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夢か現か  作者: 髙田龍
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予兆の始まり

 季節が、秋から冬へと移る頃。


田園風景の中を県道が走っている。

やがて道路は森にあたる。


森に分け入るように県道は、ゆるく蛇行しながら伸びている。


それが終わり、ふたたび空が頭上に拡がると、そこに刑務所が在る。


灰色の外壁の三階建ての巨大な建物が南棟、東棟、さらに本部棟の三棟に分かれていて、南、東の棟に受刑者達が収容されている。


各棟は、屋根のある連絡通路で結ばれていた。


その通路を南棟から二人の刑務官に挟まれるように、本部棟へ向かう一人の受刑者。


すこし伸びた坊主刈りの頭に白い物が目立つ。


殺人の他、いくつかの罪で懲役十六年の刑を受けたこの男、指定暴力団 仁和会 若頭、小田 尊だった。


彼は明日、長い刑期を終えて出所する。



本部棟の所長室。


所長の鴨志田 誠紀の前で出所に関した手続きが全て完了した報告をしている刑務官、その少し後ろで背筋を伸ばし、尊は立っていた。


高価な調度品など無く、花一輪飾られていない。


質素だが清掃の行き届いている所長室に、東向きの窓から朝陽が射し込んでいた。


鴨志田は、尊を応接セットのソファに座るように手で促し、自分もその前に腰を下ろした。

尊は、一礼して腰を下ろす。


尊を、この部屋へ連れて来た二人の刑務官は部屋の隅に控えている。


『呼ぶまで、少し二人にしてくれるか。』


鴨志田の指示に二人は、一瞬だけ顔を見合わせたが、すぐに立ち上がり部屋を出て行った。


ドアが、鈍い音を立て閉まると、それを合図にしたように、鴨志田は背もたれに身体を預けた。


子供の頃から柔道を続けてきた逞しさは、制服の上からも伝わってくる。


日に焼けた柔和な顔は笑うたびに目尻に笑顔ジワをつくる。


柔和な雰囲気の彼の両耳だけは、格闘家特有の《わいた》状態になっていた。


『いよいよ出 所ですね。長い間ご苦労様でした。』


『とんでもありません。』

尊は、鴨志田の言葉を遮るように言った。


『尊さん、そう畏まらずに。真面目に刑期を務め上げて、明日になれば、娑婆に戻れるんです。』


尊は自嘲気味な笑みを口許に浮かべて鴨志田から視線を外した。

『16年、ここにお世話になりました。すっかり浦島太郎です。外に出ても何をしていいのか見当もつきません。』


『私が言うのも変ですが、あなたの業界では大変な功労者でしょう、尊さんは。』


『なんの自慢にもなりません。人を殺して周囲の人にも迷惑をかけて。この歳になってみて、初めてつまらぬ人生を送って来たことに気づかされました。』


尊の話を笑みを絶やさずに聞いていた鴨志田は遠くを見るような眼で、懐かしそうに話し始めた。


『あなたを初めて見たのは、私がまだ小学校の六年生の時でした。ランドセル背負ってましたよ。』



尊と鴨志田の出会いは五十年前にさかのぼる。


鴨志田が小学校六年生、尊が中学の三年。


その日は土曜日だった。


鴨志田は放課後、翌年に入学が決まっている区立市谷第三中学校迄、級友二人と連れだって行ってみることになっていた。


まだ週休二日などという言葉すら無かった時代。

鴨志田達は、昼まで授業を受けたあと、小学校の前にあるパン屋で菓子パンと牛乳を買い、それを頬張りながら市谷三中へ向かった。


まだ、コンビニも無い時代。


パンはパン屋で、野菜は八百屋で、魚は魚屋という時代だった。


ボールペンと海苔巻き、マンガ本とおでん、ビールとチョコレートが同じ店舗で買うことが出来る現在。

つくづく便利な時代になったものだと、鴨志田は尊と出会った頃のことを思い出しながら、そんな事を考えていた。


市谷三中には、正門とは別に、校庭側に小さな門があった。


パン屋を出た三人は、30分ほどで、その門の前に着いた。

フェンス越しに見える校庭は、小学校のものとは広さが違う。


そこでは、野球部や陸上部が練習に励んでいる。

隅には体育館があり、開け放たれたドアから中の様子が見える。


剣道部とバレー部が先輩の叱咤に叫ぶように返事を返している。


帰り道、三人は昂揚感に包まれているのを感じていた。


『やっぱり中学は違うなあ』


『鴨志田は何部に入るの』


『僕は、まだ決めてないけど、中村は?』


その時。


三人が歩く、学校沿いの道の先に黒い集団が見えた。

それは、十数人の学生服姿の高校生達だった。


異様な雰囲気の集団。


彼等の学生服は、まるでコートの様に丈が長く、詰襟のカラーは高く顎が乗っている。


