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 その報せが届いたのは、二年ぶりのデビュタントに向けて最後の衣装合わせの真っ最中だった。

 

「あぁ……とても麗しいですわ、陛下」

「ほんとうに。コート・ドレスやメスドレス姿もお美しかったですが、フルドレスはまた格別ですわ」

「陛下の玉姿を拝見したら、きっと令嬢たちも並の令息にはときめかなくなりますわ!」

「わたくしだって夫より陛下に胸を高鳴らせることの方が多いですもの」

「あら、わたくしもですわ」

 

 侍女たちが盛り上がる中、ジョエルは小さなため息を吐いた。

 着ては侍女たちの称賛を受け、脱いでまた着て……を繰り返すのも疲れるものだ。

 仕立て屋が着心地の悪いところはないか尋ねた。

 数々の勲章や徽章、金糸で編まれた飾緒、細やかな刺繍が施されたサッシュ……フルドレスの軍服は装飾が多い分重さはあるが、時間をかけて丁寧に仕立てられただけあって体にしっくりと馴染んだ。

 

「問題ない」


 それを聞いて仕立て屋は安堵の表情を浮かべた。皇帝が初めて主宰する舞踏会で着用する礼装の仕立ては、やりがいと共に多大な重圧があったことだろう。

 


「陛下のドレス姿はいつ拝見できるのでしょう……」

「そうですわね。成人なさってから陛下がドレスを着たところを見たことがない気がしますわ」

 

 侍女長のエヴリーヌが口惜しそうに漏らすと、クララも同意を示した。

 衣装室にはいくつもドレスがあるが、それらは一回の採寸のみで作られた上、日の目を見たことは未だかつてない。

 国内の貴族や近隣諸国から献上された毛織物や絹織物なども、ジョエルの衣服に仕立てられるより下賜されるものの方が多いくらいだ。

 

「私は一度も見たことがないです」

 

 と言ったのは一番年若いレナエルだ。二十歳の彼女が知るのは凛々しい軍服姿のジョエルばかりだった。

 

「陛下は早くから軍務にお就きになられましたからね。舞踏会にもあまりお出ましになりませんでしたし」

「ドレス姿も絶対お似合いになるのに……」

「まあレナエル。わがままを言って、陛下がお望みにならないことを強いてはなりませんよ」

「わかってます!もうっ、子供扱いしないでください!」

「何を騒いでいる」

 

 常装の軍服に着替えてきたジョエルに、レナエルは慌てて何でもありませんと言って顔を赤くした。

 エヴリーヌはくすりと笑って仕立て屋と話をしに行き、クララも素知らぬ顔で袖を通しただけのジョエルの上着の釦を留め始めた。

 

「一番上はそのままでいい」

「かしこまりました。お疲れになられましたでしょう?」

「ああ……まったく仕立てというのはこうも時間がかかるとはな」

 

 うんざりしたように前髪をかき上げたジョエルに、クララはにこりとして、ドレスを仕立てるとなったらさらに時間がかかることは言わないでおこう、と心に誓った。

 

「今お茶を用意させておりますので、ひと息ついてくださいませ」 

「失礼します」

 

 時機良くメイドがティーセットの乗ったワゴンを押して入ってきた。それに続き、急いだ様子のセルジュも入室してきた。

 

「陛下。メレス卿が執務室でお待ちです」

「ドニが?」


 ジョエルは一瞬眉を顰め、それからすぐにドアに向けて踏み出した。

 

「エヴリーヌ。あとは任せた」

「かしこまりました」

 

 すれ違いざまにワゴンの上からフィナンシェを取ると歩きながら一口で食べた。しっとりとした口当たりに、焦がしバターとアーモンドの風味が堪らない。コーヒーと合わせたらさぞ美味しかっただろう。

 差し出されたハンカチで手を拭いてセルジュに返し、回廊を大股に進む。

 

「ドニは何か言っていたか」

「いいえ。至急、お伝えすることがあるとだけ……」

「そうか」

 

