~

 帝国に薔薇の季節がやってきた。

 本格的な社交界シーズンに合わせて首都には貴族たちが集い、街にも活気が溢れている。特に昨年は喪に服して様々な舞踏会や催しが自粛された為、貴族も市井の人々もいつもよりこの季節を心待ちにしていた。

 宮殿においても、二年ぶりのデビュタントボールの開催に向けて慌ただしい日々が続いていた。

 広大な敷地内は塵一つ許されず、庭園の木々や芝生は綺麗に整えられ、花壇には見頃を迎えた花々が咲き誇る。宮殿内もシャンデリアやカーペット、美術品の数々、そして居並ぶ近衛兵たちもがいつも以上に美しく整列し、皇室の威厳を知らしめていた。

 

 そして当日。夜の帳が下りる頃、宮殿にはドレスコードである白いドレス姿のうら若き令嬢たちが大勢集まっていた。

 白いドレスと一口に言ってもデザインは様々だ。幾重にもレースを重ねたもの、ふんだんにフリルをあしらったもの、絢爛な刺繍が施されたもの、宝石が縫い付けられたもの——。実に多様なドレスがあり、それらはそのまま家格や資産を表した。

 彼女たちは一人前の淑女として大人の仲間入りする期待と不安に胸をときめかせ、顔見知り同士でひそひそと小声で話をしながら謁見の時を今か今かと待っていた。

 その中で十八歳のアニエスは、また別の不安に表情を固くさせ、端の方で佇んでいた。

 

「まあ。アニエスさんではなくて?」

「あら本当だわ」

「来てらしたのね」

 

 態とらしい声で名を呼ばれた。

 一瞬出かかったため息を飲み込み、アニエスは無理やり口角を上げて上品な微笑を作った。名前を呼ばれた以上無視はできない。


「ごきげんよう」

 

 顔を上げると、そこに居たのは以前はよくお茶会に呼んだり呼ばれたりする仲だった三人の令嬢たちだった。彼女たちの方が家格は下だが、今や侮る色を隠しもしない。

 

「わたくしたち心配してましたのよ」

「ええ。陛下に合わせる顔がないのを気にして、いらっしゃらないんじゃないかって」

「杞憂だったようで安心しましたわ」

 

 崩れそうになる表情を必死に堪えて、それはご心配をおかけしましたと軽く礼をする。

 アニエスの家は——トリュフォー公爵家は、長兄の醜聞により先帝の怒りを買って冷遇され、以来力を失った。

 彼女たちの親がトリュフォー公爵から離れていったように、子どもの世代にもその影響は大きく、より残酷に現れた。

 

 ああ、早くこの場を離れたい……。

 

 そんなアニエスの願いが通じたかのように、謁見の間へ続く扉が開いた。


「お待たせいたしました。これより陛下への謁見を開始いたします」

 

 おしゃべりがぴたりと止んだ。

 アニエスを取り囲んでいた令嬢たちも、最早アニエスなど眼中にないとばかりに背を向ける。

 そのことにアニエスはほっと息をついて、皆に倣って取次役の方を向いた。

 

「名前を呼ばれた方は前へお進みください。では——アニエス・トリュフォー公爵令嬢」

 

 呼ばれる順番は爵位に準じる。

 突き刺さるような視線を振り切るように、アニエスは努めて胸を張って謁見の間へ向かった。

 両脇に近衛兵が立つ扉を抜けると、高い天井から吊るされた大きなシャンデリアがまず目を惹いた。広い謁見の間には多くの近衛兵と高位の貴族たちが揃い、デビュタントの入場を待ち構えていた。

 そして一番奥の壇上に、絢爛な軍服を身に纏った皇帝が玉座に掛けている。


 ジョエル=クラタエグス・フェヴァン皇帝陛下。


 わたくしはあの方の義妹になるはずだった。

 

「ご令嬢、御前へお進みください」

 

 取次役に小声で促され、アニエスはそこでようやく自分の足が竦んでいたことに気づいた。前方でこちらを心配そうに見つめる父親に一つ頷いて見せて、震えそうな足を踏み出した。

 

 玉座の左右には近衛部隊の隊長と親衛隊の隊長がそれぞれ控えている。すぐそばには秘書官のジスカール卿と美しい侍従の姿もある。

 中央に座すジョエルが冷めた表情で見下ろす中、アニエスはドレスの裾を持ち、幾度も練習した膝折礼を完璧にしてみせた。

 デビュタントの謁見はこれで終わる。皇帝は何人もの令嬢たちから挨拶を受けなければならないため、一人ひとりの時間は数分もないのだ。

 

「大きくなったなアニエス」

 

 そのため、皇帝が声をかけるなど通常はありえない。

 微かな騒めきが起こる中、アニエスは大きく目を見開き、ジョエルを見上げた。

 アニエスがまだ小さく、長兄が婚約者だった頃、数回会って言葉を交わしたことがあった。その頃と変わらない調子でジョエルは更に続けた。

 

「アカデミーに入学したそうだな。励めよ」

 

 その言葉にありし日の記憶がまざまざと蘇る。

 

 

 ——お前がアルフレッドの妹か。

 

 初めて会った皇女殿下はまるで男性のような喋り方と格好をしていた。金色の飾紐が幾つも付いた真っ白な肋骨服が、初夏の日差しの下でとても眩しかった。

 

 ——すでに三カ国語を解していると聞いたぞ。

 ——はい。皇女さま。ですがわたくしは刺繍や演奏が苦手で、至らぬところばかりなのです。

 

 恥を忍んで家庭教師や家族に散々言われていることを告げれば、ふんと鼻で笑われる。しかしそれは嫌な感じのするものではなかった。

 

 ——ならば語学力で人より優秀になれ。刺繍や演奏が優れた者は他に大勢居る。

 ——で、でもお父様……父や家庭教師は女は勉学に励む必要はないと……。

 ——古臭い考えだ。いいか。お前は得意な分野を伸ばせ。人にはどうしたって克服できぬ苦手なものもある。

 ——皇女さまにもですか……?

 ——ああ。ここだけの話だが、私は刺繍も出来ぬし楽譜も読めぬ。だが剣や銃の扱いは得意だ。だからアニエス。

 

 胸を張ってそう言った皇女殿下は、口の端を上げて笑った。

 

 ——励めよ。

 

 

「はい、はい……!今後も誠心誠意精進してまいります!」

 

 興奮して頬が熱くなるのが分かる。

 かつて、長兄が婚約解消となった時はジョエルとの繋がりが絶たれたことがただただ悲しかった。だが長兄がいかに愚かで、醜悪で、許されないことをしたのか理解してからは、ずっと慚愧に堪えない思いを抱えていた。

 だからアニエスにとって、否、トリュフォー家にとって、このジョエルからの言葉は奇跡に等しいことだった。

 こみ上げてくるものを堪えてもう一度礼を取ってからアニエスは御前を辞した。

 

「ジャマン子爵。続けてください」

     

 ぽかんとしていた取次役が、リュシアンの言葉に慌てて次の令嬢の名を読み上げる。

 その後、謁見はつつがなく進んだ。

 

 

 

 ——デビュタントボールの後、皇帝がトリュフォー公爵を許したという噂が出回り、アニエスを取り巻いていた冷たい視線はほとんどなくなった。その代わり陛下との繋がりを得ようと取り巻きになろうとしてくる令嬢たちが居たが、アニエスは目もくれず、いつかジョエルの役に立ちたいとアカデミーで勉学に励んだ。そんな彼女が歴史に名を残す女子教育の第一人者となるのは、まだまだ先の話である。

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