小学生の彼等にも、この高校生達が普通でないことはすぐに判った。と同時に、さっきの昂揚感とは違う恐怖感が胸に拡がる。


それでも、この集団の立っている場所を通り過ぎるしか方法はない。


三人とも俯いたまま、吸い寄せられる様に黒い集団に近づいて行った。


数メートル迄来た時、集団の中の一人が、『坊主達、小学生か?』と鴨志田達に声をかけて来た。


『ハイ。』


言葉が喉に絡みつくみたいだと鴨志田は思った。


『タンベ吸って見るか?』


鴨志田達には、それが韓国語のタバコの意味だとは判らない。

三人が答えられずにいると、黒い集団から一斉に大袈裟な笑い声が起こった。


『やめろ!』

集団の中から声がした。


その声に弾かれたかのように、学生服の集団は『押忍!』と口々に声を発し、静かになった。


その声が集団の悪戯から自分達を解放してくれる救いの声なのは、判っていたが、こんな怖い連中を一声で黙らせてしまう人間が、この中に居るということの方が強烈で、三人の恐怖心は倍増していた。

肩をすぼめ俯いて、そこに立ったままでいる三人の前に声の主が姿を見せた。

『怖がらなくても大丈夫だから、もう行っていよ。』


鴨志田達は、多分この集団のリーダーだろうと思える人間が、予想外に優しい言葉をかけてくれたことに驚き、その場を離れた。


『アァ怖かったァ』

話す声が届かないと思える場所に来てから、中村がため息混じりにこんな事を言った。

それは、鴨志田の心も代弁していた。

『彼奴ら、高校生のくせに中学になんの用があるんだろう。』

『そんなこといいよ、早く帰ろうよ。』


急ぎ足に三人がその場を離れようと、小走りになった時だった。


後ろから大声で誰かを呼ぶ声が聴こえてきた。

どうやら高校生達が呼んでいるのは、校庭にいる生徒のようだった。


鴨志田達は、歩みを止めて事の推移を見守った。


『おい、三年坊かオマエ?』

『違います。』

通用門の中から声が返って来た。

『三年坊は居ないのか?』

『三年生は、もう授業がないので居ません。』

『1人も居ないのか?』

『居ないです。』

『オマエ、二年か?』

『はい』

『オマエが、二年のアタマか?』

『アタマ?何ですか、それ。』

『判んなきゃいいよ。オマエちょっと出て来い。』

しばらく間があってから、鍵のかかった門を跳び越えてジャージ姿の中学生が1人出て来た。

その生徒は、すぐに黒い集団に囲まれてしまった。

鴨志田達に声をかけた集団のリーダーらしき男が、中学生に話しかける。

『一昨日、新宿で、ここの三年坊の誰かが俺の後輩から金獲ったんだ。カツアゲ、判る。』

『判ります。』

『ボクには関係ないんだけど、俺達も此処まで来て手ぶらでは帰れん。悪いけどオマエがオトシマエ着けてくれないか?』

『オトシマエ?』

『判んない?』

『はい』

中学生の返答が気に入らなかったのか、彼の後ろに立つ男が『ナメてんのか、アァ』そう言って彼の肩を突いた。

一目で不良と判る高校生に囲まれ、突つかれたりしても、その中学生はまったく臆する様子はない。


リーダーらしき男がまた話す。

『獲られた金、返してくれるなら静かに帰るから、学校にいる生徒から少しずつカンパして貰ってくれないか。6千円。』

昭和も、40年代、喫茶店のコーヒーが80円くらいで飲めた頃、中学生には6千円は、簡単に手の届く金額ではない。

そして、この後の彼の言葉が鴨志田の心に響いた。

『話は判りましたけど、僕にはそんなお金有りませんし、他の生徒からお金を集めることも断ります。』


中学生を相手に余裕の態度だった黒い集団の空気が一瞬にして変わったのを鴨志田は感じた。

『オマエ、名前何て云うんだ。』

この中学生の予期しない態度に、全員が驚いているようだった。

『小田尊です。』


『いい根性してるよ。しょうがねぇ、痛い思いしてもらうぞ。』

リーダー格の男の言葉が合図だった。

小田尊と名乗った中学生は背後から蹴り倒された。

倒れた中学生の上から何人もが覆い被さり、罵声が響く。

『オマエが出来ないなら、他の奴に頼むよ。』

リーダー格の男が校庭の中で異変に気がついて集まって来た生徒達に門の外から声をかけようとした時だった。

鈍い音がすると続いて呻き声が聞こえた。

『皆んなには頼まないって言ったろ。』

目尻と鼻から血を流している小田尊が、リーダー格の胸ぐらを掴んだ瞬間、その顔面に勢いよく額をめり込ませた。

尊の足下に蹲ったリーダー格の姿に不良の集団は、事態が飲み込めていない様子だった。


『何やってるんだ!』


誰かが知らせたのだろう、男の教師が走って来て、黒い集団は、その場から走り去った。


鴨志田が初めて小田尊を見た日だった。
















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