 ジョエルがずんずんと進むとすれ違うメイドや近衛兵らは慌てて端により礼を取った。

 執務室を目前にしてセルジュが前に出てドアを開けた。


 室内には男が一人居た。ソファーに座っていた男はジョエルに気づくと立ち上がり、臣下の礼を取った。

 

 茶色の髪と目。中肉中背。特徴のない男の唯一の特徴は、親衛隊の制服を着ている点だ。

 親衛隊は近衛部隊とは異なり、ジョエルが皇女だった頃から重用し、共に前線に出た者たちで成る。貴族階級の者の他、ジョエルに見出された平民階級の者も在籍する。能力重視の精鋭部隊だ。

 その中の一人、ドニ・メレス。

 茫洋とした目で物事を眺め、時折薄笑いを浮かべるこの男がセルジュは少し苦手だった。

 

「何事だ」

 

 問いながらソファーに座る。

 ドニはちらりとセルジュを見た。

 あの底の知れぬ目だ。

 セルジュは頭を下げそそくさと退室した。

 

 ドアがピッタリと閉まると、ドニはようやくソファーに腰を下ろした。

 

「あまりいじめてくれるな」

「僕は何もしてませんよ」

 

 しれっと言い放ち、改めてジョエルに向き直る。

 

「——ニノン・バローを知っていますか?」

「乳母の娘がどうした」

「妊娠、出産していたことは?」

「知らん」

 

 特に興味もない。即位して間もなくメイドの職を辞したと聞いた。その時の理由に妊娠が関係していたかどうかは覚えていない。

 そもそも乳兄弟というだけでそんなに親しくもなかった。年齢も八つ離れていたし、ジョエルが物心ついた頃にはすでに宮殿で働いていた。むしろ兄のリシャールの方が幼少期の遊び相手の一人として、身分差はあれど仲が良く、確か最後は薔薇の宮勤めだったはずだ。

 

 そこまで思い至って嫌な想像が脳裏をよぎる。

 何故たかが乳兄弟の元メイドの情報などをわざわざ話す?

 

「まさか……」

「そのまさかです」

「兄上め……!」

 

 鋭く舌打ちしたジョエルは、何かに気づいてドニを睨んだ。

 

「お前、いつから知っていた?」

「僕が知ったのはつい最近です。……そんな怖い顔しないでくださいよ、ジョエル様」

 

 リシャール様の命令ですとドニは言った。

 

「ニノン・バローに“影”を一人付けろと。そしてもしも子どもを産み、その子が狼の眼を持っていたら、ジョエル様に伝えろ——と」

「持っているのか」

「持っています」

 

 ジョエルは小さく唸った。

 狼の眼——それは皇族の象徴である金色の目を指す。ルロジェ帝国のみならず、近隣諸国にもその特徴は知られている。到底隠し通せるものではない。

 私生児とはいえ皇族の証を持つ以上、その子どもには価値が生じる。先帝の第一子として皇位継承権を主張されたり、反乱分子や敵国に人質に取られでもしたら面倒なことになることは必至。

 

「処理しましょうか?」

 

 ドニが薄く笑いながら提案した。

 ドニ・メレス——皇家の暗部を司る一族の一人であり窓口役。その名も出自も偽りで作られた男。ジョエルの狗。

 頷くだけでこの男は皇家の私生児を完璧に殺すだろう。ともすれば母親共々。

 ジョエルはしばらくドニの顔を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。

 

「他に兄上が命じたことはあるのか」

「いいえ。監視と報告のみです」

 

 そうかと呟いて目を伏せる。

 次に視線を上げた時、その目には決然とした強い光が宿っていた。

 

「リュリュを呼べ。策を考える」

 

 了解ですと言ってソファーを立つ。

 

「ああそれと、もう一点大事なことが」

 

 思い出したようにそう言って、ドアに手をかけたドニが薄笑いを浮かべて振り返った。

 

「ジョエル様が好きだと言っていたアップルパイの店が閉まるそうですよ」

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