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プロローグ

 帝国の政治の中枢であり皇族の住まいのある宮殿は首都で最も華やかな場所だ。幾つかある宮殿のうち一番大きく、U字型をした壮麗な建物は正面が皇族の生活空間、南翼がパーティーや式典を行うホールなど、そして北翼が政治を行う場となっている。


 セルジュは敷地内にある宿舎から宮殿の正面、通称薔薇の宮へ向かっていた。早朝の空気は澄み渡り、自然と背筋が伸びる。

 途中通りかかった庭園では帝国のシンボルである薔薇が見頃を迎えていた。


 ここ——ルロジェ帝国は一年を通して穏やかな気候と豊かな土地に恵まれた大陸随一の強大国だ。

 かつては大陸の中の一国に過ぎなかったが、豊かな土地を狙う近隣諸国に対抗する為軍備に力を入れ、次々と近隣諸国を併呑していった。

 先の戦では北方連合国を打ち破り、領土の三分の一と多額の賠償金を勝ち取った。その立役者の一人が帝国の頂点に君臨するジョエル=クラタエグス・フェヴァンである。

 当時は皇女の身で軍の総司令官であったジョエルは、自ら前線に立ち兵士の士気を高めただけでなく、何人もの敵将を討ち取った。

 セルジュがジョエルに出会ったのもその戦だった。

 その時の光景は生涯忘れないだろう。


 絢爛な宮殿の広い回廊を抜け、夜勤の近衛兵と挨拶を交わしてから応接間を通り、皇帝の寝室へ。

 ドアをノックするとすぐに、入れと女性にしては低い声がした。

 ドアを開けると、広い寝室が広がっている。一角だけカーテンが開けられ朝日がたっぷりと差し込み、厚いカーテンが閉まっている所とのコントラストがくっきりとしている。

 陽射し差し込む窓際に置かれた机の前に帝国の主の姿はあった。


「おはようございます、陛下」


 軍服の上着を脱いだ襟のないシャツとゆったりとしたストレートパンツ姿で、足を組んで椅子に座るジョエルが鷹揚に頷いた。視線は手元の新聞に落とされている。

 高貴な身分の女性としては短すぎる黒髪に化粧気のない顔。軍人としての生活の長いジョエルはその頃の習慣を抜く様子もなく、侍女が来るより早くにさっさと一人で身支度し、こうして新聞を読んでいることが常だ。

 最初の頃こそ侍女たちはジョエルの起床に合わせていたが、如何せん淑女の身支度には時間がかかる。一番年若い侍女が寝不足で貧血になって以来、朝はゆっくりで良いとの命が下った。

 それはセルジュにも当てはまったが、彼はいつも彼女たちより三十分だけ早く出仕する。


「庭園の薔薇が見事な大輪の花を咲かせていました。今日は天気も良さそうですし、午後にでもお散歩がてらご覧になってみませんか?」

「庭園ならばここからも見える。わざわざ行くほどのものでもないだろう」


 素っ気ない返事をして紙面を捲る。

 ジョエルは花をはじめ、絵画や宝石など美しいものに興味がなかった。

 決して嫌いなわけではない。美しいものを見れば美しいと思う感性はあるし、それらに利用価値があれば関心も湧くが、わざわざ私的な時間を割くことはしない。そんな時間があるならば剣を振るうか愛馬や愛犬と戯れる。

 それがジョエルという人なのだ。

 それはセルジュも十分承知していた。


「ではこちらを」


 ずっと手にしていた小さな花瓶を机の端に置く。花瓶にはビロードのような花弁が美しい赤薔薇が三輪挿さっている。ここへ来る途中、庭園で貰ってきたものだ。

 ようやく視線を上げたジョエルはほう、と言って新聞を置いた。


「寄越せ」


 セルジュの手から花瓶ごと受け取り、鼻梁を寄せる。豪華な見た目の割りに芳香は強くなく、ベリーのような甘さが控えめに香っている。

 満足したように口角を僅かに上げ、花瓶を置く。


「良い薔薇だな。執務室にも飾っておけ」

「かしこまりました」

「セルジュ」


 はいと応えてジョエルを見つめる。

 皇族の象徴である金色の目が初めてセルジュを映した。


 薄い金髪に灰青の瞳。線の細さと相まって性別を見失わせる端麗な容姿を持つセルジュは、爵位を持たぬ侍従だ。

 しかも元々は敵国の奴隷の身。

 普通であればあり得ない厚遇である。

 口さがない者たちは皇帝の男娼と陰で言うが、ジョエルがセルジュに手を出したことは一度もない。言うまでもないが、逆もまた然り。


 手が伸ばされ、セルジュは側に寄って膝をつく。

 顎を捉えられ、指先が頬を一撫でした。

 冷たく、少しかさつく感触に、寝る前に保湿力の高い香油で手をマッサージしてさしあげようと思いながら、頭の片隅では違うことを考える。


「また寿命が延びたな」

「陛下のご温情に感謝申し上げます」


 くっくっとジョエルは愉快そうに笑う。


 ジョエルは花をはじめ、絵画や宝石など美しいものに興味がなかった。

 決して嫌いなわけではない。美しいものを見れば美しいと思う感性はあるし、それらに利用価値があれば関心も湧く。

 セルジュは自分自身の何がジョエルの関心を惹いたのか、未だ分からないでいる。

 敵国の奴隷を重用する理由が分からない。

 理由なき寵愛ほど怖いものはない。飽きられたが最後、いつ首を刎ねられるかも分からないのだから。

 それを分かっているからジョエルはこのようなことを言うのだ。


 ——ひどいお人だ。


 そう思いながらセルジュは微笑み、甘んじてその手を受け入れる。

 セルジュにとってジョエルは命の恩人であり、生殺与奪の権を握る者であり、唯一のよすがなのだ。

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